"想像力が乏しい人は相手の配慮に欠ける"
と教わったことがあります。


確かにその通りです。

"想像をする努力"をしないから、
相手の言葉の向こう側を考えないから、
平気でいくらでも相手を傷付けることが出来る…


はっきり言って、
それは無責任でしかありません。

相手に伝わっていなければ
何の価値も意味もない。
説明不足は言い訳にしか過ぎないし、
単なる自分自身を守るための都合の良い言い逃れ…
何の責任感も誠意も一切ない、卑怯なやり方。


逆に言えば、
もっと考えてもっと想像力や発想力を働かせていれば
相手に寄り添うことが出来る。


いつも周りに気にかけて、
それでも至らなくて、
悩んで苦しんで努力してる人もいれば、

自分本位にしか何でも考えられずに
中身もないのに裸の王様状態で
好き勝手に周りを振り回して、人を傷つけても平気。
むしろ、傷付いてる相手側の方が悪いとしか
考えられない浅はかな思考回路しかない…


子どもぢゃあるまいし、
というか、小さな幼い2〜3歳の子どもでも
辛い人、しんどい人、泣いてる人を見たら
"大丈夫??どうしたの??"
と心から心配して言えるのに…

なんとも情けないとしか言えないですよね


自分の精進が足りないからでしょうね…
努力することを馬鹿にしている人もたくさんいますから…


たくさん馬鹿にされてきましたから。
"「そんなこと」して一体何になるのか"と嘲笑われ、
''さっさと「そんなこと」辞めればいい"と
人の努力を「そんなこと」扱いで……

自分の狭い狭い視野でしか見てないから、
浅はかな思考でしか見ていないから
そう簡単に言える。


努力は決して、
馬鹿にされる筋合いはないんです!
卑下される必要も一切ない!

どれだけ時間を費やして、
お金だけの問題ぢゃ決してない!
どれだけ自分が
しんどくたって、辛くたって、痛くたって
その努力のために、目標のためにと日々耐え忍んで、
血反吐を吐くような事を、
小さな部分から積み重ねてやってきた労力、
独りで孤独ながらもひとつ、ふたつとやれる事を
少しでも増やしていって……
結果云々だけでなく、
それは決して何者にも馬鹿にされる筋合いはない。


というか、馬鹿にする者は
その人がいかに本当の意味で優れているかを
全く知らないからだし、実際見てないからであって、
馬鹿にしてる人に限って、案外中身は空っぽで
自身が努力をしてない事を偉そうに棚上げして、
努力している人のことを
表面上や時間ばかり使いやがってとしか思えないし、
想像も出来ないから馬鹿に出来る…
ほんと、浅はかな考えで残念な中身でしかない…
とわたしはそういう人を見るといつも感じる。


周りの配慮はわたしもまだまだ出来ていません。
至らない事だらけで、まだ精進・努力が必要だと
常日頃から考えています。


だから、失敗もする…
でもその失敗から学ぶことは沢山あって、
次に活かせることが出来るし、
失敗して周りに迷惑をかけたならば、
その分、自分の"責任"として
周りに謝罪や気持ちを込めて接しなければならない…
それは、人として当たり前なことだし、
心ある人でいたいからこそ、
大事にしていかなければならないこと。


長年のバレエや日本舞踊、勉強や仕事を通じて
わたしの大切な恩師や親友、家族、友人、
お世話になった方々たちから
たくさんたくさん溢れる以上に学んできたこと。


偉大な恩師たちにたくさん支えられて
"あなたは踊る人だから、いつても帰ってらっしゃい"
と心から言って頂いて……


それを励みに自分の身体が自由に動かない、
辛い7年間もの月日を乗り越えて、
職場で本当に歩けなくなったあの日……
原因も分からないと投げ出され、
何度も何度も検査、検査、検査の日々……
不安でしかなくて、激痛だし、
でも動きたいし、、
無理矢理でも痛くない素振りを見せてやらなければ
何のために耐え忍んで努力してきたのか…
努力が一瞬にして消えるのもたくさん見てきたし
そうなりたくないとずっと思ってきたけれど……


