南米に出て2年。いろんなことから学んだこと。”人と人の繋がり” が ”ミライへの架け橋に” | 平識善昭のブログ

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人と人の繋がりが、ミライへの架け橋に?
これだけじゃ、なにを意味しているのかよくわかりませんよね。






僕が18のときに初めて南米に来たとき、いろんなことに困りました。
コミュニケーション、食事、生活、人間関係、と環境や文化の変化にとても戸惑っていました。

そんな環境のなかでも、とにかく頑張って慣れようと毎日必死にいろんなことに携わったり、サッカーの練習中もとにかくみんなの輪に積極的に入ったりと、ほんとに当時18の俺は頑張ってたと、今思います。

でもそんな俺でも、一人になるとすごく寂しくてホームシックみたいになるときがあって。
でもね、そんなときリマに日本人宿があると知り、そこを訪ねたらすごくステキなfamilyが経営していて、なんだか日本にいるような感覚に陥って、一瞬で虜になったなー。

なにか暇さえあればその宿に行って、誕生日もまさかのサプライズをしてくれたり、二周年記念パーティーにも招待してくれたりと、とにかく心の寄りどころができた気分で、ほんとに心の底から感謝の気持ちでいっぱいです。

その宿のおかげでたくさんの旅人と出逢えたし、その人たちの日本にいたら絶対に聞けないような貴重な話を聞いたりとほんとに、日本を出てこんなにも出逢いって素晴らしいんだなって実感しましたね。

楽しい時も、苦しいときも、宿のfamilyと一緒に笑って、一緒に悩みを聞いてくれて、俺のことfamilyの一員だと言ってくれて、ほんとに俺は心の底からありがとうを伝えたい。

それからペルー二年目の生活の拠点をクスコに移した俺は、またかけがえのない出逢いをすることになるの。
それは、日本人に大人気の宿、カサデルインカのfamily。

地位も名誉も金もない、ただ夢を追いかけてここにやってきたバカ野郎を心から受け入れてくれて、宿代もタダで良いし、ご飯も俺たちと一緒に食べればいい。お前はただ練習を一生懸命やって試合で勝って俺たちに借りを返してくれりゃいいから。と血も繋がってない俺をすごく応援してくれるカサデルfamily。

試合には全部スタジアムまで足を運んできてくれるし、親戚とかの集まりにも俺を連れてってくれるし、ほんとに家族同様に接してくれる。

この前、体調が急変したときも夜中だったのに起きてくれて救急車を呼んでくれて病院まで付き添ってくれた。
俺は体調よりも、そのことにすごく感動して泣いてしまった。

なんでこんな日本から来たなんでもない俺をそこまで。
よく分からなかった。ほんとに嬉しかったけど、血も繋がってない俺のことをなんでそこまで大事にしてくれるんだろうって何回思ったことか。

だから、ある日聞いてみたの!
なんで?って。

そしたらね、
『たしかに血は繋がってない。だから、世間一般からすれば他人。でもカサデルfamilyからしたらお前はもう俺たちのfamily。世間からどう言われようが、血が繋がってなかろうが俺たちはもう家族。だから、俺たちはお前を最後の最後まで大切にする。それが家族ってもんよ』

確かに、血は繋がってない。
けど、たとえ血が繋がっていなくても家族『family』と呼ぶことができる。

大事なのは、心だ。
心と心が繋がれば、信頼しあえる存在になれる。

それは恋人でも友達でもなんでもそうだと思う。
ただ、今回の俺の場合だと、家族だったということだけだ。

俺はね、実はあと二ヶ月でペルーを出てしまう。
年末に日本に一回帰って、みんなと懐かしんでからまたペルー戻ってペルーリーグをやろうと思ってました。
でもね、実はある大きな決断をしたの

それはね、まだチケットを買ってないので100%ではないけど、ほぼ99%の確率で、あのサッカー王国ブラジルへ挑むことにした。
両親からの承諾も受けました。
移籍とかではないです
今までペルーで築き上げてきたサッカーを全部捨てて、一からブラジルで始めようと思います。

