Daraja -from Kenya-

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ケニアのこといろいろ

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少し月日がたったので、私の記憶もいいように整理されつつあるのですが。
父が2018年7月23日に69年共に生きた肉体を離れました。
思えば5年前に脳幹梗塞で倒れ、全身不随になり病院ですごした5年間。
本当に色んな思いが本人始め、私や弟にもありました。
倒れた当初のことはブログにも書いていますが、本当に神様ってなんなんだよ!って憤りしか感じないほど理不尽なことにしか気持ちが向かわず。
そこから、やっぱり全ては与えられているものだからこそ、今あることに対して感謝を持って向き合うしかない。と気づくまで1年はかかりました。
父は活動的でとても好奇心の強い人だったし、喋ること、人と関わることも好きだったからこそ相当辛かったと思います。
言葉は話せなくても記憶と意識ははっきりしており、アイコンタクトでコミュニケーションをとれるほどだったので、おのずと気持ちが表情にも出ていて、本当に自分の状態を恨めしくおもっているのだろうという時期がありました。

そこから、沢山の葛藤や自分の生きてきた道に対する振り返りを沢山繰り返したと思います。
ある日突然、受け入れたんだな。とわかる表情の日がやってきたのです。

私は私で、昔から親とのコミュニケーション方法について思うところがあったので、自分の父にリハビリがてらマッサージをしたり、密に話すことができる機会を貰ったことには本当に意味があり、嬉しかったです。それが唯一できる恩返しだと思ってました。
そんな父は、昔から唯一の遺言として私達に「死んだら自分の思い入れのあるところに散骨してほしい。」と言い続けていました。

5年も寝た切りが続けば、免疫も落ち、色んな別要因の病気が併発することもわかっていました。
最終的には肺炎を繰り返すことにより、心不全等を併発していたのですが、、、主治医の先生も見たことのない生命力で次の日にはレントゲンから肺炎と心不全が跡形もなくなくなっていたり。
そんな中、もう今週末が山場(見込みは無く、終息へ向かう方向での山場)ですとお医者さんに言われた時も、そうですか。と私は普通に受け止めていました。
覚悟は5年前から常にしていたし、正直言うと父の意志とは別に、これ以上しんどい思いをしてほしくない。という気持ちもあったからです。

うちの家族は独特だし、価値観も一般的ではないので、死に対しての意識も他の人から見ると淡泊だったりします。
生まれてきたものは死ぬ。死ぬという事は、借りていた肉体を魂が離れ、その瞬間に肉体はモノとなる。
そんな気持ちがベースにあるので、ただその時にできる限りの寄り添いをしました。
最後は、私達を待っていたとしか言えないタイミングで眠る様に息を引き取りました。

5年間、しっかりと向き合わせてくれたおかげで後悔は一切なく。愛と感謝だけでした。

一瞬、悲しみも来ましたが、それも束の間。本当に神聖な気持ちだけが残り「ご苦労様でした。」という労いの気持ちだけでした。
そんなことがあるのか物理的根拠はありませんが、感覚で生きてきた私の中で、父の魂がとても自由を謳歌しているのを感じ、安らぎを手に入れたことを感じたときに、私も一緒に解放され、その後数日間はとてもナチュラルハイが続いたのです。

私たちは、残された肉体に執着はなく。そのあとは淡々と必要な手配をして、火葬を迎えました。
通夜、葬儀ともに本人の希望もありしていません。

今までの人生で初めての大きなターニングポイントになった祖父の死の際に、火葬に対して受けたイメージが軽くトラウマで残っていたので、父の時も火葬場へ向かう途中に一瞬不安定になったりもしましたが、棺の中へお花を手向ける際も、火葬へ見送る際も、常に神聖な空気しかなく、69年頑張ってくれた肉体(物質)を見送る。感謝する。というだけのものでした。とても気持ちが良かった。

肉体を離れた時点で、父はそこにはいないのです。もっと近くにいるから。

父の古くからの友人の方々も火葬に立ち会ってくださり、こどもには話していなかった昔の父の話を聞いたりすることができ嬉しかったり。
そのうえで、通夜等はこうして故人の知らなかった表情を発見できたり、思い出を振り返るための時間なんだろうな~と思いました。
個人的には、残された人達の心の整理のために一連の通夜・葬儀というものがあるんだろうな~という風に思いました。


そして先日、唯一の父の遺言も果たしに行きました。やっと、大好きな場所に戻れたね。
こうした出来事を用意してくれているのも父の計らいだと思う事が色々あります。
 

 
 
 
 
これからは、身軽に一緒に旅ができるよ。
私を世界へ送り出してくれた大切なお父さん。愛しています。ありがとう。
これからも、楽しいこと一緒にできるね。
 
LOVE