所用があり山梨に来ているのですが、県立図書館で興味深いシンポジウムが開催されていたので、聴講してきました。

「フィンランドから学ぶ子育て、地域作り」

フィンランドは(直近の調査では日本が上回りましたが、)pisaの学力調査で長年日本を上回り、世界のトップクラスを維持してきたことから、その教育システムは"フィンランドメソッド"として注目されています。

学習時間は、日本の1/3。
宿題はあるが、塾は無い。

それでもなぜ、日本の子どもの学力を上回るのか?

この問いに対する答えの1つは、学習に対する子どものセルフモチベーションの高さにあるように思いました。

フィンランドでは、保育園に通っているような小さい時から
「何のために学ぶのか?」
「どんな人生を歩みたいのか?」
「そのために何を学ぶ必要があるのか?」
という対話を子どもと長年重ねるそうです。自分自身が必要性を感じ、自発的に学ぶから概して学習意欲が高い子どもが多い。

また、フィンランドにおける教育のもう一つの特徴として「森の中で自ら学ぶ」ということがあるそうです。

1歳になったばかりの子どもも、森の中に入って色々な経験を積んでいくそうですが、驚いたことに、境界線として定められているマイナス15度を下回らない限りは、雨が降っても雪が降っても森の中で遊び、学ぶ保育園が数多くあるそう雪
寒い国なので肺を鍛える目的もあるとは言え、すごいですね汗

森の中では、例えばタペストリー作りとして、
どんな材料が必要かはてなマーク
どれ位の長さの木がそれぞれ何本必要かはてなマーク
どんな組み合わせ方をすれば良いかはてなマーク
などなど、理科、算数、工作など様々な分野の知識を体験を通じて吸収していくんだそうです。

このあたりは、★過去記事★に書いた「優秀な子どもに共通するのは、実体験の多さ」と相通じるものがありますね。

更に、もう一つフィンランドの教育の特徴として挙げられるのは「個々の尊重」ということ。

個々を尊重しながらのびのび育てる文化があるため、違いを認め、異なることを恥ない。言い換えれば、「ポジティブに諦める」風土があるんだそうです。

個々に成長スピードが異なるため、教師はそれぞれの成長/発育に対応した指導をしなくてはならず、同じ教室の中で一人隔離されて授業を受けている子どもの姿も珍しくないとか…。日本では間違いなく問題になると思いますが、発育に応じた適切な教育を受けることは当然の権利であるからそれを恥に感じる風土は無いし、勉強が出来ないことを理由とするいじめもほぼ皆無なんだとか。

また、学びのスタイルも子どもが自ら決めることが出来るため、教室内で立って勉強しても良いし、寝転んで本を読むことも許容されているんだそうです。今日投影された小学校の写真には、子どもたちがくつろぎながら本を読めるようにFatboyのクッションが校内に幾つも置かれていました。
それが良いか悪いかは別として、「お勉強はきちんと座ってするもの」という観念が強く、幼児教室によっては0歳児クラスから机と椅子が設置されている日本人にとっては、かなりのカルチャーショックかもしれないなと思いましたあせる

なお、フィンランドの教育システム自体は日本同様、日本の義務教育に相当する基礎教育と呼ばれるものが9年間あり、子どもたちはその間に冒頭に書いた問いを繰り返し自らに問いかけながら自分探しをして、資格社会なので必要な職業資格(美容師、整備士など)を身につけて社会にでていくそうです。
大学に行くことはエリートコースではなく、給与も大卒だから優遇されているという訳ではないんだそう。

ところで、フィンランドの教育を語る上で欠かせないのが公立図書館の役割で「市民の居間」として機能しており、図書館で編物をするも良し、下校後に立寄りOKの学童的役割も果たしているんだそうです。
人口が少ないので、絵本が2,000円など本が高いという背景もあるものの、貸し出し図書は1回40冊までOKで30日間、3回まで延長可能というルールで、各家庭の本棚には借りた本が沢山並んでいるんだそうです。

先述した個別指導に加え、先生に時間割を決める裁量があるなど、教師の負荷はかなり大きそうですが、それに対しても教師は教えることに専念できる支援体制を敷くことでサポートしているんだとか。

今、幼い娘に知育と称して色々な働きかけをしていますが、私の思いの押し付けにならないよう、娘に
「何のために学ぶのか?」
「どんな人生を歩みたいのか?」
「そのために何を学ぶ必要があるのか?」
と問いかけながら、一緒に様々な取り組みをしていきたいと思いました。

今日は意義深いシンポジウムに期せず出席出来て、本当に有意義でした