もちろん、チームも決まってないからブラジル中のチームのトライアウトを受けたり、住むところもない、知ってる人もまるで一人としていない。トライアウトを合格できなきゃ、お金もないので仕事もブラジルで探さなきゃいけない。
ほんとに、周りからは『せっかくペルーでサッカーやってて今、移籍だってできるかもしれないし、お金ももらえるのに、なんでそれを全部捨ててブラジルっていう王国で一からやるんだ?』
って言われるし、これからもいろんな人に言われるかもしれない。

でもね、俺は今すんげーわくわくしてんだよー!
確かに、無謀だしブラジルでうまくいかなかったらほんとに経済面でやばいし、両親からお金をもらうのも死んでもやらんし、まず住むところもないってほんとにみんなからバカバカ言われるかもしんないけど、こんなバカなことできんのって、今20歳のときじゃない?

こんなこと25歳になってから、やったら本物のバカでしょ(笑)

ほんとに、ちっちゃい頃から憧れてたブラジルで夢を追うためだったら、トイレ掃除だってするし、雑用だってなんでも生きるためだったらするで

両親に言われたの。
『生活はどうするんだ?お金はどうするんだ。あっちで通用する自信はあるのか?』

確かに、親やからいろんな不安があるから、ほんとに通用しないと思ってんなら2年もやってるペルーに残ってサッカーやったほうがいいだろうと思ってるんだと思う。

でもね、親に直接電話でハッキリ言いました。
『住むところはどうにか見つける。お金は夜かなんかで頑張って仕事見つける。通用する自信?そんなもんないです。だって、世界中の人たちが子供の頃から憧れてるブラジル、生活のために家族のために必死にもがいてプロになってるブラジル人などがいるサッカーの聖地。
そんなところで、こんなヒヨッコが、通じるなんて思ってません。申し訳ないけどそれが正直に思っていることです。
でもね、今この若いときにそのブラジルで生活に苦しみながらも夢を一生懸命追って、日本では見れない、ブラジルでしか見れない感じられないものを五感で感じて、そしてもしチームに入れたらうまい人のプレーはもちろん、私生活などを見て学ぶ。
こんなことを20歳で経験できたら、2年後、3年後は自信を持っていると思う。
サッカーのことだけじゃなくて、いろんな意味で成長できると思うの。』

そしたらね、両親は承諾してくれた。
だから、俺は一からまた始めます。

始めたいんです。

そう、勇気を与えてくれたのが、リマで家族の一員と言ってくれた日本人宿のfamily、クスコで出逢った大好きなカサデルfamily、そして、この二年間で出逢った何百人もの日本人。

みんながほんとに俺にとってはかけがえのない存在。







どうかなー?
ちょっと題名の意味が分かってきたかなー?(笑)

‘’人と人の繋がり‘’ が ‘’ミライへの架け橋‘’ になる。

これはね、人との出逢いってのな偶然なんかではないの
必ず出逢い一つ一つに意味がある。

俺は必ずなにかあったときに、そのときに必要な人と出逢ってきた。
だから、ここまでいろんなことを乗り越えて南米1人で2年もやってこれた

そして、今俺は自分の夢に向かって新たな決断に出た。
この決断を出来たのは、日本にいる親友からの言葉や、去年大きな挫折をして諦めかけてたときに助けてくれたリマの日本人宿のfamilyとそのときいた日本人や、クスコで全力で支えてくれたカサデルfamilyや、今まで出逢ってきた日本人のみんなが応援してくれて、諦めないでここまで来れたから。

だから、今この決断をできる。
どっかで諦めてたら、できなかった。

人はやっぱり、一人じゃ生きられんで(笑)
人は誰かに支えられて、初めてなにかを成し遂げられたりできる。

’人と人の繋がり‘’ が ‘’ミライへの架け橋‘’ になる

それは、人との出逢いが、自分の未来、その人の未来への手助けとなる架け橋を造ることができるということだ。









こんな長い記事を見てくれてありがとうございました。
これからも頑張っていくので、陰ながら見守ってください。

じゃあまたねーん!



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