ダンスフロアに鳴り響く長渕剛サウンド/鷹木信悟【俺達のプロレスラーDX】 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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俺達のプロレスラーDX
第96回 ダンスフロアに鳴り響く長渕剛サウンド/鷹木信悟



数あるプロレス団体の中でも若い女性ファンが多いのがドラゴンゲートです。身長は全員が180センチ以下、体重もほとんどが80キロそこそこ。既存の団体ではジュニア・ヘビー級にカテゴライズされる選手中心ですが、その分、スピードとテクニックは素晴らしく、空中技も織り込んだノンストップの戦いは驚愕の連続で、見る者を飽きさせません。そして選手個々のキャラクターの面白さ、マイクアピールから生まれるドラマ……ドラゴンゲートは最先端を行くプロレスと言っていいでしょう。
(イケメン揃いの最先端!きっとドラゴンゲートにハマる/All About・小佐野景浩)

今回、俺達のプロレスラーDXで取り上げるのは、ドラゴンゲートの選手である。

ここからドラゴンゲートに対する私感を述べることにしよう。

ドラゴンゲートは果たして語れるプロレスなのだろうか?
活字プロレスとも言うべき文学的、ノンフィクションの世界で語れるものなのだろうか?

「いまのプロレスはサーカスだ、曲芸だ」

昔、活躍した元プロレスラーは今のプロレスをこのように評するものがいる。
もしかしたらドラゴンゲートは、その批評に当てはまる筆頭ともいえるプロレス団体なのかもしれない。

私は新旧洋邦のプロレスラーを「俺達のプロレスラーDX」で取り上げてきた。その中でドラゴンゲートの選手を取り上げたのは、元ドラゴンゲートのマグナムTOKYOしか取り上げたことがない。
これには理由がある。

ドラゴンゲートには素晴らしいプロレスラーはたくさんいるが、考察しがいのある語れるプロレスラーはいるのか?
私のアンテナに引っかかる選手が残念ながら、この団体の選手にはいなかったのだ。

日本のプロレス史の一部はプロレス雑誌やプロレスを取り扱うスポーツ新聞による心に残る記事、活字プロレスの歴史でもある。

プロレスや格闘技ファンとして知られる水道橋博士は活字プロレスについてこう定義している。

「活字プロレスとは、プロレスの持つ物語性とファンタジー性の世界を愛するプロレスファンに提供されるプロレス記事のことで、その内容は読者に想像力を喚起させたり、スパイスとして適度な謎解きがちりばめられていたりするのが特徴だ」

ドラゴンゲートはその活字プロレスの世界から一線を引いたプロレス団体だ。
彼らの世界には活字プロレスなど存在していない。
音楽の世界で例えると、クラブとかで流れていたりしている何も考えないでその場を楽しく気持ちよく踊るダンスミュージックを提供し続けているのだ。

ドラゴンゲートはダンスフロアで踊るハイスピード・プロレスという名の円舞。
そこに考察など必要ない。

それでも私はドラゴンゲートについて考えていくにつれて、ある一人の選手は確実にダンスフロアで異彩を放つ男がいる事が分かった。
その男の名は、鷹木信悟。
ドラゴンゲート生え抜き第一号レスラー。
178cm 96kgの肉体派。
パンピング・ホークを呼ばれる団体屈指のパワーファイター。
今回はドラゴンゲートの異端児・鷹木信悟のレスラー人生を追う。

鷹木信悟は1982年11月21日山梨県中央市に生まれた。
幼稚園時にドアのガラスに頭から突込み、小学校時はコンセントにキーホルダーを差込んで感電する等、幼少の頃より負けん気の強い性格だったという。
中学の時からプロレスラーを志し、柔道を始めた。
高校時代には柔道部の主将を務め、関東大会出場させるほどの手腕を発揮した。
高校卒業後、数多くのプロレスラーを輩出しているアニマル浜口ジムに通いながら、ボディービルを始めて、肉体を鍛え上げた。

「師匠のアニマル浜口さんからはプロレスラーは強くて、ごつくて、凄いことをするんだという根本を叩きこまれた」

2004年4月にドラゴンゲートに入門する。
同期にはB×Bハルク、戸沢陽がいる。
10月3日の博多大会でプロデビューを果たした。
パートナーはCIMA、TARU。近藤修司・"brother"YASSHI・菅原拓也戦で彼はプロレスラーになった。
鍛え抜かれた肉体と精悍な面構え、新人離れの堂々たる振る舞い。
全てが規格外の新人だった。

