はじめての人にこそわかりやすく⑨「にじり口」 | 自然派茶道教室「星窓」

自然派茶道教室「星窓」

自然派茶道教室「星窓」主宰。
西麻布茶室

子どもと遊んでいると、自分の子どもの頃のことをフラッシュバックで思い出すことがあるのだが、とにかく狭いところが大好きだった。布団と壁際の間とか、父親の股下を潜るとか、机や椅子の下を移動しては、頭を毎回ぶつけては泣いていた記憶が蘇ってくる。

これは自分だけの特殊な感覚ではなく、人類に共通する心理的なものらしく、どうやら心理学者などによると、「狩猟時代の人間は、猛獣などの危険から逃れる為に、洞窟などの暗いところで生活したり、危険をやり過ごしていた、この記憶が遺伝子に組み込まれている」と。

あくまで、ここからは個人的な感覚ではあるけれど、狭いところと、閉塞的なところは違うように思う。
たとえばビジネスホテルでも、窓のないシングルルームは、どこか不安感が襲ってくる。かと言って、窓は多いけれど大部屋のなかでの雑魚寝も、どこかしら落ち着かず、寝れないことが多かったように思う。

ほどよい狭さの、閉塞感のない、適度な人数が入る空間

これこそが、どうやら人間の平素、強ばった緊張を和らげ、安心感の海に浸れる条件なのかもしれない。
それは、まさにお茶室ということになるのではないだろうか。

そして、このお茶室に入るための、小さな入り口がにじり口というものだ。

まさに小宇宙へのゲートのような、身体を屈ませなければ入れない入り口が、茶会を始める上での、必須のアクションに想定されていることが、とても面白いと思う。

聖書にもあるように、狭き門より入れに通じる感覚は、狩猟採集民である前に、すべての人間が、母親の胎内にいたことの潜在記憶の安心感と結びついているように、思えなくもない。

にじり口の由来には、諸説あり、千利休が、大阪枚方の川にうかぶ舟を見て思いついたというのが有名な説だが、本当のところはわからない。密談のための場、刀をにじり口の前でかけることにより、すべての階級の人が茶の湯の前では、平等であるという世界観を表すためなど。

そんなにじり口の大きさは
二尺二寸(約66センチ)四方位。

一昨年、茅葺き職人などの仲間たちと、移動式の車茶室を作ってお茶会をしたときにも、全員一致で、このにじり口は必要不可欠だということになり、仲間の大工さんに作ってもらったことがあった。
このときも、やはり真っ先に、率先してこのにじり口で遊んでいたのは子どもたちだった。

やはり茶室という、非日常の場は母親の胎内であり、そこへと至るための露地は、どこか臍の緒にも通じ、さすると、にじり口というものはお臍かもしれない。

子どもの素へと戻っていくためのゲートウェイ。

素のままに、ありのままで、、すべてが新鮮だったあの頃のように、、

わずか66cm四方の、にじり口の果す役割は、優しさそのものかもしれない。