どちらを選べば幸せか、自分の選択を信じよう | Kenaz光(ひかる)の占いブログ

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人はだれでも人生に何度か、どちらを選ぶべきかという大事な選択をしなければならないことがあります。




若い女性にもいくつかの転機がおとずれ、岐路に立たされるでしょう。
恋愛、仕事、結婚、出産を経験していくなかで、大きな分かれ道がやってきます。
そんなとき多くの女性は、こう考えるのではないでしょうか?




どちらを選べば幸せになれるんだろう?




だれだって岐路に立ったとき、正しい選択をしたいと思っています。
仕事か結婚かどちらをとるべきか?
転職したほうがいいのか、それともいまの会社にいるべきなのか?
どちらの男性と結婚するべきか?
子どもは産むべきなのか?
そのつど間違いのない選択をして、幸せになりたいと望んでいます。 
岐路にぶつかり、間違った道を選んだことによって、失敗はしたくないでしょうから 。




しかし、もしもあなたがいま人生を左右するような分かれ道にいるとしたら、よく考えてみてください。




どちらを選べば幸せかというときに、はたしてどちらか片方に正解はあるのでしょうか?
たとえば彼と結婚するべきかどうか、分かれ道がここにあるとします。
右に行けば結婚する、左に行けば結婚しないとしたら、どちらかの道がこちらに進めば幸せになれますよという幸福への道なのでしょうか?




僕はそうは思いません。
結婚するのとしないのと、たぶんどちらにも正解はありません。
人生の選択というものには、もともとこれが正解という答えはないのではないかと思います。




どんな選択をしても、人はかならず選ばなかったほうを後悔するものです。
彼と結婚するべきかどうか悩んで、結婚したらしたで、「しなかったほうがよかったのかもしれない」と思うし、
結婚しなかったらしなかったで「やっぱりすればよかった、あんな人はもう現れない」と思ってしまう。




自分が選ばなかったほうに、正解があるような氣がする。

どちらを選んだにしても、選ばなかったものが正解だったように見えてくる。
それが人間の心理です。




彼と結婚しようかどうしようかというとき、「どちらを選べば後悔しないかな」と迷うということは、
結婚してもしなくても、どっちみち後悔はするのです。
選んだあとで、「これでほんとによかったんだろうか」と悩むのが、
人間が選択をするときの大原則としてあるということです。




だから「どちらにも正解なんてないんだ」と思っていたほうがいいでしょう。
失敗をしたくない、間違いたくないと思うから、
だれがどこから見てもこれが正解という答えがあるように思ってしまう。
だけど、人間が判断することにどちらが正しいというものはないのだから、
「これが正解なんだ」と自分でそう決めてしまえばいいのではないでしょうか。




この大原則は、どんな選択にも当てはまります。




たとえば、僕があるアーティストの曲をプロデュースして、
Aという曲とBという曲、どちらをシングルにするか選択することになりました。
で、迷ったあげくAにしました。
ところが、Aは予想したより売れませんでした。




そうすると、たいていの人は「Bにしておけばよかった」と悔やむ。
「Bのほうが正解だった」と後悔する。
でも最初から正解はないのです。
Bにしていたら、Aより売れていたという根拠はどこにもありません。
Bを選んでいたら、もしかしたらAよりもっと売れなかったかもしれません。




どちらを選べば結果としてうまくいくか、
そんなことは神様ではない限りだれにもわからないのです。




かりにAは選ばなかったことにしてBでやり直して、すごく売れましたということが証明できるなら、
僕は判断を誤ったということになるでしょう。
たしかにそれならBが正解、Aは間違いといってもいいでしょう。




だけど、選んでしまったものを無にすることはできないのです。
だとしたら、自分がこうしようと決めて、
自分がこちらがいいと選んだことによって、
いまここにある現実をこれでよかったんだと信じたほうがいいのではないでしょうか。




人生のさまざまな場面でぶつかる選択問題には、
数学のような解答があるわけではありません。
数学のドリル帳のように、正解がのっているのなら答え合わせをすることができます。
しかし、人生の選択問題の正解はわからないわけだから、わからないことを悔やんでもどうしようもありません。




だからこそ、間違うことや失敗することを恐れないことです。




僕はもともと正解なんてものはないと言いました。




たしかになんらかの選択をせまられたときに、
こちらが正しいという答えはありません。
とはいえ、選ばなかったほうがよく見えるのが人間だし、
これを正解としようとしても納得できないこともあるかもしれません。




場合によっては、選択を誤ったなということもあるでしょう。
ないものねだりで選ばなかったほうがよかったように見えるのではなく、
これはあきらかに選ぶべき道じゃなかったという状況もあるでしょう。




人間は全知全能の神様ではないから、
間違うこともあります。
間違うことは恥ずかしいことでもないし、
みっともないことでもなんでもないわけです。
若いときの間違いなんて、いくらでも取り返しがききます。




分かれ道にきて、右に曲がったけれど
「進んでみたらどうも右じゃなかったみたいだ」だったら、
分かれ道まで戻ってもいい。
あるいは、引き返せないところまできていても、
めげないで歩いていけば、
どこかで幸せが見えてくるかもしれない。
ようは「やっぱり左にすればよかった」と、
過ぎたことにこだわるのではなく、
前向きな氣持ちでいることです。




もったいないのは、失敗したくない間違いたくないからといって、結局どちらにも決められないでいること。
どちらを選べば幸せになれるんだろう?
そうやって間違うことを怖がって、
じっと立ち止まったまま進めないのが、
いちばん人生つまらないのではないかという氣がします。




正解を求めると、かえって進歩はないのです。
選んだ道がこれは間違いかもしれないと覚悟すれば、怖いものはない。
もともと正解はないんだから間違ってあたりまえくらいに思っていれば、
恐れることは何もありません。




試験にしたって、わからなくても書かないことには点にはならないのです。
わからないから白紙にして問題をどんどん飛ばしていくうちに、
どれも解けないで0点になっちゃったということがあるでしょう?
それならたとえ間違っていても、
解答していくことが大事だと思いませんか?




とにかく失敗しようがどうしようが、選択する勇氣を持つこと。
分かれ道にきたら、自分の信じた方向に進んでみる。
そのときの自分がこうしたいという気持ちのままに進むことで、
道が開けていくはずです。




そう、選択をしなければならないときにいちばん大切なことは、
自分はどう生きていきたいのか?
自分は何をしたいのか?
ということです。




どちらを選べば幸せになれるんだろう?




その答えは、自分のなかにあるということを忘れないでくださいね。





秋元康
『どちらを選べば幸せか』より転載








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