坂本龍~今夜は泡風呂ぐ~

坂本龍~今夜は泡風呂ぐ~

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みなさまご機嫌麗しゅう。
近況報告でもします。


今月、お世話になってる作家事務所との
お仕事で東京に行く機会がありまして、
せっかくなら前乗りして
誰かに会いたいとの事で、カナブーンの
鮪君とマーシー君に会ってきました。


去年の一連の報道で、あまりにも
不憫に思った俺は深夜に関わらず
鮪君に愛を込めたLINEをしたんですが、
得てして文面でのやり取りでは
精神面での心配は拭いきれずにいて、
ずっと機会があったら会おうと
決めてたんですね。


もちろんマーシー君にも会いたかったですよ。
LOVESIXがまだ方向性を決めかねている時に
サポートベースでお世話になってましたし、
もちろん大好きな人です。


しかしまぁ、
ここにきてファンの皆が
一丸となってお2人を支えるぞ!
というのがSNSから垣間見れて凄いです。
それは、鮪君が残してきた『生き様』だったり、
人生に対する誠実さだったりの賜物だと
思います。


鮪君とはもう5年くらい会ってなかったんですが
LINEでのやり取りは定期的にしてました。
新曲を褒めてくれたり、
俺が逆にカナブーンの新曲を絶賛したり、
なんやかんやと。


それでも5年ぶりに会えることが決まって
胸が躍りましたね。
なにせ後輩及び弟子ですからね。俺は。

当日、鮪君が予約してくれた焼肉屋さんの
住所を見て、
ふむふむ、世田谷区ね
などと知ったような感じで乗換案内を
7分置きに睨めっこしては、
ついに世田谷駅に降りるも、
そこからその焼肉屋は徒歩35分と
驚愕の数字を突きつけてきた時は
流石に焦りましたね。


いや、単純に俺が最寄りの駅を
勘違いしてしまっただけの話なんですが。


競歩よろしくスピードで
世田谷を駆け回り、15分遅刻からの
5年ぶりの再会は、
いい意味で久しぶりな感じもなく
相変わらず毛布のような暖かい人でした。

マーシー君もきてくれて、
楽しかったです。

お2人は今のカナブーンの状況を
楽天的に捉えていて本当に安心しました。
まぁ、こんなにも沢山の名曲を
世に残し続けてるんですから、
鼻から俺が心配する余地もなかったんですがね。


という名目とは別軸で、
俺が今回こんなに素直に
会いたい、と連絡出来たのは
もちろんお2人の状況を
心配していたりもあったけど、
それよりも
紛れもなく俺だって音楽業界に
喰らい付いてるからなんですね。

20代は色々あったし、
『アイツはもう終わった』なんて
方々で言われてたと思うけど

その次の日だって、東京でアイドルの
Recの仕事があって、
作家活動もそれなりに結果出していて、
琳子という天才シンガーのプロデュースも
してて、なんというか、
いまだにお金はそんなに無いけど、
ちゃんと必死に音楽やってる。

だからやっと会えると思ったし、
実際鮪君も俺の近況をそれとなく
分かってくれてたから今回
すんなり会ってくれたんだと思う。


鮪君は優しいけど、厳しい一面もあるからね。
『別に昔からの知り合いでも
音楽やってない奴とは話すことがない』
って、きっぱり言ってました。

まぁ、そうですよね。
俺だってそうです。


冷たいって思われるかもだけど、
昔からの地元の友達とかは除いて、
音楽で切磋琢磨してきたやつらが
音楽をやめて、別の人生を歩んで、
それはそれで尊敬するけど
別に話すことは無いし
会いたいとも思わない。



実際、焼肉屋さんでは
思い出話に花を咲かす事なく
これからのこと、これからの音楽のこと、
たまに女の子のこと、
そんな感じでした。


アツイよね。

FUZZ時代の話とか、昔住んでた家の話とか
色々あるけど、
いくらお酒が入ろうが
思い出話とかどーでも良いんです。

今が全て。
今何をしているか、目は輝いてるか、
ワクワク出来ているか、人生における
重要な事ってそれ以外に何もないですね。


と言うわけで、
やっぱり尊敬出来る先輩の前では
永遠に後輩ムーブしてしまいますね。
ずっとヘラヘラしてました。甘えてました。
お肉、1枚も焼きませんでした。
マーシー君がずっと焼いてくれました。
いや、流石にぼく後輩としてヤバすぎるんで
焼かせてくださいって言ったら止められました。

