GKイズムとはプロレスラーの生き様を伝える冷静と情熱の言霊 ~「子殺し」おすすめポイント10コ~ | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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恒例企画「プロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コ」シリーズ38回目です。このシリーズはライターの池田園子さんが以前、「旅とプロレス 小倉でしてきた活動10コ」という記事を書かれていまして、池田さんがこの記事の書き方の参考にしたのがはあちゅうさんの「旅で私がした10のことシリーズ」という記事。つまり、このシリーズはサンプリングのサンプリング。私がおすすめプロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コをご紹介したいと思います。

この企画は単行本「インディペンデント・ブルース」発売以降、色々と試行錯誤してましてブログ運営における新しい基軸となったと思っています。今後もさまざまなプロレス本を読んで知識をインプットしてから、プレゼンという形でアウトプットしていきます。よろしくお願いします!


さて今回、皆さんにご紹介するプロレス本はこちらです。



内容紹介

カリスマ・アントニオ猪木引退後、長き迷走を続けた新日本プロレス。誰も書くことのできなかった壮絶な「親子戦争」のすべてが、元『週刊ゴング』編集長によってついに明かされる。橋本vs小川戦の真実、格闘技戦に臨んだ永田裕志、幻の「長州vsヒクソン」戦――。単行本には収録されなかった未公開エピソードを加え、ブシロード体制下の新日本を検証するプロレスファン必読の「完全版」。

内容(「BOOK」データベースより)

アントニオ猪木の引退後、団体史上最大の暗黒期に突入した新日本プロレス。専門誌編集長として、その壮絶な内幕を目の当たりにした著者が、長き迷走の「真実」を鮮やかに描き切る。大仁田の参戦、運命の橋本vs小川、そして格闘技との禁断の交戦―我が子に手をかけようとする猪木に選手たちは何を思い、どう行動したのか。新たなエピソードによって補完された新日本の「混沌の10年」を読み解くGKの絶対代表作。

著者について

金沢 克彦 (かなざわ かつひこ) プロフィール
1961年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、1986年新大阪新聞社に入社、「週刊ファイト」記者となる。1989年、日本スポーツ出版社に入社し「週刊ゴング」編集部入り。新日本プロレス担当記者として頭角を現わす。1999年「週刊ゴング」編集長に就任。マット界の主力選手と公私にわたりつきあうことで業界随一の情報網を築き、また新日本プロレスの現場監督、長州力に最も近い記者としても知られた。2004年日本スポーツ出版社の経営陣交替を機に編集長を辞任、2005年に同社を退社。現在はテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」、スカパー! 「サムライTV」などの解説をつとめるかたわら、各種媒体へフリーの立場から寄稿している。著書に『元・新日本プロレス』(宝島社刊)、『風になれ』(東邦出版)ほか。




今回は2012年に宝島社さんから発売された金沢克彦さんの「子殺し 猪木と新日本プロレスの10年戦争」という文庫本をご紹介します。(単行本は2009年発売されています)

遂にあのGKこと金沢克彦さんの書籍をプレゼンすることになりました。

金沢さんといえば長年、週刊ゴング編集長として辣腕をふるわれ、フリーのプロレスライターになられても、テレビ朝日系の「ワールドプロレスリング」の解説など多方面でも活躍された方です。

竹内宏介さん、清水勉さん、小佐野景浩さん、ターザン山本さん、宍倉清則さん、市瀬英俊さん、佐藤正行さん、鈴木健さん、小島和宏さんといった活字プロレス時代に誕生したプロレススター記者のひとりであり、しかも現在進行形で活躍しているのが金沢さんでもあります。ここがポイントです!



ちなみに金沢さんについて以前このような記事を書かせていただきました。

そんな金沢さん初の書き下ろし本がこちらの「子殺し」というわけです。本当に素晴らしい作品です。新日本プロレス迷走の真実と格闘技界のプロレス食いというショッキングな内容を現場目線で克明に綴っています。暴露ではなく、きちんと取材を基づいてまとめられています。

そんな「子殺し」を各章ごとに順を追って、書評していきたいと思います!この本、おすすめポイントは10個では収まらないほどありますよ!

