天皇誕生日には約100軒の玄関先に国旗が掲げられた=平成23年12月23日、東大阪市松原
震災復興へ「国旗掲げ、心一つに」広がる 創祀2670年の枚岡神社
2012.6.30 19:00 産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120630/wlf12063019010017-n1.htm
子供だった昭和40年代(1965~1974)、自宅玄関の壁には国旗立て金具が付いていた。国民の祝日にはそこに国旗(日の丸)が立てられた。隣近所も大抵国旗を玄関に立てていた。今ではあまり見かけない。そんな中、大阪府東大阪市の枚岡(ひらおか)神社が昨年の東日本大震災後、「祝日に国旗を掲げましょう」という活動を始め、氏子地域の東大阪市松原自治会では約150軒が祝日に国旗を掲げる。枚岡神社の中東弘(なかひがし・ひろし)宮司(71)は「せめて祝日には国旗を掲げ、日本の歴史と文化を見つめ直していただきたい。それが日本人の絆にもなる」と話している。
国旗掲揚活動のきっかけは昨年3月11日発生の東日本大震災だった。
たまたま中東宮司は所用で上京していた。地震発生後、電車は全線不通となり、いつ来るのかわからないタクシー乗り場も長蛇の列ができていた。寒風の中、ひたすらさまよい歩き、なんとかホテルを探し当てた。
何度も余震が続く中、ホテルのテレビには、津波によって家屋や車がまるで玩具のように壊れ、流されていく姿が繰り返し映し出され、絶句した。
「被災した方には申し訳ないが、震災を通じてある“気付き”をした。いかに日本人が傲慢になっていたか。自然に対していかに無力であるか」
反省のいい機会だったと中東宮司は振り返る。
そして、震災を通じてのもう一つの反省が「国を思う」ということ。祝日に国旗を掲げる家などほとんどない現状。「この国難を乗り越え、復興するには、日本人の心を一つにすることができる国旗掲揚が必要だ」という考えに至ったという。
地元・松原自治会が呼応
中東宮司の国旗掲揚の呼びかけに応じたのは氏子総代の一人、松原功典(こうすけ)さん(79)だった。松原さんは昨年10月中旬、松原自治会(約450世帯)の役員会で国旗掲揚を提案した。役員からは「大賛成」「掲げるべきだ」という前向きな意見が相次ぎ、「やろう」ということになった。
松原自治会は近鉄花園ラグビー場北側の旧伊勢街道沿いで、松原さんは自治会員宅を一軒一軒回り、理解を求めた。そして、初めての祝日となった昨年11月3日の「文化の日」、多くの国旗が玄関前に掲げられた。今では自治会員宅約150軒が祝日に国旗を掲げるまでになったという。
「若い世帯も多く、国旗掲揚に問題がないわけではない。しかし、今後も理解を求め、半分ぐらいの自治会員の家に国旗が掲げられるようにしたい」と松原さんは話す。
高まる掲揚の機運
国旗掲揚の動きは松原自治会にとどまっていない。
「祝日に国旗を掲げようという機運が高まり、近隣の自治会にもどんどん広がっている」
松原さんはいう。
祝日には各家の玄関前に国旗が掲げられ、町中に日の丸がはためく。40年ほど前には当たり前だったそんな風景を再び目にすることができるのだろうか。
「松原地区はもともと歴史のある町。誇りある日本の国づくりを再び松原地区から日本中に広げていきたい」と松原さんは意気込んでいる。
「来年を境に世の中はいい方向に進む。日本人の心の転換期にもなる。その流れに乗って多くの人が国を思い、国旗掲揚も広がりをみせるに違いない」。中東宮司も期待している。
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【用語解説】枚岡神社
創祀(そうし)=起こり=は社伝によると神武天皇即位の3年前で、今から2670年以上前になる。平安末期以降は「河内国一之宮」となり、明治4(1871)年に「官幣(かんぺい)大社」の一つとなった。特殊神事として粥占(かゆうら)神事(大阪府無形民俗文化財)や別名・お笑い神事と呼ばれる注連縄掛(しめかけ)神事(東大阪市無形民俗文化財)が知られる。大阪府東大阪市出雲井町7の16。
松原地区のように、何かきっかけがあれば、
あっという間に国旗掲揚が全国に広がると思います。
本当に素晴らしい取り組みですね。感動しました。