私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は伊勢早雲(いせそううん)と名乗っています。)
早雲に追い詰められた三浦道寸(みうらどうすん)殿は三浦半島にある新井城に入りました。
赤い丸の辺りに新井城があったんだよ。拡大したのが下の地図
道寸殿の援軍を倒した早雲は新井城攻めに取り掛かりました。
しかし、天然の要害である新井城に早雲は攻めあぐねたのです。
氏綱(うじつな)「新井城は三方を海に囲まれて、もう一方の陸地は堀や柵で幾重にも囲まれて容易に攻められませぬ。」
小太郎(こたろう)「さらに城ヶ島の三浦水軍が新井城を援護しているんだ。」
早雲「これでは兵の命を失うばかりだ…。策は1つしかない。」
氏綱「その策とは?」
早雲「力攻めが無理なら…兵糧攻めしかあるまい。」
兵糧攻めって食糧補給路を断ち兵糧を欠乏させることで打ち負かす攻め方なんだ。食べ物がなくなるって辛いよ〜。
早雲は兵を配置し新井城のありとあらゆる道を塞ぎ、城ヶ島からの援護も出来ぬようにしました。
兵糧攻めに対し新井城にいる道寸殿と子の三浦義意(みうらよしおき)殿は楽観視していました。
道寸「早雲め、要害である新井城を攻めることは出来ぬようだな。よし新井城に籠城しよう。」
義意「兵糧攻めなどして時を稼いでも、我らにはまだまだ援軍が来るはずです。それに早雲はもう高齢です。」
道寸「時間をかけることをすれば早雲自身が死んでしまうぞ!馬鹿め!」
道寸殿らの言うとおり、扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)からの援軍が度々来ましたが、早雲の軍勢や玉縄城の軍勢が援軍を蹴散らしたのです。
早雲が兵糧攻めをして1年が経ち2年が経ちました。
1515年になり、早雲の陣に嬉しい報せが入ってきました。
小太郎「氏綱様の奥方様が男子を産んだよ。」
早雲「なんと、これはめでたい!」
氏綱の正室・珠が産んだ男子は幼名を伊豆千代丸(いずちよまる)と名付けられました。
後の北条氏康(ほうじょううじやす)です…。
つづく…
次回をお楽しみに〜