★1.まえがき

この本の序章であるまえがき。金沢さんが触れた話題は2004年のG1CLIMAX。週刊ゴング編集長として、辣腕をふるってきた金沢さんですが、ゴングの部数を落としてしまい、身売りが決定していました。また当時の新日本プロレスは迷走していました。

G1シリーズ中にホテルで、金沢さんはテレビでたまたまBS放送で「怒れ!力道山」という映画を見ていると、興行師が力道山さんに言い放つこんなフレーズにドキッとしてしまいます。

「どうせプロレスはショーなんだろ?それに随分、八百長も多いそうじゃないか!」

すると力道山さんはこう反論します。

「私はプロレスをスポーツだと思って必死にやっています!」

プロレスライターの金沢さんの文章に「八百長」というワードが出てきたことに驚きました。プロレス専門誌とか携わった多くの皆さんはプロレスを蔑む表現は控えられている印象があります。特に八百長、出来レース、シナリオといった言葉ですよね。

力道山さんの映画を踏まえた上で、金沢さんは「プロレスはずっと一般世間からの偏見と闘ってきた」と評しています。その通りです。そして今も一般世間からの偏見とプロレス界は闘っています。

ここから金沢さんは週刊ゴング編集長時代について振り返ります。激動の時代に原稿を書き続け、毎週本を出してきたわけです。

週刊ゴングが身売りとなり、新体制とイザコザが発生し、紆余曲折の末に金沢さんは退社し、フリーライターとなりました。

その後、金沢さんは仲間たちと「Gリング」という月刊誌を創刊しますが、7冊で終止符。

「やりきれない。何も伝わっていない」


そのジレンマを持ち続けていた金沢さんには「覚悟がなければ闘いも知らない記者にプロレスラーを語れるわけがない。プロレスラーを語れる取材記者は私しかいない」という自負がありました。

そんなある日、金沢さんはこの本を担当した編集者となったK氏から本の執筆オファーが届き、一冊の本を渡されます。

沢木耕太郎さんの「一瞬の夏」

その本を見た瞬間に金沢さんはすべてを悟りました。

「私にプロレスノンフィクションを書いてほしいのだと…」

金沢さんは決意を固めます。

自身が人生を懸けて守ろうとした伝えようとしたプロレスラーのプライドと週刊ゴングというブランドを一冊の本にまとめることを…。

そのためには週刊ゴングの生命線だった新日本プロレスをテーマにする必要があったのです。


まえがきから、GK(ゴング金沢)劇場なんですよ!その執念が読み手を圧倒させて、読ませているんです。このまえがきだけで、掘り起こそうとするならいくらでもパンチラインはあるんです。それくらい最高のまえがきなのです。


★2.第一章 「邪道」の流儀

壮大な長編物語を予感させるまえがきの後にいよいよ第一章がスタート。ここで登場するのがインディーの教祖、涙のカリスマ、邪道、ミスターライアーと呼ばれる大仁田厚選手。つまりは新日本ではない外敵をメインで取り上げています。

金沢さんと大仁田選手ってあまり接点がないように見えたので、これは意外でした。

あの大仁田選手がたったひとりで新日本に乗り込み、「狙うは長州力の首ひとつ!」を掲げて蝶野正洋選手やグレート・ムタ選手と電流爆破デスマッチを敢行しながら、遂に標的・長州力さんにたどり着く血と汗と涙の連続ドラマ。実はこの大仁田・新日本参戦に関わっていたひとりが金沢さんだったことがこの本で分かります。

要は当時FMWにいた大仁田選手は団体離脱をすることになり、「最後の大勝負がしたい」と新日本に上がることを考えるようになり、当時ゴングの吉川記者に相談。そこから吉川さんが金沢さんに相談。金沢さんが新日本の現場責任者で大仁田選手の標的である長州さんに「大仁田選手がこんなことを言っていましたよ」と伝えたということです。

そこからゴング編集人の竹内宏介さんから新日本の取締役(当時)永島勝司さんに正式に大仁田選手から話がきて、最終的に大仁田選手サイドと永島さんサイドで合意したのではないかとのこと。

そしてこれはこの本を読んでから感じたことなのですが、当時の新日本の状況が今後混沌としてくるのではないかという一抹の不安を抱えていたこと。当時新日本の事務所はテレビ朝日の六本木センターというところにあったのですが、再開発によって、六本木センターは取り壊されることになり、事務所を移転することになっていました。

またアントニオ猪木さんが引退し、UFOという団体を旗揚げしますが、そこから新日本とUFOの仲がギクシャクします。

さらに猪木さんは、借金補填のためにオーナーとなった佐川急便の佐川清会長から株を禅譲という形で筆頭株主になったことでさらにややこしくなっていきます。

リング上は盛り上がっていましたが、この先はどうなるのか、猪木さんが陣頭指揮をすることでさらに混乱するという不安がありました。現場を取り仕切る長州・永島体制にとっては、不安を打破できる起爆剤として大仁田参戦を考えたのではないかと。