2006年5月にアメリカ武者修行に旅立った鷹木。
1年後の2007年4月にドラゴンゲートに現れた鷹木はB×Bハルク、サイバーコング、YAMATOとNEW HAZARDを結成し、下剋上を宣言する。
同年7月にはハルク、サイバーとのコンビでオープン・ザ・トライアングルゲートを奪取する。

2008年にはヒールに転向し、REAL HAZARDの若きリーダーとなる。
同年7月には同期でありライバルのB×Bハルクと35分に及ぶ激闘の末に破り、オープン・ザ・ドリームゲート王座を獲得する。
鷹木信悟、25歳(当時)。
彼は早熟のプロレスラーだった。

しかし、右肩を痛めて一時戦線離脱すると、鷹木はスランプに陥った。
プロレスラーとしてぶつかった壁。
デビュー時からレスラー像が出来上がっていた男はもがいた。

そんな中でスランプを脱した鷹木は2013年7月にドラゴンゲートのカリスマCIMAを破り、オープン・ザ・ドリームゲートを奪回。
彼は新時代の扉は開けて見せた。

しかし、彼は浮き沈みが激しかった。
CIMAから奪取したドリームゲート王座も一か月弱で失い、所属ユニット「暁」は解散に追い込まれた。

どうしたら、鷹木信悟というプロレスラー像を再構築するのか…。
そのヒントとして彼が求めたのは他団体だった。
全日本プロレス、超花火(電流爆破)、ゼロワン…。
自分という作品にとってプラスになりそうな団体に次々と参戦していった。

「電流爆破にしても、他団体との対戦にしてもやってみなきゃわからない。闘ってみなきゃわからない。その中で自分の価値観を作っていきたいから。食わず嫌いの状態でドラゴンゲートのプロレスだけを学んでいればいいっていうのは、自分のスタイルではない」

2015年8月に吉野正人を破り、三度目のオープン・ザ・ドリームゲートを戴冠する。
現在、ドラゴンゲートを殺伐な空間にするために「VerserK(ヴェルセルク)」というユニットを結成し、革命を起こすために奮闘している。

鷹木は語る。

「ドラゴンゲートの空気の中で、俺は場違いだなと思っていて、だからこそ俺は俺の道を行くと。背中にも背負っている『我道驀進』、我が道をまっしぐらに突き進むということ。やっぱりドラゴンゲートのファンはドラゴンゲートしか見ない人が多い。じゃあ、俺はどこの所属なんだって考えたときに、やっぱりドラゴンゲート所属だと。ドラゴンゲートが好きで、そこに夢と希望があると思って入ったわけだから」

「自分はプロレスは闘いであり、勝負論があると思っているんでね。たまにプロレスラーでも『凄い試合をします。勝ち負けはさておいて』って言う人もいるけど、俺はそれはどうかと思うし。やっぱりファンからしたら応援している選手が勝ったらうれしいし、負けたら悔しいわけでしょう? 俺らはそのファンの想いを背負っているのだから、勝ちにこだわる試合をしていきたいしね。『我道驀進』って謳っているけど、端から見たらただの自己中と思われるかもしれない。でも自分の信念を曲げてまでやり続けなければいけないなら、俺はプロレスを辞めてもいいと思っている」

思えば鷹木信悟は大の長渕剛ファンだという。
彼はドラゴンゲートというダンスフロアで長渕剛サウンドを響かせ続けている。
もしかしたら彼がドラゴンゲートで異彩を放つ理由はそのスタイルなのかもしれない。

ダンスミュージックの世界で敢えてロックで勝負するという…。

彼の名曲である「Captain of the Ship」にはこんな歌詞がある。

羅針盤から目を離すな お前がしっかり舵を取れ!!
白い帆を高く上げ 立ちはだかる波のうねりに突き進んで行け!
たとえ雷雨に打ち砕かれても 意味ある人生(みち)を求めて明日 船を出せ!

鷹木の革命によってドラゴンゲートはどう変わるのか?
やはり楽しく気持ちよく踊れるダンス・ミュージックを主に提供するプロレス団体であり続けるのか?
それとも多様化された音楽を提供するようなプロレス団体に再構築されるのか?

その鍵は、ダンスフロアで踊らず熱くロックを歌い上げる鷹木信悟が握っているのかもしれない。