私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は伊勢早雲(いせそううん)と名乗っています。)
三浦道寸(みうらどうすん)殿を新井城に追い詰めた早雲は深追いせず鎌倉に入りました。
そこで見た鎌倉は数々の戦で荒廃していたのです。
氏綱(うじつな)「かつて執権・北条氏(ほうじょうし)の栄華は見る影もありません。」
鎌倉は南北朝時代の動乱で荒れ、足利氏(あしかがし)が鎌倉公方として入りましたが、さらになる戦が続き、寺社は大半が失われていたのです。
四代鎌倉公方の持氏さんは永享の乱を起こし、幕府に負けて自害したんだよ。
早雲「これではいかん。我らが荒廃した鎌倉を復興せねばならん。かつての北条氏が栄えた鎌倉のように。」
氏綱「はい。相模を平定し、それを成し遂げましょう。」
早雲は鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に戦勝祈願、鎌倉復興の願いをし、自らの思いを歌にしました。
枯るる木にまた花の木を植えそえて
もとの都になしてこそみめ
この時、氏綱にはある考えがありました。
氏綱「我らが鎌倉だけでなく関東を復興し北条と名乗ってもいいと考えます。」
早雲「我らが北条姓に変わると?」
氏綱「関東では北条の名はどこでも通ります。我らがかつての北条氏に変わることができるのでは⁈ 」
早雲「うむ…、それは考えておこう。まずは三浦を討ち相模を平定せねば!」
その頃、道寸殿は自らの嫡男・三浦義意(みうらよしおき)殿が守る新井城に入りました。
道寸「義意、我らがここで戦い、その間に扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の援軍を待とう。」
義意「援軍は早雲の玉縄城に阻まれているのでは?」
道寸「もっと強い援軍を要請したのだ。これで早雲を挟み撃ちにするのだ!」
道寸殿が期待した扇谷上杉家の援軍の大将は亡き太田道灌(おおたどうかん)殿の子、太田資康(おおたすけやす)殿だったのです…。
つづく…
次回もお楽しみに〜