俺の居場所はここしかねえんだよ/柴田勝頼【俺達のプロレスラーDX】 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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俺達のプロレスラーDX
第12回 俺の居場所はここしかねえんだよ/柴田勝頼





2012年8月、新日本プロレスG1両国大会に突如スーツ姿の男が乱入した。

男はこう言い放った。

「喧嘩、売りに来ました!」

男の名前は柴田勝頼。

新日本を退団後総合格闘技に進出したプロレスラーである。

柴田とは何者なのか!?


新日本プロレスのストロングスタイルの流れを辿ると数々の猛者が現れる。

アントニオ猪木、藤原喜明、前田日明、高田延彦、船木誠勝、鈴木みのる、橋本真也…

そして柴田はその流れの最後に登場する男だ。

彼ほどストロングスタイルを追求した男はいなかった。


新日本が新日本であるがために新日本を退団した柴田。

彼が総合格闘技に進出したのは必然だった。

ある意味ストロングスタイルを守るために。

だが現実は甘くない。

プロレスと総合は別ジャンル。

テニスとバドミントンくらい違うのだ。


総合格闘技進出するも連敗。

勝利しか評価がされない世界の中でもがき続けた。


そこまで追い求めたストロングスタイルって何なんだ!?

強いって何なんだ!?

柴田は自問自答しながら戦い続けて、新日本乱入に至ったのである。


柴田の父は元レスラーの柴田勝久。

彼が心酔したプロレスとは四角いジャングル、UWFなど強さにこだわる男達の戦い。

大学進学が内定していた彼はある日、会場で感情をさらけ出すケンドー・カシンの姿を目撃してしまう。

四日市で行われた金本浩二VSケンドー・カシンの喧嘩マッチ。


お互いに感情を剥き出しで戦い、敗れたカシンはなんと感情が高ぶりすぎてマスクを脱いでしまう。

この試合を見た柴田は大学内定を断り、プロレスラーになることを決意する。


新日本入門した柴田は1年以上の下積みの末1999年10月にデビュー。

相手は井上亘。

ちなみにこの日は棚橋もデビュー。

若手が増えてきたこともあり四年ぶりにヤングライオン杯を開催。

しかし柴田に悪夢が到来する。


2000年4月、ヤングライオン杯公式戦で福田雅一と戦った柴田。

だが柴田のダイビングエルボーに福田が受け身を取れずピクリと動かない。

意識不明の重体に陥った福田は病院に搬送されてるも5日後、息を引き取った…


男性プロレス初のリング渦(試合による死亡事故)が発生する。

リング渦は当事者でなければ分からない辛さがある。

自らの攻撃で人を亡くしてしまったのだ。

この耐え難き心の傷みをまだ20歳の柴田は負ってしまうのだ。

それでも柴田は最終戦まで戦い続けた。

福田が逝去した翌日、勝利した彼は花道の戻る途中、リングを指してこう言った。


「俺の居場所はここしかねえんだよ!」


それは恐怖と痛みを乗り越えようとする心の叫びだった…

柴田は福田の死に立ち向かい、その後もヤングライオンらしい戦いを続けた。

そして自らの理想であるストロングスタイルを追求することになる。

その後、星野勘太郎総裁率いる魔界倶楽部に入り、

ストロングスタイルへの追及心に狂気性を増していく。


ストロングスタイルの復興を掲げる柴田は魔界入りで理想の追求に拍車をかける。

永田裕志、川田利明、藤田和之、高山善廣、天龍源一郎…

多くの先輩選手に喧嘩を仕掛け名勝負連発。

ちなみに天龍は柴田の心意気を高く買って賞賛していたという。


しかし、2005年新日本プロレス離脱。

内部がゴタゴタしていた当時の新日本に嫌気がさしていたのかもしれない。

その後、柴田を買っていた元新日本マッチメーカーの上井氏の紹介により、

あの前田日明と船木誠勝に巡りあった。


前田と船木との出逢いは柴田に変革をもたらす。

当時105kgだった体重を92kgに絞り筋肉の量を上げるハイブリッドボディーを手に入れた。

また前田にはみっちり鍛えられた。

あまりにも過酷さに付いていけないほど…


柴田は船木の指導の元で総合格闘技に進出する。

初戦はパンチで秒殺したものの、その後は負け続けた。

やはり総合は甘くなかった。

しかし、彼は心の中でこう叫んでいたはずだ。


「俺の居場所はここしかねえんだよ!」


柴田にとってストロングスタイルとは何なのか!?

他の格闘技相手にも勝って最強を証明することなのか!?

新日本プロレスらしさを正統に継承することなのか!?

己の強さを誇示する喧嘩プロレスのことなのか!?

もしかしたら柴田にとってはストロングスタイルとは己のアイデンティティーだったのかもしれない。

だからストロングスタイルを求める旅をずっと続けてきたのかもしれない。

その果てに古巣新日本に上陸するのである。


古巣新日本プロレスはあの低迷期の新日本とは違い、新生新日本として生まれ変わった団体。

だから柴田のことを知らないファンも沢山いた。

柴田は先輩桜庭和志とともに新日本に喧嘩を仕掛ける。

だがまだ柴田は覚醒していなかった…

新日本で連戦連勝するも柴田らしさが解放されていなかった。

特に真壁刀義戦などは相手に合わせてしまい結果も内容も惨敗。


俺のストロングスタイルは今の新日本で活きるのか…


しかし、あの同級生後藤洋央紀との対戦で目覚める!

後藤は覚悟を決めて柴田の攻撃を全部受け止めた。

また柴田も後藤とは喧嘩を越えたプロレスを魅せた。


後藤との戦いがファンのハートを掴んだ柴田。

そして2013年に9年ぶりにG1CLIMAXに参戦。

そこで柴田プロレスは爆発する。


周囲からは柴田にG1を完走できるのかという声もあったが、杞憂に終わる。

誰よりも激しい試合を連戦披露した。

特に大阪での石井智宏戦は熱狂させた。

熱すぎる打撃の応酬。

技を受け止めて思いっきり返す。

魂のプロレスに大阪は燃えた…
二人の試合に感動した解説の山崎一夫は試合後涙を浮かべていた。

そういえば山崎も柴田と同じくストロングスタイルを追求した歴戦の猛者だった…


後藤との公式戦が、後藤の怪我で柴田の不戦勝となった。

柴田はコスチュームのままリングに立つ。

もう誰もブーイングはしていない。

柴田コールに包まれていた。

柴田は語った。


「今、プロレスが楽しいです」


柴田は東京ドームで後藤の復帰戦の相手を務める。

魂の激闘にベストバウトとの声もあがるほどだった。

彼のプロレスは新日本ファンに認められるようになった。

また昭和からみ続けているプロレスファンも柴田を絶賛するようになった。


柴田がリングに上がるとファンからこの男なら何かしてくれるのではという期待感で高まる。

それが特有の熱となりオンリーワンの柴田プロレスになる。

洗練された棚橋・オカダ路線とは真逆の立ち位置に柴田はいる。

柴田の戦いは終わらない。


IWGP王座もまだ巻いていない。

オカダ・カズチカや棚橋弘至との因縁もある。

そして進化型ストロングスタイルの創造主中邑真輔との完全決着戦もある。

彼は止まるわけにはいかない。

福田雅一の分まで朽ち果てるまで戦い続けるのだから…