ハンサムボーイの悲劇~最も過大評価された中途半端者~/ポール・ローマ【俺達のプロレスラーDX】 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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俺達のプロレスラーDX
第196回 ハンサムボーイの悲劇~最も過大評価された中途半端者~/ポール・ローマ

 


私はかつて、「四半世紀で最も過小評価されたレスラー」と呼ばれたジェリー・リンという選手をこの連載で取り上げたことがある。

 

B級スターの憂鬱~四半世紀で最も過小評価された万能男~/ジェリー・リン【俺達のプロレスラーDX】

 

彼のその形容詞に相応しい苦難と不遇のレスラー人生を送り2013年に引退した。そんな時にふとある突拍子のないことを思いついた。

 

「では最も過大評価されたレスラーとは誰だろう」

 

これについて喧々諤々の議論もあるし、あらゆる意見があるだろう。あの世界のスーパースターであるハルク・ホーガンだって、人によっては「デクの棒」で、プロレスを知らない大男だという批評があるし、トミー・リッチやロニー・ガービンのような中堅がなぜ世界最高峰のNWA世界ヘビー級王座を獲得したのかという疑問もある。この議題は大規模なアンケートを取らなければ具体的な一つの答えはでないのではないだろうか。だが、この選手は確実に「過大評価」だったと思うレスラーが一人いる。それが今回の主役だ。

 

ポール・ローマ。

 

180cm 107kgのイタリア系アメリカ人。その端正なルックスとビルドアップされた肉体、スピード感あふれるファイトが信条だった。「過小評価」された者にしか分からない苦悩があるが、「過大評価」された者にも苦悩があるのだ。「過大評価」の男はどんなレスラー人生を歩んだのか…。

 

ポール・ローマは1960年4月29日アメリカ・ニューヨーク州ケンジントンで生まれた。本名はポール・セントパーニという。レスラーになる前はボディービルダーで、プロレスはあまり知らなかった。レスラー名もブルーノ・サンマルチノを知っているくらいだ。

 

1984年、元プロレスラーのトニー・アルティモアの指導を受けてWWE(当時・WWF)でデビューする。彼はWWE生まれのレスラーである。ジョバー、いわゆるやられ役としてTVマッチを中心に試合経験を積んでいく。WWEでは悪の名マネージャーとして活躍したミスター・フジの技術だけではなくサイコロジーの指導を受けたという。ローマはジョバーを務めながら、少しづくステータスを上げていき、下位選手相手に時々勝利を収めていった。

 

リック・マーテルやトム・ジンクのようなマッチョなイケメンレスラーが得意にしていたドロックキックもローマも得意にしており、パワースラム、シュミット式バックブリーカー三連発、ダイビング・ボディプレス、トップロープからのサンセット・フリップ(回転エビ固め)を彼は得意にしていた。ただ試合運びにぎこちなさが目立ってた。フジから習ったというサイコロジーはあまり感じなかった。

 

転機となったのは1987年3月、同世代で近いキャリアのジム・パワーズと若手正統派コンビ「ヤング・スタリオンズ」を結成する。似た体型の二人は善戦マンのタッグチームとして、タッグ戦線で名を上げていく。

 

1990年パワーズとのコンビを解散してシングルプレーヤーとなったローマは当時、正統派の中堅レスラーだったハーキュリーズと「パワー&グローリー」を結成する。ちなみにこの二人は親友同士だったという。

 

元々ベビーフェースだったが、ザ・ロッカーズ(マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズ)との因縁が勃発し、スリックをマナージャーにしてヒールに転向する。二人ともマッチョマンだが、タイプが違う。巨体で怪物キャラでありながら実はプロレスが巧いのがハーキュリーズで、俊敏でイケメンでプロレスの巧さはまだまだのローマは互いの欠点を補うバランス型のタッグ屋だった。

 

TVテーピングで試合では彼等はさまざまな合体技をフィニッシュにしてきた。ハーキュリーズが雪崩式ブレーンバスターで投げ、ローマがダイビング・ボディプレスを見舞う連携「パワープレックス」。ハーキュリーズがコーナートップにいるローマを投げるアシストをしてダイビング・ボディプレスを放つ「ロケットランチャー」。ハーキュリーズの十八番トーチャーラック(アルゼンチン・バックブリーカー)で抱え上げ、ローマがトッポロープから首筋にダイビング手刀を落とす連携。タイトルには無縁だったが、先ほど紹介したロッカーズ、ハート・ファウンデーション(ブレット・ハート&ジム・ナイドハート)、リージョン・オブ・ドゥーム(ホーク&アニマル)といった名コンビとの抗争でWWEのタッグ戦線を支える脇役コンビとしての地位を築いた。ちなみにブレット・ハートは「パワー&グローリー」について"今まで見てきた中で最高のタッグチームだ"と讃えたとローマ本人は語っている。

