婀娜・艶・粋
全ての人の人生は、その人のもの。
生まれてはいずれ消えていく、無数の命、でも一つとして同じものはない。
それにしても、とてもじゃない、真似るどころか、見本にもならない、
この人ならではのご一生、Marlene Dietrich(マレーネ・ディートリッヒ)様。
1901年12月27日~1992年5月6日、享年90歳。
昨日の記事が日本の粋の極みのような、「瀧の白糸」の姉さん。
さて、今日、どこへさすらったものやら?といって、あそこから行く先というと、どこ?
1930年「Morocco(モロッコ)」
1932年「Blonde Venus(ブロンド・ヴィナス)」
1934年「The Scarlet Empress(恋のペーシェント)」
三作とも、Josef von Sternberg(ジョセフ・フォン・スタンバーグ)監督作品。
昔、私が子供の頃、映画は、親に映画館に連れて行ってもらうか、
テレビのロードショウで、吹き替え、カット・CM入りで見るか、どちらかでした。
レンタルビデオが出来たのって、いつだろう、大学時代、ぎりぎりあったかなあ?
始めてディートリッヒ様にお会いしたのはいつだろう。お写真が先だったと思います。
「この人は何なの~!!!!!!!」でしたね。グレタ・ガルボ様と二本立てになってる、
シネアルバムを購入し、読みふけったものです。
映画で初めて拝見したのは「Dishonored(間諜X27)」(1931年)が先じゃないかな、テレビで。
次が、先日閉館した映画館で「モロッコ」。
もっと見たい、でも機会がない、本で写真を拝見し、あらすじを読み、
スクリーンで拝見出来る日を、夢に見る・・・映画館で上映されたら、
それこそ幸運!躍り上がりました。(都会じゃないですからね、機会はごく稀少です。)
情報量も、今とは格段に違う時代でした。(田舎ですから~。)
時代が移ろい、今は、あの頃の状態は過去のものとなり、ビデオすら過ぎ去り、
映画館の上映すら、DVD・Blu-rayへと移行しつつあります。
その情報量のおかげで、昨日は「瀧の白糸」を拝見し、魅了されることが出来ました。
あの義侠心溢れる鉄火肌の姉さん白糸。
ああ、マレーネ・ディートリッヒ様、そのもののようなキャラクターかもしれない!
で、本日は、御大・ディートリッヒ様の艶姿を拝見させて頂こうと思った次第。
ナチスを忌み嫌い、家族と会うことが不可能となってもアメリカに留まり、
前線兵士慰問機関に参加、普通女優が行けるような場所ではない最前線にまで行き、
兵士が歌う「リリー・マルレーン」を自らも歌い、対独放送でもその曲は流れ。
兵士慰問でのステージが、人生で一番の時間だったという感想は、
キャラクターとしては全く違う、マリリン・モンロー様と同じもの。
モンロー様も、彼らが望んでいるのだからと、朝鮮戦争でセクシーな衣装で歌い踊り、
新婚旅行中、妻に抜け出されたディマジオ様の怒りは買うわ、肺炎にもかかられた・・・
でも、必要とされ、喜ばれ、辛い戦場での、一時でもの兵士たちの喜びとなることに、
身体をはられた女優魂。人種差別に、行動で異議を唱えられたのも、共通です。
美しき女優として花開き、祖国から冷たい石つぶてのような気持ちを抱かれながらも、
信念を通し続けた人。恋多き人でもある中で、この頃に付き合われたジャン・ギャバン様との、
ギャバン様は結婚を望んだという恋は有名。家庭を築けないことが別れの原因とか?
お互いが離れた場所で、恋人も持ちつつも、絶大な信頼関係が築かれていたという、
旦那様との関係も、ちょっと、他ではあまり聞かないようなディートリッヒ様独特の愛情関係?
力強き人、マレーネ様も、時代の移り変わりや年齢によって、映画のご出演は減り・・・
でも、ご友人を迎える時は、必ず手料理でもてなされ、家庭的で温かかったと伝わる。
白糸姉さんも、季節が夏を過ぎると仕事が激減し、艱難辛苦の冬を迎えていらした。
それでも、困った知り合いを見ると、ほっておけない白糸姉さんと重なります。
活動の場をステージに移し、人気を博しつつ、負傷により、引退を余儀なくされた、
ディートリッヒ様。舞台に立たれていらした、最後の最後近く、万国博覧会で来日。
「飲み物はペリエを用意して」と言われた興行側は、「ペリエって何~!!!」から、
どうやったら用意できるかまで、大変だったと言われていたのが印象強いです。
そこそこの飲食店なら、たいていおいてあるし、簡単に購入もできる今とは時代が違うなあ。
でも、この時のマレーネ様の美しさは、今も変わらず美しい。
全盛期を過ぎそうになったらご引退され、資産を確保され、保障された人生を全うされた、
グレタ・ガルボ様、映画ご出演時代が重なるせいか、比べられることの多いお二人。
シネアルバムも両面表紙の珍しい二本立てだった。生き方は、「自分のスタイルを確立した」。
そのこと以外は、本当に、何から何まで反対っぽい?
「老い」を全く否定せず、「マレーネ・ディートリッヒ」として、動けるぎりぎりまでを全うされた方。
そこまで働いても、蟄居後は、こっそりと持ち物を手放されなければならない財政状態で、
それでも、「ディートリッヒの」と言えば、高く売れるものを、「あのディートリッヒが」と、
夢を壊すことがないようにと、友人に託して、こっそり手放されていらしたそうです。
ご引退の翌年、旦那様とジャン・ギャバン様が同年に死去。
ギャバン様からは、贈ったプレゼントが返却され、深く傷つかれたと伝えられています。
でも、ディートリッヒ様、私はギャバン様をもちろん知らないので、無責任かもしれませんが、
自分の死後、一時は深く愛した女性から貰ったものが散逸するのを防ぎ、ギャバン様は、
ご遺言として、相手の手元に遺せるようにされたのではないでしょうか。
そうでなければ、とっくの昔に突き返すか処分するかされていた筈。
物も、思い出も、大切にされていたのだと思いたい・・・
白糸が愛した欣弥も、白糸への感謝を最後まで貫いたように。
何となく、色々恵まれているようで世知辛い面も多い現代。
白糸様やディートリッヒ様は、夢の華のような気がいたします。
おまけ: つい・・・どうしても、願い事を短冊に書いて、付させて頂いたら叶いそうな一枚。
ロミー様が亡くなられた報道が流れた時は「あのドロンが全部悪いのよ!」と、
頭から湯気を出されたそうで・・・やっぱり義侠心というか、鉄火肌というか・・・
↓ そんなディートリッヒ様に「清き一票を」?
「いえ、結婚しても別れてたと思うし」byロミー様????
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