わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の
人こそ知らね かわく間もなし
私の袖は、引き潮になっても見えない沖の石のように、人には知られていませんが、涙で濡れて乾く間もないのです。
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この歌を詠んだ二条院讃岐の父、源頼政は、以仁王とともに平家打倒の兵を挙げたものの、計画が露見して平家の追討を受け、「宇治川の戦い」で敗れて自害しています。
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讃岐はその頼政の娘です。
今でいうなら犯罪者の娘です。
けれど彼女はとても優秀で、頼政の人柄を惜しむ人も多かったため、なんと彼女は後鳥羽天皇の中宮任子(のちの宜秋門院)に出仕を命ぜられたのです。
武家の女性としては、この上ない栄達です。
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そして「潮干に見えぬ沖の石」は、平家全盛の時代にあって隠れて見えないシラス国の本来の姿が、重ねられているのです。
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