過去記事【わたしの手】 | 【うずめカフェ】ikukoのブログ。身口意そろえて味わう人生を。

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4年前の懐かしい記事。
この辺りから、自分のパーツを愛でる
こんなところから少しずつ方向を変えてきたな。

もうそれが気にならなくなり、
自分のパーツを好きや愛おしいことが
私の中に完全に溶けて、溶けて、
新しい言葉を生み出すまでになってくれたこと
すごく嬉しいことだと思う😊


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わたしは自分の手が
ずっと恥ずかしかったの。

身長チビなわりに手が
大きくて、分厚くて、
男の人より
大きい事も普通にあったから。

ゴツゴツしているし
ソフトボールで突き指した
後が沢山曲がって残ってるし。

小さくて華奢な手が
羨ましくて仕方なかった。

男性と手を握ったらもう、
即嫌われポイントになると
思い込んでたよ。

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もちろん、今は好きなのね。
わたしの手。
大きくてあったかくて
器用で、触れ合う人に優しさを
伝えてくれる、この手が好き。

それでね、単に嫌いが好きに
なった、というよりも、

何をもって
嫌いだったのか。
何をもって好きなのか。

幸せな鍵って
結局そこの部分だよなーと
思うの。


嫌いの根底にあったのは、
見た目だけで全ての
性のランク付けをされる
という恐怖。

誰がが決めた「女らしい」
価値観からはずれてるって
思い込み。
女として愛されないんじゃ
ないかという恐怖。
不良品の烙印を押される不安。



一方

好きの奥深くにあるのは
わたしという性をまるごと
自分に愛されている感覚。

性は生きること。
今世この身体のパーツ全部を
生きることへの信頼みたいなもの。

 
この手は、
「人より曲がっているけど
好きになった」のではない。

ちょっと曲がってるということ
そのものがわたしだ。

 
「手が大きいけど…」って妥協して
好きになる努力をしたわけではない。

このサイズがわたしだ。



ただ、そうだということを
愛おしく淡々と捉えているだけ。
なんの努力も変化もない。

これがわたしだ~♡って
とても単純で気持ちのいいこと
なんだよね。



誰が決めたかわからない
基準を抱えて悩む、
その自分イジメにいい加減
飽きて一抜けた後は、

美しい、という言葉を
この手に沢山かけてあげたいと
思うようになった。
 
よく働く手だね、と労わるように
マッサージもするようになった。

子どもの頭をなでながら、わたしの手も
その感触に同時に癒される。

手からの伝達はいつも一方通行じゃない。
伝えて伝わる感覚がより大切になった。


爪も、綺麗にしたりしてね。
好きな香りのハンドクリームを買ったり。


ほんとうにこの手は
ベストな手やねぇと時々瞬間で褒めちぎる。

意識が言葉になるより早く
秒速マッハで「♡♡♡♡♡!!」と
褒めちゃうのだ。


そう、幸せな鍵って
自分で自分を愛する視点を限りなく持って
それですっかり気を良くして
淡々とあることなのかなぁ
と思う。