ここんとこ、ブログやメルマガにも

対人関係での対立を書いてきた。


細かいことをあげれば、いろんな要素があって
ひとつひとつお互いに真摯に取り組んで、つまみとり、解決したものもあれば、どうしても理解しあえず第三者の協力を仰いだりした。



でよ



ほんとに



半端じゃない苦しみの中(どでかいボスインチャさえでてきた更に後)

負けた、と思ったのが



全力という正義


ダリアがすき。600円だった。


何事にも全力投球。

全力で愛す

全力で取り組む

これは、正義で愛情だと思ってた。



モノゴトは腑に落ちれば、それがわかってなかったことを不思議とすら思うものだけど、これもそうで


疲れると全てが手につかなくなるほど折れるのは、
単に「わたしは弱い」のかと思っていたら、何のことはない…

全力の反動だったのだ。


当たり前だわ、なんでわかんなかったのかニヤニヤ




私が全力を振り絞るに至った理由は2つ


ひとつはやっぱり無意識なインチャの克服。
もっと頑張ることでもっと認められるように、叱られないように、褒められるように、愛されるように、全力でやるのだ。

そしてもうひとつは親友が教えてくれたこと。
全力でやることでアドレナリンを出すのだ。
“やった感”
全力はこれを得やすい。




一方、全力によって最も失われるのは余裕

摩擦が起こった時に、私にはもう何も残っていなかった。

体力も
気力も
思考力も
なにもなかった。

だから、日常生活がままならなくなり
まともな頭で話し合うこともできず
予定を忘れ
仕事が回らなくなり
体調も崩した


なし崩しになれば、なおる仲を直す全てのちからもなくなり悪化の一途。

これでは、学びをチャンスにかえることも
私が1番やりたい、わたしがわたしを大切にすることも
なにもできなくなる。



私は幸いにも、なんとか学びへと転換してほしいという第三者に心から助けられた。


これがなければ

この先は鬱病だ。
(昔、3年間罹患経験アリ)



鬱病は真面目な人がかかるなんていうよね。

真面目っていうか、全力すぎるんだよ。

だから「折れる」

再起不能レベルに折れる。




真剣と深刻が似て非なるものであるように

この命を大切に生きることや
相手を大切にすることや
仕事に真摯に取り組むことは

「全力」とは違う。

不測の事態のときにも、そんな自分や相手、状況を大切にできる、それは「備蓄」からでるもの。
心の余裕、体の余裕、気力があってこそ

ほんとうにわたしも、あなたも
愛することができるんだ。





ねえ、こんなことを学べた喧嘩の相手

ソウルメイトじゃなくてなんだろう!


クソムカつく!!

そして超愛してるよ!!笑笑