来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
この歌は「新勅撰集」に撰入され、詞書には「建保六年内裏歌合恋歌」とあります。
歌の優劣を競う場で、藤原定家が「恋」をテーマに詠んだ歌です。
来るあてのない恋人を忘れられずに待っているのでしょうか。
恋しい思いを断ち切ることは、千年前も今も簡単にはいかないようです。
定家が女性の立場になって詠んだこの歌を、純粋に恋歌として鑑賞しても、もちろん構わないと思います。
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藤原定家と同時代を生きた人であれば、定家が「恋に焦がれて」なんて詠んだら瞬間的に、恋とは別の意味があることを察したでしょう。
なぜなら当時の社会情勢や人間関係、定家の人柄や考え方をよく分かっているからです。
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九十七番歌で藤原定家は「身を焦がす思いで、もう訪れることのない平和な世の中を待ち続けている無念さ」を詠んでいるわけですが、この歌意はそのまま「百人一首」をつくった動機と重なっているのです。