 

だが、これは後に分かるのだが、WWE時代のローマはパートナーに恵まれていた。パワーズはローマとのコンビ解散後、シングルの名ジョバーの一人となり、典型的な善戦マンとして活躍していく。プロレスもローマよりもうまく好試合が多かった。ハーキュリーズは隠れた試合巧者で、新日本時代にはスコット・ノートンと「ジュラシック・パワーズ」で大暴れし、超竜ノートンの良き女房役として活躍している。どうやらローマはパートナーのおかげで築けた地位に過信していたのではないかと私は思うのだ。

 

1991年10月、ローマは英国遠征後にWWEを離脱する。ここからローマはプロボクサーに転向している。3戦行い、2連勝した後、ノーマン・シュリンクというボクサーに敗れボクシング界から離れた。

 

1993年ローマはWCWに入団する。そこで元WWEのローマは会社からプッシュを受けることになる。伝説のユニット「フォー・ホースメン」再結成時の新メンバーに抜擢したのである。

 

同年5月のPPVイベント「スラムボリー」の中で行われたホースメンの中心人物リック・フレアーのトークショーで、ローマはフレアーから新メンバーとして紹介された。フレアーは高らかに叫ぶ。

 

「言わずと知れたリムジンに乗るやり手のキス泥棒。ジェット機で移動し、女達の唇を奪い、泣かせてきた。イケイケに決まっているハンサム男を紹介しよう。ポール・ローマだ!」

 

まだWWE時代にはそこまで露呈していなかったローマのしょっぱさはホースメン入り後に明らかになる。同年7月にPPVイベント「ビーチブラスト」でローマはホースメンの名脇役アーン・アンダーソンと組んでハリウッド・ブロンズ(スティーブ・オースチン&ブライアン・ピルマン)が保持するWCW世界タッグ王座に挑戦した。試合は20分を越えたもので王者組が防衛したのだが、ローマは試合途中にスタミナ切れを起こしたり、攻守ともにテンポが悪い。中途半端なナルシストなためさらに性質が悪い。挙句の果てには余裕を持て余す王者組には虫けらに扱われ、パートナーのアンダーソンは不甲斐ないローマにイライラを募らせた。このイベントの日本語版ビデオで解説を務めたプロレスライターの斎藤文彦氏はローマを断罪した。

 

「ハッキリ言って、ポール・ローマはホースメン失格です!」

 

アンダーソンも試合中に内心は呆れ返っていたのだろう。同年8月にこの二人はハリウッド・ブロンズを破りタッグ王座を戴冠する。だが一か月後に元WWE世界タッグ王者のナスティ・ボーイズ(ジェリー・サッグス&ブライアン・ノッブス)に王座を明け渡している。アンダーソンは後にローマについてこう語っている。

 

「ローマは単なる筋肉バカだ。ホースメンに残る汚点だ。現場を知らない背広組が単細胞な頭で考えて手っ取り早くハク付けのために有望株とやらを押し込んだ」

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ローマのホースメン入りは見事な失敗作だった。それは関係者の酷評にも表れている。

 

バリー・ウィンダム

「深刻な人材不足が招いた悲劇だ」

トリプルH

「WWEのやられ役がホースメン? 全く似つかわしくない」

リック・フレアー

「レベルの違う男が一緒では私達の格まで下がる」

ジーン・オークランド

「ローマは一生履歴書に書ける。"元ホースメン"とね」

アーン・アンダーソン

「千年後にタイムカプセルをあけたヤツは驚くぞ。フレアー、アンダーソン兄弟、タリー・ブランチャード、J・J・ディロン、その続きが…ポール・ローマだぜ(笑)」

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そんな酷評に対してローマはこう反論する。

 

「リック・フレアーは俺に嫉妬していたんだ。ジジイだし、顔も体も俺ほどじゃない。軍団になじめたか?とんでもない。だが貢献したぜ。俺は肉体美や品格をもたらした。論争もね。ホースメンはフレアーとアンダーソンのためにあった。マスコット人形のようなアンダーソン、それから御大のフレアーはいつまでもいい思いをしたかったんだろう。俺は酒を飲んで騒がないし、テーブルの上で全裸で踊りもしない。それで非難されるなら結構だ。俺は元ホースメンさ。周囲の反応は賛否両論だ」

