globeのFACEという曲を知っていますか? | 90年代J-POPの世界へいざなおう!

90年代J-POPの世界へいざなおう!

90年代のJPOPを中心に歌詞の内容を解説したりしなかったりします

難易度★★★☆☆

FACEは1997年2月にリリースされたglobeの9枚目のシングル。言わずと知れたglobeの代表曲の一つ。


$90年代J-POPの世界へいざなおう!

セールスはミリオンセラーを記録(132.3万枚)

当時のglobeの人気にはすさまじいものがありました。今の若い人はとても想像もできないでしょう。当時、私はまだ小学生でしたが、とにかく派手ですごい曲だなぁと感じていました。

当時は歌詞の内容など気にも留めず、まあ訳も分からず聞いていたわけですが、大人になってから聴き直してみると、歌詞のぶっとんだ内容に驚かされました。とてもミリオン・ヒットした曲の歌詞とは思えない内容だったのです。

歌詞から浮かび上がってきたのは、次のような女性のイメージでした。年は20代後半といったところでしょうか。結婚適齢期を迎え、そろそろ自分の将来について本気で悩み始めているが、彼氏とは必ずしもうまくいっているわけではなく、仕事でもうまくいかず、自信を喪失し、半ばあきらめ、挫折し、それでもギリギリのところでふんばっている・・・そういう健気な女性の姿か浮かび上がってきたのです。

どうしてこういう解釈になるのかは後で詳しく説明しますが、とにかく内容が暗すぎます(苦笑)すごくまじめな内容です。まじめすぎて、重いです。しかし、大人になってはじめて分かることが確かにあります。当時子供だった人は、以下の説明を読んだ後でこの曲をあらためて聴くと、たぶん曲の印象がガラリと変わると思います。

歌詞は夜の場面の心理的描写から始まります。


  太陽が飲まれてく
  夜がときどき 強がり
  晴れた日は 月灯かり
  自分の逃げ道を知ってる


太陽が「飲まれてく」という表現は、心の内がどんどん暗闇で満たされていく様子を表現していると思います。夜の暗闇は、不安を掻き立てます。夜ひとりでベッドに入ったとき、ふと、昼間にあった失敗やこれからのことを思って不安になることがあります。「夜がときどき強がり」という歌詞は、そのように、夜の暗闇に同調する心の闇がときに強くなる様子を表現しているように思います。

あるいは、「太陽」は自分がもっと若くて希望に満ち溢れていた時期を象徴しているのかもしれません。「太陽が飲まれていく」とは、青春がどんどん過ぎ去っていく絶望を表現しているとも読めます。

後半部は少し難解です。
仮に「太陽」=青春という解釈が正しいとすると、月は太陽によって照らされて輝いているものですから、「月」は過去のまばゆい青春の記憶を表現しているのかもしれません。そのような昔の記憶にすがることで、現実から目を背け、「自分の逃げ道」としているのでしょう。


  反省は毎日で
  悔やまれることが多すぎて
  青春が消えてゆく
  でも情熱はいつまでつづくの


この歌詞から主人公(おそらく二十代後半の女性)は、日々の仕事のなかで必ずしもうまくいっていないことが分かります。はじめに言っておくべきだったかもしれませんが、FACEの歌詞は恋愛をテーマにしたものではありません。もちろん、女性の心情において恋愛という要素は排除できないものではありますが、テーマはあくまで「自己」にあると思います。

このことは、「反省は毎日で」という歌詞から分かります。もちろん彼氏との恋愛について反省することもあるでしょうが、「毎日で」という表現はもっと日常のこまごまとした失敗や軋轢を想像させます。日々はそうした様々な小さなトラブルとの直面とその対処で忙殺されてゆき、時間は飛ぶように流れ、どんどん青春が過ぎ去ってくように感じます。主人公にはそのことに対するあせりがあります。

しかし、少なくともあせりを感じている間は、その人はまだあきらめてはいないと言えます。心底あきらめているのだったら、もうどうでもよくなるはずだからです。「でも情熱はいつまでつづくの」という印象的な歌詞は、そのような葛藤をうまく表現しています。情熱が冷めれば、あきらめがつき、心に平穏が訪れるでしょう。しかし、そんな平穏など、少なくともまだ若いうちは、誰も望みはしません。しかし、情熱が続くかぎりは、心の葛藤も消えないのです。次の歌詞で、そのフラストレーションが爆発します。


  少しくらいはきっと役にはたってる
  でもときどき 自分の生きがいが消えてく
  泣いてたり 吠えてたり 噛みついたりして
  そんなんばかりが 女じゃない


やはりこの歌詞も恋愛を対象としたものではないと思います。おそらく日々の仕事のことが念頭に置かれているのではないでしょうか。自分はいないよりはマシなくらいには仕事をこなしているはずです。でも、ときどきふと立ち止まって、これは本当に自分がやりたかったことなんだろうか、自分の一生は何のためにあるのかと自問します。

あえてステレオタイプ的な偏見で言いますと、女性は男性に比べて感情的な生き物だと言われます。それはあながちまちがいではないかもしれませんが(「そんなんばかりが・・・」という部分否定に注意)、もちろんそれだけじゃなくて、女性もまた男性と同じく仕事にプライドと意地をもっています。決めつけられるとカチンときます。それでいてここではやはり感情的にムキになって反論してしまっているところが、なんというか、この歌詞のよくできたところです。