後輩はただ食べるだけで良いって言われました。



いやはや楽しかったな。

近いうち、
我々が琳子を率いてフェスで共演しますよ。
それは絶対。



次の日は疾走クレヨンのレコーディングでした。
これまた初めての経験で、
自分が作った曲の歌入れ現場というのは
少し不思議な空間でしたね。

しかしながら俺はリーダーシップというものを
持ち合わせていないので現場の統率には
苦労しました。
というか、途中からペアの作詞家の人に
任せてました(おい)

そんな反省点も踏まえて、
これまた持ち帰るものばかりでしたね。



しかし本当に何も食べる時間がなく
初めて新幹線でお弁当を食べました。
新幹線でお弁当を食べるの、
なんかめっちゃ恥ずいんですよ。
でもそんなのどうでもいいくらいに
お腹が空いてましたね。



さて、音楽を続けます。



















つい先日『間一髪で助かった』
という経験をした。

この『間一髪』レベルは尋常では無かった。

終電間に合った〜〜と言うような
生優しいものではない。
例えるなら入試開始5分前に起床し絶望するも
そこに突如ケンタウロスが現れ、
入試会場まで猛スピードで運んでくれて
無事に間に合う、くらいの、
運の要素も孕んだ間一髪度合いだった。



友人宅で遊んでいて、そのまま
泊めてもらう運びとなり
楽しい一夜を過ごした。

そしてその翌日お昼ごろに解散し、
とりあえずお風呂に入りたかった俺は
なんか自宅のお風呂に入るのが
嫌だったので(夜に入ると言う概念があるから)
そうだ銭湯に行こうという決意をした。

昼間から開いている銭湯に着き、
入浴券なるものを買い、鍵を渡され
スムーズに更衣室まで到着した。

何せ銭湯は久々だったので、
『あれ、銭湯のシステムって
こんな感じだっけか...?』
と、更衣室に至るまでの一連に、
一抹の違和感を感じた。




何か、ものすごい大事な何かを
すっ飛ばしている気がしたのだ。


まぁでも、銭湯で抱く違和感なんて
特段大した事ないだろうと、
その違和感をおざなりにした。


それにしても銭湯というのは異常である。
あらゆる他人が一同に介して
全裸になり、思い思いにお湯へ浸かる。
なぜ暖簾をくぐったその先から
全裸になっていいんだ。

誰が決めたんだ?
ほんまにええんか??
脱ぐぞ??俺は今から、脱ぐぞ??


あのお爺さんも、あの坊ちゃんも、
そして俺も、この空間に流されて
上半身はおろか
下半身までも全開に露出してしまっているが、
果たしてこれは大丈夫なのか??


突然警察が乗り込んで、
こうぜんわいせつなんちゃらの罪で
手錠を掛けられたりするのでは??



と、あまりにメタすぎる感情を抱きながら、
まぁ入るか。と、扉を開けた。


これだ、銭湯というやつは
まず掛け湯をしなくてはならい。


桶でお湯を掬い、
いざ身体に掛けようとしたその瞬間に、
脳内で『ヤメロ!!』
と、もう1人の危機管理に長けた自分が
素っ裸の俺に言い放った。


なぜ、もう1人の俺が掛け湯を
中断させた...?





これは、果たしてさっきの違和感...??








は!!!!!












バスタオル買ってない!!!!!!!! 









そう、俺はあまりの銭湯ブランクに
バスタオル、ミニタオル付きの券を横目に、
ただただお風呂に入る権利だけを
得ていたのだ。



このシンプルかつ大胆な失念が、
冒頭の違和感だった。



もし
あのまま掛け湯をしてしまっていたら、
俺はタオルを持ってないのに
びしょ濡れになっていた。
そしてそのまま浴槽に浸かり、
身体を洗ったりして、
うぃ〜という具合に更衣室に戻る。
そこのロッカーにはタオルが無い。
無いのだ。

