こんにちは
気づけば今月はブログの更新が滞りがちでして・・
今日は少し時間もありましたので、常日頃から考えていることを書いてみようかと思いました。
よろしくお願いいたしますm(__)m
【祖型塾】我欲(がよく)ではなく「おたがいさま」の真心で生きる
「我欲(がよく)」という言葉がある。
これが強い人というのは、どうしても人生に暗い影を落としてしまいがちになる。
なぜか、それは「我欲」が人の真心を喪失させるものだからだ。
それで、この「我欲」とはいったいどういう意味なのか、それを辞書で紐解いてみよう。
辞書では、次のとおり解説されている。
≪自分一人の利益・満足だけを求める気持ち≫
まあ、ひらたくいえば自分勝手・自己中心的な姿勢ということであろう。
この同義語に私利私欲なんてのもあるが、ここに誰かを思いやるという真心など存在しない。
あくまでも「自分さえよければ・・」という徹底した卑屈な態度しかないのである。
しかしこの世の中というのは、自分ひとりだけが生きているのではないし、誰もが誰かの手を借りて、世話になりつつ生きているものだ。
たとえば自分が身に着けている衣服も、自分で作ったものではないし、食事もそう。
すべて自分ひとりきりで、はじめから最後まで支度できたものなどあり得ない。
そういう意味からも「自分ひとりの利益・満足だけを求める気持ち」つまり、我欲を強く通せば通すほど無理強いになって、けっきょくすべての物事がうまくいかないことになるわけだ。
もちろん中にはお金もたんまり持っていて、権力もあって、誰もがひれ伏すぐらいの存在の人物だっているわけだが、そういう人ほど我欲は十分に慎まなくてはならぬ。
それほどに我欲というのは、人の人生に暗い影を落としかねない危険をはらんでいる。
逆に、お金は持ってないし、権力もない。
そういう人であっても我欲は慎まなくてはならない。
なぜなら、お金や権力を些少でも握ったときに、一気に我欲の心が噴き出して、気が違ってしまうかもしれないのだ。
そうなると悲惨である。
では一体どうすればいいのか。
我欲ではなしに、まわりの人たちのために何かをしてあげたい、人のために役に立ちたい、そういう「おたがいさま」の心を豊かに育んでいくことが一番よいのである。
仏教の言葉では、我欲のことを小我(しょうが)と言い表すのに対し、「おたがいさま」の心を表すのは大我(たいが)、あるいは真我(しんが)という。
この大我(たいが)というのは、いわば宇宙のように広くて深遠な心のことであり、そこには自分だけではなく周囲の人々や生き物に対する感謝と敬意の気持ちが含まれている。
自分だけのためにやることなのか、それとも誰かのためにやることなのか、それだけでも意味合いは大きく違ってくるものだ。
また、人間は自分だけのために物事を考えたときは、驚くほどスケールが小さくなるものだが、誰かのためにと力を尽くそうとするとそのスケールは大きなものになる。
ちなみに昔の日本人は、それを「悠久の大義のために生きる」と、その清らかな澄み切った心で正々堂々と宣言したものである。
不思議なものだ。
きっと人間の深層心理というのか、潜在意識というのか、そういうところでは十分に理解し、納得し尽くされていることなのかもしれない。
だけど日常生活の最中に身を置いていると、絶えず己のとるべき姿勢を試されるのかもしれない。難儀なことだが、そういうものなんだろう。
ふと、そのように思った。
それほど日常生活というのは、たくさんの出来事と試練とに溢れているということになるのだろうが、それを思うだけでも実に刺激的であると言わざるを得ない。
はたして人間は、肝心なときに賢明な選択ができるだろうか。
ついつい我欲を優先してしまいがちにならないだろうか。
何事も自分さえよければ・・という慢心の気持ちが湧かぬわけでもないだろう。
どうしたって自分に対しては甘くなりがちなのが、もっとも人間らしい生き方なのかもしれず・・むしろ人間というものはそのような狭間で迷うものだろう。
しかしながらそれでは世の中がうまく回っていけないし、場合によっては不要な軋轢や不調和、そして不条理に満ち溢れた世界をつくってしまいかねない。
実際、世の中にはそうした実例がそこらじゅうをゴロゴロしているものだ。
しかしながら、それを見過ごせないのも人間の真心でもある。
我欲に忠実な、あるいは優先的な人たちがたくさん蔓延る世の中で、一粒でも二粒と稀ながらも大我(たいが)の心で生きている人もいる。
これについては対立する、しないではなく、ごく自然的に二極化されているのが世の中の常というものだろう。
あとは二極化という事実において、自分はどう生きるか?
万事はそこに尽きるとわたしは思う。
もちろんわたし自身も日常生活の中で我欲に悩まされ、翻弄される一人であることに変わりはないが、それでも「人間、いつかは死ぬのだ」という人生一度きりの死生観を常々感じている身として、いつまでも我欲とやらに縛られてしまうのは本望とは言えぬ。
やはり本懐を遂げるためにも、ここは勇気と知恵と創意工夫で乗り切っていきたいものである。
そして一人きりではなく、同じ時代に生きる人々とともに、すべての生命、大自然とともに「おたがいさま」の真心で生きていきたいと切に願う。
本日は少々長くなりました・・
最後までご覧いただき、ありがとうございましたm(__)m
感謝と敬意を込めて
すめらみこといやさか
すめらぎいやさか
すめらみくにいやさか
【祖型鑑定】【天職鑑定】と言えば、河村ジュン
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