あーやです。





震災から5年が経った。




負けるものかと、気を張って生きて来た人。

涙を隠して、人のために笑顔でがんばった人。

知らないところで、
今なお、苦しんでいる人たちがたくさんいることを
私たちは忘れてはいけないと思う。


早稲田祭で震災支援コンサートをした時に出会った、
宮城県石巻西高等学校のブラスバンドの高校生たち。
部長を務めていた女の子と、そのご家族とは
今でもご縁が繋がっている。

そして、女の子を通じて出会った
一人のお母さんがいる。


震災で我が子を亡くし、悲しみを抱えながらも
私のコンサートに来てくれている、石巻のお母さん。

仙台でコンサートがあるときは
いつも会いに来てくれて
お会いする時は、いつも泣きながら笑っていた、
強いお母さん。


毎年、必ず来てくれていたから
また会えると思っていた去年のコンサートに


お母さんの姿はなかった。



「連れてこれなかった・・・」
ご家族が泣きながら教えてくれた。


気を張って、みんなのために顔晴っていた。
ふと気を抜いた時、現実をつきつけられた。

時間が経てば経つほど、見えてきた悲しみに
耐えられなくなってしまった。



「“震災後”、ではなく震災は、まだ続いている」


これは、石巻の女の子が
震災を忘れてはいけないと
みんなに呼びかけるために書いたメッセージだ。

高校生だった彼女は今年、成人を迎えた。





3月5日
仙台での復興コンサート終演後には
いつものように
女の子が会いに来てくれるというので
楽しみにしていた。

面会の場所まで行くと
女の子と、そのご家族が笑顔で待っていた。



そして、そこには
石巻のお母さんが微笑んで立っていたのだ。



お母さんを見た瞬間、



「よく来たね・・・・・・」

思わず声がもれ、涙が溢れた。


そして、しばらくの間
お互い何も言わず、抱き合った。


どれだけ苦しかったことか。
どれだけ孤独だったことか。

そして、その一歩を踏み出すまでに
どれほどの悲しみを受け止めてきたか。

石巻のお母さんを抱きしめた時
何も語らずとも、その思いが伝わってきた。



そばにいたみんなも、静かに泣いた。



「わせねでや」

復興コンサートで歌ったこの曲のように
東日本大震災で、友や故郷、大切な人を失った悲しみ
亡くなられた方々
そして今なお必死で顔晴っている人たちのことを
私たちは、決して忘れてはいけない。