第45回倭塾でお話しました稲塚権次郎博士の「小麦のお話」は、ねずブロの初出が2008年で、以後何回かブログにアップさせていただき、また『ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人』の第一巻にも掲載、偕行社の機関誌『偕行』にも、すこし切り口を変えたものを投稿させていただいたりしたお話です。


いま日本は、小麦の大量輸入国です。

けれどその小麦は、日本で生まれた小麦です。

世界の人類がたった70年で、20億から70億に増えたのも、その小麦が原因です。

そして本来、穀物の種子は国外持出し禁止のものです。


小麦は、米、トウモロコシと並ぶ世界三大穀物のひとつです。

なかでもいちばん生産量(消費量)が大きいのが小麦です。

パンやパスタが主食となる欧米では、小麦は、国家の食糧自給のための最重要品目です。


小麦を主食とする国では、どこの国でも小麦の生産は国が管理しています。

国民あっての政府だからです。

何よりも自国民の食を最優先するのは、あたりまえのことです。

国が管理し備蓄しなければ、万一の際に国民が飢えるのです。


ですから国内で生産された小麦は、まず自国で消費備蓄する分を政府が優先して確保します。

余った分だけが、輸出にまわされるのです。


日本では、戦前には全国どでもみられた麦畑は、いまではほとんど見かけられなくなっています。

戦前は、小麦は自給率が百パーセントだったのです。

ところがいまでは年間消費量約600万トンの90割を輸入に頼っています。

輸入先は、1位米国、2位カナダ、3位オーストラリアです。


要するに日本は、大東亜戦争の戦勝国から小麦を買っています。

ただし、ここが大事なのですが、我が国が連合国から小麦を買えているのは、彼らの国に余剰生産高があるからです。

凶作となれば我が国に回される小麦はなくなります。

その、日本が輸入している小麦は、実は日本生まれの小麦です。


昭和20年のことです。

戦勝国として日本に乗り込んだGHQは、日本が開発し研究してた農作物の新種の種子を大量に収集して、米本国に送りました。

根こそぎ全部です。全部、米国に持って行きました。


この中心となったのが米国人農学者のS・C・サーモンです。

彼はGHQの農業顧問として来日し、日本で開発された「農林10号」と名付けられた小麦を知りました。

彼は自ら岩手の国立農業試験場に出向いて、収穫前の「農林10号」を視察しています。


そこで彼が見たもの・・・。

それは、これまで世界の誰もが目にしたことのない新種の小麦でした。


***


いま世界の人類の生存を支えている小麦の品種は数百種類に及んでいますが、けれどそれらは、ことごとく日本で開発された「農林10号(ノーリン・テン)」の子供たちです。

その「農林10号」を開発したのは、日本人の農学者、稲塚権次郎博士です。

ちなみに稲塚権次郎博士は「農林1号」も開発している。

「農林1号」は、コシヒカリ、ササニシキの親です。


いま、世界で最も多くの小麦を生産しているのは、chinaです。世界第一位です。

しかしchinaは、もともと世界第一位の生産国だったわけではありません。

戦時中に「農林10号」を開発した稲塚権次郎博士が、北京の華北産業科学研究所に農業指導のために招かれ、小麦の改良と指導を行った結果です。


稲塚博士は、終戦後も国民党政府から「帰らないでくれ」と懇願され、終戦後二年もchinaに留まっています。

博士が日本に復員されたのは昭和22年のことです。

おかげでchina全土の小麦収量は3倍になりました。

当時5億だったのchinaの人口は、いまでは15億になっています。


稲塚博士がにchina招かれたとき、日本が博士をchinaに送ったことは、これまた実は普通ならあり得ないことです。

上にも申し上げましたが、自国の主要穀物の種子は、国外持ち出し禁止が大原則だからです。

けれど、chinaは貧しい国でした。


猫の額ほどの小さな耕地で、本当に貧しい農家が、食物を作り、できあがった食物は、役人たちが根こそぎ奪っていく。

このため、広大な土地がありながら、広大な農場の経営が育たず、飢えた人ばかりが、それぞれの生き残りをかけて奪い合い、騙し合いをしている状態となっている国でした。


誰もが食えないから、奪い合う。

貧しいから、人を騙してでも、自分が飯を得ようとする。

だから戦時中の日本は、大東亜戦争のさなかでありながら、chinaに稲塚博士を派遣し、chinaで豊富な作物が得られるようにしました。

みんなが安心して食えるようになれば、chinaは変わるに違いないと信じたからです。


***


日本は、バブル崩壊後不況下にあるとはいえ、豊かな食に恵まれた国になっています。

焼け野原となったはずの日本が、終戦直後には世界の最貧国状態だったのに、わずかの間に世界有数の富める国に成長し、おかげで国を守るべき政治家まで「平和ボケ」してしまうくらいの平和と繁栄を手に入れています。


言い換えれば靖国に眠る236万柱の英霊は、神々の意思に添って世界に人種の平等を実現し、世界を飢えから救い、戦後日本の平和と安全と繁栄を実現したといえるのではないかと思うのです。

そしてそのことを我々日本人が謙虚に学び、英霊への感謝を学ぶとき、日本と世界は、新しい大いなる発展のときを迎えるのではないかと思うのです。