標高220m・比高200mの中山城(八頭町門尾)…
源範頼の嫡男、吉見次郎範国の居城であったとも伝えられるが、詳細は不明である。
なお、羽柴秀吉が鳥取城を攻略した際、ここで福田新三郎光信がこれに反抗して敗れ、山下の紙子谷村に一子とともに下り、帰農したと伝えられている。
(※郡家町誌より)
山頂に鉄塔でもあるのか、舗装された道が山へ続く…
しかし途中から単なる山道となり、さらに進むと道は完全に消滅…
直登して行くと、広い帯曲輪に
這い登ると、上にも曲輪が…
妙に石が転がっている…
よく見ると、倒れた宝筺印塔や五輪塔だ
不気味な…
南に下りた所にも帯曲輪があり、こちらにも宝筺印塔が倒れている
踏まないように気をつけ歩く…
さらに下にも帯曲輪…苔むした宝筺印塔が何基かある
こんな誰も来ない山中に…
「中腹に宝筺印塔が三基あり、その下の山林には五輪塔が数百個転がっている。この中山は昔 千軒寺があたったとも伝えられ、非常に繁栄した場所であると伝えている。」
(※郡家町誌より)
…この下…南側の山林には五輪塔が数百個
城山と言うより、まさに墓山
尾根に戻り、東へ行くと、こちらにも曲輪
その東上にある曲輪が、この城では最も高い位置になる
西側と東側の曲輪群の間は、土橋状の尾根で繋がる
北西から登ったが、南から登ると数百もの五輪塔が転がっているらしいという、恐ろしい城である…
旧八頭郡郡家町の城
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