つまりそれは、
水分を吸収する術が無いのだ。


びしょ濡れ散らかし人間の誕生である。


そうなれば
そのまま自然乾燥を待つしかない。
恐らく30分はかかるだろう。


更衣室に、お風呂にあがった人間が
拭くでもなく、ただただ直立不動で
自然乾燥に身を委ねている人間がいたら、
それはもう不審者だ。



見てパパ、あの人濡れたまんまで
ひとつも動かないよ



見ちゃダメ、
さ、なんか飲み物で買おっか


と言った囁きが方々で行われて


いよいよ警察が到着し、

『君に通報が入っている!
びしょ濡れ罪で逮捕する!!』


と言った感じで牢獄生活がスタートするのも
安易に想像が出来る。



そんな地獄ライフを
間一髪のところで食い止めた。
しかもこれは他人による助けではなく、
本能の部分で、実力でだ。



実力で勝ち取ったのだ。



その誇りを胸に、
もう一度更衣室で服を着、
番台に向かい
『なんかタオル買うの忘れちゃってました笑』
とヘラヘラしながら
事なきを得た。




ありがとう俺。
そしてケンタウロス。






僕は有難い事に、ネットでハネて
不特定多数の人に自分の作品が届いた時期に、
誹謗中傷に悩まされた事って1度も無いんですね。

沢山コメントを貰ったけれど、
ほとんど無かったんです。
本当に恵まれているな、と思っているし、
ネットと言うものに対する
ネガティブな印象に反して、
良い人たちも多いんだと言う所感を持っています。

まぁ、これからあるかも知れないけど。



それにしても、
昔から『人の縁や運』が良いんだと思います。

僕がここから展開したい話が、もちろん
ただ自慢したい訳ではなくてちゃんとあるんです。


そうやって人の運や縁に恵まれてきた、
親や親戚からも真っ当に愛されて
友達も、学生時代から恋人も出来て
いじめられる事もなく、
なんとなくスポーツも勉強も芸術も
こなして育った僕は
この世界の混沌とした、有象無象の闇のような
物を『食い止めないと』いけないんですね。

そんな使命があると、勝手ながらに思ってます。

何をヒーローぶってるんだ?と、
そんなふうに思われてももはや良いです。


何故ならば『心のゆとり貯金』のようなものが
莫大にあるからです。


つまりそれはどういう事かというと、
ネットに転がる本当にヤバい人たち、
絶対に折り合わないであろう人たちは、
そう言った生い立ちの背景が僕とは
まるで違い、『心のゆとりの違い』の絶対数が
違うからなんだと思うんです。


それは、不可抗力じゃないですか。


そう言った心のゆとりの違いみたいなものって、
10代の時点で完成してしまう気がするんです。

いくら可愛い子でも、
親に愛されて育てられなかった子は
いつまで経っても自己肯定感が
低いですよね。


いじめを経験した人は、
そこから社会でどんなに評価を得ても、
つけあがらずにずっと謙虚な気がします。
それは早い段階で人間の底を知ってしまったからなんだと思います。


厄介な事に、心のゆとりというのは
ある程度の年齢で熟成されて、
増やすことはとても難しく、
減らす事はとても容易いんです。


例えば心のゆとり貯金が沢山ある
コンビニ店員さんがいるとして、
心の貯金が乏しいサラリーマンは、
何かのきっかけで
その店員に怒鳴りつけたとします。

この時点で、如何なる理由があれど、
年下の店員を怒鳴ると言う行為を
理解する事が僕には出来ません。

でもここで、心のゆとりの背景を
想像すると幾許か合点がいくんですね。
なるほど、この人の歩んだ若き時代が
なんとなく想定出来る。

だからと言ってそれが
許される訳ではないんですが、
ここが『食い止める』という事に繋がるんです。

そのコンビニ店員さんは、
ゆとり貯金が沢山あるから、
負を『食い止める』ことが出来るんですよ。

こんな事があった。
友達に話そう、恋人に言おう。
何かで発散しよう。

ここからがポイントです。
そのコンビニ店員の
心のゆとり貯金が、『普通』くらいだったら
どうでしょうか。

確実に貯金が削がれます。
負のパワーは強いから。
ひとたび
『ゆとりが乏しい』状態に変化して、
例えば自身のSNSで、
有名人を誹謗したりする形で
発散したりなど。

そして、その誹謗を受けた有名人の
心のゆとり貯金がそがれて、

と言った最悪の負の連鎖というものが、
ネット及び実生活で起きているんですね。


繰り返しになるんですが僕は
心のゆとり貯金があるので、
僕と関わってくれている
人には無条件で優しく接したいんです。

それは嫌われたくないから、と言った
安直なものではなく
上記で挙げた感じなんですね。

多少鋭利な物をぶつけられても、
それを食い止めるし、負を連鎖させない。
負を、ここで止める。


それが、役目だと思ってます。
社会を良くするとか言うとかなり
仰々しいけれど、それに通ずるものがあると思います。


とは言っても精神の強度はまた別問題なので、
何があっても食い止められる、そんな自信はないですけどね。


けれど、最善は尽くしたいなって思います。

現時点で、僕の周りは皆優しいし、
嫌な気持ちになるなんて事は、
ミクロな単位ではあっても
マクロな単位ではないです。


頑張っていきたいものですね。