うつ病は心の風邪と言われます。だから誰でもかかってしまう。
真面目な人はかかりやすいと言います。けれど、真面目じゃなくてもかかります。私が真面目じゃないのにかかりました。
私は身近な人を自殺で失っています。
さっきまで話をしていた人が、数時間後にはなくなってしまった。

だからこそ、こんな言い方をしてしまいます。
うつ病で苦しむ人を助けてあげたい。と言う言葉。安易に使わないで欲しい。親切で慈愛に満ちている様に感じますが、本当にそれだけですか?

私はうつ病になったから、うつ病の人の気持ちがわかるし、だから助けてあげたいという言葉。あなたのうつ病の苦しみと、どこかの誰かのうつ病の苦しみは同じですか?

助けてあげたいと言う気持ちは想像できます。
ただ助けてあげられる程の経験も器も、うつ病の人よりあるのですかと言うことです。
私は思うのです。うつ病の人は想像以上に様々な事を考えて、想像以上に抱えた苦しみは大きくって重くて、エンドレス。
死の谷間を綱渡りしているのと同じ。危うくって、死ぬほどの覚悟で向き合わないといけない。

だから私は助けられるかわかりません。でもうつ病の人が求めてくれるなら側にいる。腹をくくる。でも、他人には出来ないと思うんです。親族、親しい友人、家族とかしか。

私は重度のうつ病になったけれど、私がして欲しかった事が、他のうつ病の人が欲するかはわからない。
専門のお医者様ならば、対応できる事かも知れないけれど、私は専門医じゃない。

気持ちはわかるよ、とか安易に言うのは、うつ病の人に失礼ではないかと思うから、言うのをためらいます。
だって本当にわかってるか、本人でないとわからないことだもの。わかったつもり、なのかも知れないじゃない?

話をゆっくりじっくり聞く、頷く、励まさないで労う。と言うのはマニュアル。死を見ている重度のうつ病の人は、マニュアル通用するのかな?
私は重度の時に、通用しなかったし、心に響かなかった。あー、マニュアル言ってるなって思ってた。でも他の人は通用するのかも知れない。

うつ病には軽度~重度があって、それによっても対応は違う。
闇を見てしまう、もう闇しかないと思ってしまっている人を変える。人が人を変えることはできますか?

某宗教では、自身が変わることで人は変わると。
その通りならば、助けてあげたいと言う慢心はいけないと思う。助け合いたい気持ちが必要じゃないのかな。

そんなことを思う昼下がり。
もう昼休みが終わるので、ここまでで。
拙い考察を申し訳ありませんでした。