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この発言はローマの強がりか、本心か。その答えは彼の心の内にある。なぜWCWはローマをホースメンのメンバーに抜擢したのか。それは元WWEローマの商品価値を高く見過ぎていたことにある。また、初期ホースメンの伊達男タリー・ブランチャード的なポジションをローマにやらせようと考えたのではないだろうか。しかし、WCWは大きなミスをしていた。ローマの端正なルックスに囚われ、肝心のレスリングセンスを見落としていた。ブランチャードは確かに色男だが、プロレスでは試合巧者として知られていた。試合に難があるローマにブランチャード的ポジションなんて務まるはずがなかった。ローマのホースメン入りは団体側の過大評価によって発生した悲劇だった。これは起きるべくして起きたのだ。

 

1994年、ホースメンを離れたローマはヒールに転向し、"ミスター・ワンダフル"ポール・オーンドーフと「プリティ・ワンダフル」を結成する。オーンドーフはWWE時代から顔見知りで、ローマは彼を尊敬していた。恐らくオーンドーフはローマのスキルを理解した上での活かし方を知っていた。だからオーンドーフが試合を作り、それにローマは乗っかるスタイルがハマり、WCW世界タッグ王者となった。

 

オーンドーフというベストパートナーを得たローマだったが、長続きしない。1995年2月のアレックス・ライト戦での態度(新人ライトのやられ役になることの不満)が問題となり、解雇された。

 

その後はフリーとしてアメリカのインディー団体やヨーロッパに転戦していった。だが浮上することはなかった。1998年、ローマはジム運営に専念するために引退した。

 

2006年にコネチカット州のインディー団体のコミッショナーに就任すると、オーンドーフとの「プリティ・ワンダフル」を復活させたという。

 

思えばローマは元々プロレスファンでなかった。プロレスと出会ったのは大人になってからだった。「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、プロとして成長するにはそのジャンル自体を好きになることが成長が早い。だがローマの試合を見ると、プロレス愛は感じにくかった。悪い意味で格好つけているのだ。生き様がリングに投影されるのがプロレスだ。善玉だろうが、悪役だろうが、脇役だろうが、やられ役だろうが、どんな立場だろうが生き様が薄っぺらいものだったら、ファンの心は打たない。ローマは残念ながらファンの心には届かなかったようだ。

 

またローマはWWEやWCWといったメジャー団体にいたし、タイトルを獲得しても立ち位置がブレブレで中途半端に終わった。それも彼のレスラー人生を象徴していた。確かに見た目はハンサムボーイ、でもその正体はアメリカン・プロレスが生んだ中途半端者だった。特にWCW時代が彼の化けの皮が剝がれる結果となった。

 

ポール・ローマについて考察の結論が出た中で私は思わぬ動画に出会う。それは2016年4月にアメリカのインディー団体の試合映像。そこには55歳を過ぎ中年太りしたポール・ローマがいた。リチャード・ホリデーという悪役後輩レスラーと対戦していた。試合はローマはやられていた。それでも観客にいるファンはローマの反撃を期待して「ローマ」コールを送っていた。するとローマはその声に応えて反撃する。そしてトップロープからの飛び技(ダイビング・エルボードロップ)まで披露した。もたつきながらも、何とかして飛ぼうとしていたローマの姿を見て私は胸にジーンときていた。結果はローマの反則勝ちに終わった。形はどうあれローマが健在だったことが私はどこか安心していた。

 

この動画を見て感じたのは本当はローマは見た目で損をしている典型的な男なのだ。ハンサムでクールに見られるが、本当は不器用であまり特徴も少ない等身大の人間だったのかもしれない。だとしたら最も過大評価されたレスラーの物語はあまりにも悲劇的なものかもしれない。

 

ただ一つだけ言えることがある。そのレスラー人生が悲劇だったとしても、中途半端だとしても、過大評価だったとしても、当の本人がその境遇に腐ることなく破滅しなかったことだ。

そう考えるとポール・ローマはプロレスラーである以前に一人の人間として辛抱強いのかもしれない。

 

そんな風に考えると私はポール・ローマのレスラー人生が何だか愛おしく思えてきたりするのだ…。