ダンサーは3回稽古を休むと身体が鈍ると言われます。
1回のレッスンでも休もうものなら
その1回分を取り返すのにどれだけ大変か……


まぁその世界に居ないなら分からないでしょうが
想像はできるはずです。


同じような技術を持ってる人なら
はっきり言って、"山程"を通り越して、
"腐る程"います。

その中でいかに抜きん出た部分を魅せられるか…
才能が無ければ、努力をしなければ何の価値もない。
逆に才能があっても、努力がなければ
ただの持ち腐れにしか過ぎないし、
そんな努力のない才能は、一切なんの役にも立たない。


舞踊人生30年程…
全く大したこともやってきてないし、
何も出来ずなまま…
怪我や手術・長期入院で、
何もできない期間も長かった…


自分は何をしてきたんだろ……
と自分が情けなくなる日々は常にあって、
踊りに出逢わなければと思う瞬間もあったのも事実。


しかし、踊りに出逢わなければ
素晴らしい恩師たちや
親友たち、友人たち、仲間たちには
一生出逢えなかったと本気で思っています。


わたしの軸を創ってくれた大切な人たち…


彼等に出逢えたからこそ、
きっと今耐え凌げる自分がいるんだと感じます。
辛い事、苦しい事があっても
何もない素振りでいられるのも
今までのお世話になった周りの人たちへ
配慮をかけていきたいから。


そのひとつ、ひとつを大切に……


わたしが学んできたことは
ごく限られた狭い範囲内です。

だけど、その限られた範囲内は
物凄く複雑で、奥が深く、自分の視野を
さらに広げて掘り下げてくれるものでもあり、
日常生活だけでは考えられないような範囲以上に
試行錯誤が必要で、先を見通す力も必要。
だから、その分以上の相手側・製作者の意図や
言葉の背景を一瞬で把握しなければならない…


ダンサー・舞踊家、俳優は
ただ与えられた振りや台詞を
ただ単になぞってるわけではないんです。


与えられた範囲内で、いかに表現出来るか。
"表現"とは、想像力や発想力とイコールで、
切っても切り離せない重要なもので、
作品の意図、作者・振付家・演出の意図を
見出さなければならないんです。
限られた振り、台詞から
それをすべて一瞬で考え抜かなければならないし、
その場で振付や台詞もすぐに覚えて、
それをすぐさま
身体で、声で、全て表せるようにしなければならない。
頭の先から手先、指先に至るまで、
どこも気を抜けない…
それでいて、周りよりも目を惹くように……
すべてを見越して、
先を見通してやらなければならない世界。


台本は一度読んで頭に入れろ!
振付は一度見ただけで踊れるようにしろ!

と常々言われてきました。

それが出来て当たり前の世界。
それが出来なければ、何も出来ていないのと
全く同じことだし、
自分のプロとしての存在理由も一切無くなる。


もちろん、基本のPasだって動作だって、
頭だけでなくて、身体に入ってなければ
何の話にもならない。
それが出来てないのは、
基本・基礎が出来てないのと同じ。

だから、小さな小さな基本・基礎が
大切だと言うことが身に染みてわかっているからこそ、
毎日毎日毎時間毎分毎秒繰り返す…
遊び半分のお遊戯ぢゃないから。

自分に厳しくなければやっていけない厳しい世界です。
一瞬の甘えや妥協が大きな失敗を招く…。


色々考えることが多過ぎて、
たくさん昔を振り返りました。

昔話と嘲笑われるかもしれませんが、
これがわたしを創ってきたもの。
それが"その人"を創ってきた中身なんです。
だから馬鹿にはできないはずです。


しかしながら…
こんなに考えさせられたのはいつぶりか……


考えて考えて考え抜いた先に
ちゃんと答えは出るのだろうか……
きっとその答えを出すのも努力が必要。


色々ありすぎて
頭が冴えすぎて眠れない日々が続いてます…
体調も本当に良くないからでしょうね


独りでやらなければならないのか……
考えあぐねています……

何においても自分の精進は続けていかねば…
もっともっと本質を見抜ける目を養いたい…


言葉より行動を。
それが一番手っ取り早い。
あれこれ説明して歩くのはもう正直、疲れた…
子どもの子守ぢゃないんだしね……