ちょっと、これはすごい話だよ。

 

 

以前、僕の講演を主催してくれたご縁で、

知り合ったカヤノヒデアキくん。

 

なにかと、いつも面白い動きをしてるので

注目してるのですが、

先日、ひさしぶりにメールをいただきました。

 

その内容は、あなたにもとっても参考になるんじゃないかと思い、

カヤノさんに頼んで「本人」に掲載の確認をしてもらったところ

オッケーでしたので

シエアさせていただきますね。

 

カヤノヒデアキくんからのメールです。

 

―――――――――――――――――

 

ひすいさんに共有したい話があって

 

僕の友人に3年前に記憶喪失になった女の子がいます。

自分自身のことも家族のことも

日本語の単語

社会的常識など

全部忘れてしまいました。

 

 

それに彼女はもう一つだけ重大な事を忘れてしまいました。

 

それは、、、、

 

 

 

、、、、

 

 

 

、、、、

 

 

 

 

自分が歩けないことです!

 

 

 

 

というのも、彼女はもともと子どもの頃から足が悪く車椅子生活を送っていました。

ひとり暮らしのアパートには24時間ヘルパーさんがいました。

 

 

 

しかし、歩けない事も忘れてしまったので

車椅子なしで歩けるようになってしまったのです!

 

 

 

ひとりで歩いている様子に周囲の知人はビックリ!

 

そして今ではヘルパーさんのお手伝いなしにアパートでひとり暮らしをしています。

 

 

人は「思い込み」の中で生きているのだなぁと思ったお話でした!

 

 

カヤノヒデアキ

 

 

――――――ここまで。(カヤノくんメールありがとね。また遊んでな)

 

すごい話ですよね。

 

「刹那」(せつな)って言葉、聞いたことありますよね?

 

「刹那」って

「きわめて短い、最小時間の単位」なんだけど、

実は、これ仏教用語でね、

指パッチンと、指をひとはじきするわずか一瞬に

「65刹那」あるといわれてます。

 

要するに、時間って全然連続してないよってことなんです。

 

一瞬でさえ65刹那に分断されてると。

 

 

僕的な言葉でいうなら

「この一瞬に君は65回生まれ変わってるよ」

ってことなんです。

 

 

北斗の拳のケンシロウ的にいうなら(いわなくていい^^?)

「お前はもう65回死んでいる」

ってやつなんです。

 

 

 

1秒前は、もう別人なんです。

刹那的には65人以上別人なんです(笑)

 

ひきづってるのは「過去の記憶」だけなんですね。

 

だから記憶を手放せば、

歩けなかった人まで歩けるようになることも、

僕は実際にありえると思いますし

事実あったわけです。

 

僕は先日、ひとみしりをやめたことは下記に書いた通りですが、

http://ameblo.jp/hisuikotarou/entry-12275128838.html

 

恐妻家も、ひとみしりも完全に、

「気のせい」でしたね(笑)

ひとみしりという学生の頃の記憶を大人になってからも

何十年もひきづってしまっていました。

完全にひとみしりは「気のせい」だったといまはいえます。

 

 

過去って漢字をよく見てほしいの。

 

「過ち」「去」ったと書いて

「過去」なんです。

 

もうとっくのむかし、はるか昔に

去ってるよ(笑)

 

 

これからね、ひとつ儀式をやろう。

 

自分のまとっていた

手放していい記憶を全部

服を脱ぎ捨てるみたいに

1枚1枚イメージのなかで、脱ぎさってみて?

 

 

 

 

 

脱いだかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

さあ、初めまして!

いまからまったく新しい君だ。

生まれたての君だ。

 

まったく新しい可能性の扉を前に、

さあ、なにして遊ぶ?


 

では最後に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまえはすでに

Happy New Earth!

 

 

ひすいこたろうでした。

Universe Thank you

▲▲▲アリガ島▲▲▲

 

気分一新

日本一新

未来はいつも新しい!