苦し紛れのみのもんた

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娘が何故それを言ったのか

私が娘に何を聞いたのか

今となつては記憶にない

記憶にないから、ほんの些細なことだったのかな


「おまはん、誰がこんなことせいと言ったんで❓」か

「おまはん、そんなこと誰が言ったんで❓」だったかな

こう聞いたら、娘はばつ悪そうな顔で『みのもんた』と言った

娘、苦し紛れのみのもんた発言


「そうかぁ〜ほなあとで電話して聞いとくわ」と言ったあと、数時間携帯を隠されてたな


今日、みのもんたさんがお亡くなりになられて、ふと思い出した






























あの日は初診で行ったら、次から次へと検査して下さって

結果もすぐと言って良いほど出たなぁ


西市民病院ではモタモタしてた

細胞診はあっちこっち刺されて、右胸が汚い紫色になり腫れ上がった
(中央市民病院では一発OKで汚いことにはならなかった) 

検査結果は早くても2週間待ち

1年間も手術痕がおかしいことを言っても聞き入れてもらえず

やっとミス医が「検査しますか❓」と言ったけど、CT検査が5月の中旬頃しか予約が取れず、診察も3ヶ月後と聞いた時

私の頭と心は「この病院ではあかん。それだけ待ったら私は死ぬ」と思った


それでかかりつけ医院の院長先生に相談して、即 中央市民病院に


院長先生と新主治医も【5cm強の癌腫瘍2個を見つけられず、えぐれた右胸(手術跡)】に絶句してた

そして、2人の医師が言った言葉『これは医療ミスや』『最初の乳癌の根本的治療から間違っている』

私も「これは神戸市立西市民病院の医療ミスやな」ということは感じてた



あの時は、余命宣告されて、一刻の猶予も無かった

手術が出来ない腫瘍の大きさだから、先ずは抗癌剤治療をして腫瘍を小さくする..出来ない場合は死しかない

再発癌治療用の点滴で40度以上の熱・強烈な節々の痛み・激しい震え・等がおこった

「これに耐えられないとアカンで」と言われてたから、必死に耐えたなぁ




今は思い出になって良かった

あの神戸市立西市民病院は〖トイレットペーパーだけ良かった〗ただそれだけ



































最後の患者

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かかりつけ医院の院長先生が

「手術痕の瘢痕やて!?これは再発しとる!再発や!(激怒)」
「1年前から言ってたのに解らんとは、そんな医者はあかん!今すぐ病院替え!(激激怒)」
「ええか?セカンドオピニオンは患者の権利やで!」

と仰って、病院を変える為に何処が良いか?調べて下さって

そして決めた神戸市立中央市民病院(当時名)

レントゲン写真と院長先生の紹介状を持って受付へ

そこで知らされた『この先生は夏にお辞めになるので、患者はお取りになりません』

そして診察室のドアには『私用により新患は別の医師が担当となります』


でも、その医師が診て下さった

そう、私が最後の患者


紹介状の内容は全く知らないけど、多分 院長先生は私には時間が無いことを書いて下さったのかな

週1回の診察なのに、私の為に別の曜日にも診察室に来て下さった(空いている診察室での診察)


2月28日..私の中央市民病院での初受診

それと、最後の患者になった日