フジテレビ系列で毎週木曜夜9時で「とんねるずのみなさんのおかげです」時代から実に約30年も続くお笑いコンビ・とんねるずのレギュラーバラエティー番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」の最終回。
石橋貴明さん(貴さん)と木梨憲武(憲さん)のコンビとんねるずは、お笑いだけではなくエンターテイメント界に一時代を築いたカリスマだった。
お笑いで天下を取った男たちが節目となるラストに選んだ企画は番組での企画やコントで生み出してきた歌を振り返る「さいごのうたばん」だった。
コントでもトークでもない、男気じゃんけんでも、全落でもない、食わず嫌いでもない通常枠の一時間。
そして番組の終盤にとんねるず歌ったのが1991年に大ヒットした「情けねえ」。そうこの曲で日本歌謡大賞を取り、お笑い芸人では初めてミュージシャンとしてNHK紅白歌合戦に出場しているあの名曲。実はこの曲は湾岸戦争とそれに対する日本の対応を風刺したメッセージ性の強い曲なのだ。
ちっぽけなしあわせに神を売り飛ばし
AH-生き急ぐ AH- 人の群れ
偽りの微笑に後悔はないのかい?
AH- ツバ吐いて AH- 捨てた夢
ここら辺りは湾岸戦争を風刺したという片鱗を感じる。もうこの番組を終わるのか、寂しい気持ちで私はテレビを見ていた。
みんな時代のせいだと 言い訳なんかするなよ
人生の傍観者たちを俺は許さないだろう
この番組が終わったこと、近年コンプライアンスが重視されるようになったテレビでとんねるずの芸風は時代にそぐわなくなっていく。面白ければそれでいいわけではないという現実。それでも彼らは時代のせいにはしていないのだろうなぁとふと思うのであった。それにしても自分たちの歌がまるで自分たちにブーメランのように突き刺さるような内容である。
「情けねえ」はいよいよ一番のサビに入るのだが、そこでとんねるずは動いた。歌詞を替えたのだ。
ウォウ ウォウ ウウォ ウウォ ウウォバラエティーを
ウォウ ウォウ ウウォ ウウォ ウウォ滅ぼすなよ
この国を滅ぼすなよをバラエティーを滅ぼすなよに替えたのだ。そこにとんねるずからメッセージが詰まっていた。
そして終盤のサビもとんねるずは歌詞を替えていた。
ウォウ ウォウ ウォウウォウウォ フジテレビを
ウォウ ウォウ ウォウウォウウォ おちょくるなよ
この国をおちょくるなをフジテレビをおちょくるなよに替えたのだ。約30年間、自分たちをレギュラーに使ってくれたフジテレビへの感謝の思いがあったからこそ、フジテレビを激励したのだ。
テレビカメラは歌い終わった二人のアップを撮す。憲さんはどこか寂しげ、少し笑みも出ている。そして貴さんは、鬼気迫る表情、怒っているともいえるし、寂しげともいえる。こんな貴さんを見たことがない。バックバンドの演奏が続く。よく見るとメンツも本格派。とんねるずはミュージシャンとしても一流だった。そしてお笑い芸人で、長期レギュラー番組を歌で締めくくったのは恐らく後にも先にもとんねるずだけでしょう。
「情けねえ」が終わり、貴さんはこの番組をこう締めくくった。
「みなさんのおかげでしたは、今日でこれまで、バーイ!センキュー!」
こうして「とんねるずのみなさんのおかげでした」は終わった。
私は物心ついた時からとんねるずが好きだった。憧れのカリスマ…それはとんねるずで決まっていた。
そんなとんねるずの姿が見れないテレビなんてあり得なかった。
「みなさんのおかげでした」が終わり、貴さんは「石橋貴明のたいむとんねる」という番組をフジテレビでスタートさせた。なかなか面白い番組だったが、二年で打ち切りとなった。
憲さんはテレビに出る機会は減るもTBSラジオのレギュラー番組「木梨の会」がスタートし、さらにミュージシャンとしてソロデビューしてマイペースながらも順調なセカンドライフを歩んでいた。
私はどうしても貴さんが気になっていた。恐らく彼は我々が想像する以上に生真面目な仕事人間。「みなさんのおかげでした」が終わった以降、どこかその輝きが薄くなっているような気がした。後にYahooのレッドチェアで「みなさんのおかげでしたが終わって、燃え付き症候群になっていた」と語っていたのも納得である。
そして、貴さんはレッドチェアで衝撃的なコメントを残している。
「とんねるずは死んでました」
そんな燃え付き症候群で傷心の貴さんを「一緒に組みましょう!」と手をさしのべた男が現れる。
テレビディレクターのマッコイ斉藤さんだった。
マッコイさんはかつて「とんねるずのみなさんのおかげでした」でディレクターとして参画していた。
マッコイさんの誘いに貴さんは乗った。こうして誕生したのがYouTubeチャンネル「貴ちゃんねるず」なのである。(後編に続く)