  鏡に映った あなたと2人
  情けないようで たくましくもある
  顔と顔を寄せ合い なぐさめあったらそれぞれ
  玄関のドアを1人で開けよう


この歌詞によってはっきりと「自己」がテーマであることがわかります。
「鏡に映った あなた」とは、鏡をのぞき込む自分自身のことです。鏡に反射した少しやつれた表情は、情けないようでもありますが、それはこれまでの日々の苦労を映し出すものであり、それらを乗り切ってきたというたくましさも感じさせます。若い時には苦労すべきだとよく言いますが、年を重ねて本当の意味で大人になっていく様子が見事に表現されています。

また、哲学や心理学の文献ではよく知られていることですが、「反射」は「反省」を意味します(英語ではどちらもリフレクションです)。「反省」とは、もともとの語義では、「自己」、つまり自分の心の内を自分で見つめることを意味します。それは同時に現実をまっすぐと見つめることを意味します。鏡は冷静に現実を写し出します。過去の記憶にすがって逃避したり、現実を単に悲観するだけではなく、現実と真正面に向き合い、あるがままの自分を受け入れたうえで自分を貫く強さが生きていく上では必要なのです。「顔と顔を寄せ合い なぐさめあう」という歌詞は、そのようにあるがままの自分を受け入れることで、分裂していた自己が寄り添い合い、ひとつになる様子を表現しているように思われます。

しかし、理解に苦しむのは、「それぞれ」という表現です。
素直に読むと、寄せ合い慰めあった二つの顔が「それぞれ」分かれて、という意味になってしまいます。もちろん、人間であるかぎりは葛藤は残り続けますし、残り続けてよいのです。しかし、この解釈は間違いだと思います。

「それぞれ」という表現には様々な解釈が可能ですが、ここでは、「それぞれ一人ひとり」という意味にとりたいと思います。ややメタ的な解釈になりますが、ここで作者は主人公と同じ境遇にある不特定多数の人間に呼びかけていると解釈できます。これに続く「玄関のドアを1人で開けよう」という詩は、主人公の決意の表れであると同時に、呼びかけのニュアンスがあると思います。玄関から外に出るといやおうなしに現実に放り出されるわけですが、誰かに尻を叩かれてそうするのではなく、自分の意志で扉を開けて現実に向かっていくということにこそ、現実と向き合う強さがあるのです。「それぞれ」という表現がない場合には、「玄関のドアを1人で開けよう」という呼びかけは自分自身への呼びかけにすぎませんが、「それぞれ」という表現があることによって、この呼びかけが、不特定多数のリスナーに向けた、作者からの応援メッセージとなります。

このほかにも様々な解釈の余地がありますが、「それぞれ」という表現を抜きにしても、非常に素晴らしい歌詞だと思います。

ところで、これに続くマーク・パンサーによるものと思われる歌詞(マークが歌う部分)については、残念ながら私にはそれをどう解釈してよいか分かりません(ちなみにこの曲の作詞はTETSUYA KOMURO & MARKとなっています)。全体的に見て、マークの歌詞は小室の歌詞と整合性が高くありません。両者の歌詞に登場する表現の相互関係から考えて、おそらく小室の詩が先にできて、それを受けてマークが自分の歌詞を書いたと思われるのですが、どうやら消化不良のようであり、ところどころ小室の歌詞と矛盾するところもあります。よってマークの歌詞の解釈はここでは断念したいと思います。

すでにずいぶん長くなってしまったので、後半部の歌詞の説明はごく簡単に済ませようと思います。

前半部とは対照的に、後半部の歌詞には明らかに恋愛の要素が強くなります。歌詞の中で「あの人」という表現が3回登場しますが、これは先ほどのサビの歌詞に出てきた「あなた」とは指示対象が異なります。「あなた」が意味するのは私自身でしたが、「あの人」はおそらく主人公の恋人もしくは片思いの人物と思われます(「あなた」に対して、「あの」人という表現の親密度の違いに注意して下さい)。

後半部でもやはり前半部と同様、過ぎ去りつつある青春への焦りが歌詞の中に見られます。若ければ何も考えずに恋愛に突っ走ることもできますが、年を重ね、結婚適齢期ともなると、そうもいきません。若いころとは違って、いろいろな実際的な想念がうずまいて躊躇してしまいます。「経験が邪魔をする」、「あの人の胸には すぐ飛び込めない」という歌詞がこの心情をみごとに表現しています。また、「ときめきあの人で 決めたい 決めたい」という歌詞は、「あの人」、つまり今恋をしている人が最後の恋人、つまり自分の結婚相手であってほしいという切なる願いを表現しています。

以上で歌詞の細かい説明を終わります。

FACEの歌詞の特徴は、すでにお分かりのとおり、恋愛を第一のテーマとしないところに最大の特徴があります。JPOPにかぎらず流行歌は恋愛をテーマにしなければ売れないという暗黙の了解が存在するように思いますが、FACEはこの流れに真っ向から逆らっています。

さらに、流行歌には
(少なくとも商業ベースでの作品においては)、単なる理想といった絵空事でリスナーの関心を引いたり、そうでなければ、失恋といった誰でも感情移入しやすいテーマで、言ってみればリスナーが言ってほしいことを言うだけの、大衆迎合的な作風の歌詞が多い中、FACEは現実を冷静に直視し、その本質を見抜き、女性の内面的な心理的葛藤を巧みに描くことに成功しています。非常に完成度の高い内容であり、作曲だけでなく作詞においても非凡な才能を持っていたということに改めて驚かされます。

それだけに、後にいろいろやらかしてしまったことが残念でなりません・・・