ここから大仁田選手が参戦していくのですが、とにかく金沢さんの取材力が凄い。ありとあらゆる現場の声が集結しているので、憶測で語られるものか少ない。そして仮に憶測で語っていたとして、ある程度は結論を詰めた上でのもので、リアリティーがあります。

京都大会で大仁田選手が新日本に電撃的に殴り込むんですが、ここにも金沢さんは暗躍するのです。その中身は読んで確認してください。臨場感、満載です。あの時期にタイムスリップできますよ。

金沢さんは、大仁田新日本参戦について、自分と大仁田の共犯関係だと綴っています。だからこそ長州さんとの一騎討ち当日の控室前の通路で大仁田さんは金沢さんにこう語ります。

「今までありがとうな。ゴングのおかげで俺はここまで来れたよ。編集長と菊花のお陰だよ」

いやぁ、まさしく大仁田劇場であり、GK劇場でもあります。YouTubeで言うところのコラボですよ。

愛し方とか考え方とかは違うかもしれませんが、大仁田選手と金沢さんはプロレスを愛する同志だったのかもしれませんね。

★3.第二章 惨劇―橋本vs小川の真実Ⅰ

大仁田劇場の次は、1999年1月4日東京ドーム大会での橋本真也VS小川直也についてです。この本における最大のクライマックスだと思います。この問題作が新日本を混迷させ、プロレス界全体も揺るがす大事件となったのです。

恐らく橋本VS小川の真実に最も深堀りしているこがこの本です。ちなみにこの後も橋本VS小川について追及している書籍はありますが、やっぱりこの本が橋本VS小川はどんな試合だったのかという基軸を記したと思います。

この第二章は小川戦後の橋本さんのインタビューから始まります。橋本さんの怒りが胸に迫ってきます。

「金沢さん、俺を助けてくれ!プロレスを守ってくれなくてどうするの? 逆に俺は問いたいよ。マスコミにも不退転の決意があるのか?ゴングはどうなのか?金沢さんはどうなの?俺らには言えない部分までフォローしてくれるのが、金沢さんの使命じゃないのか!?」

小川さんが仕掛けたセメント攻撃によって一敗地に塗れるという最大の屈辱を味わった橋本さん。

なぜこの試合はこんなにグジャグジャになったのか。
なぜこの試合は何から何まで異常だったのか。
なぜこの試合は問題作となったのか。
なぜ小川は橋本にセメントを仕掛けたのか。


そのなぜを金沢さんは細かいところまで取材を積み重ねて、まとめています。試合の攻防についてはもちろんですが、試合当日を向かえるまでの両雄の背景、試合前後の控え室でのやりとり、橋本と小川の試合後の電話など、現場の声が伝わらなければ書けない内容となっています。また小川さんのデビューからも振り返っており、そもそも小川さんの存在自体が新日本やプロレス界で異物だったことが分かります。

さまざまな心象模様、そこに複雑な人間関係も重なってしまい、一気に1999年1月4日に爆発してしまったという感じかもしれません。

さて金沢さん、この試合の数ヵ月前に週刊ゴング編集長になったばかりでした。新日本担当記者として、現場の最前線でプロレスを書き綴ってきた猛者である金沢さんにとって、橋本VS小川についてどう触れるのかは運命の選択となりました。

ちなみに金沢さんはプロレス記者には使用禁止用語があることを明かしています。「セメント」「シュート」「ガチンコ」「ギミック」「アングル」は禁止なのだそうです。「手が合う」はダメで「噛み合う」と表現。「好勝負を演じた」はダメで「好勝負を繰り広げた」と表現。なるほど。そうですよね。そんな文言をプロレス専門誌では見たことがありませんから。

でも金沢さん、覚悟を決めてその掟破りをしてしまいます。橋本VS小川をテーマにした巻頭特集で「橋本VS小川に何が起こった?!セメントマッチの真相を究明」というタイトルを打ったのです。

「小川の闘い方はルール違反であり、プロ失格」
「(橋本が)『絶対にアルティメット(ノールール)は許さない!』という長州力現場監督が作った不文律を守り通したのであれば、それは立派な態度だった」

彼はこのように批評したそうです。

しかし事態はここからさらに白熱していきます。小川さんが後日、写真週刊誌フライデーでプロレス業界を無視して自分の正当性をアピールするかのような記事が出たことにより、金沢さんはこう感じたようです。

「プロのリングを10戦も消化していない男にプロレスを語られたくない!ロープワークも受け身もマスターしていない男にプロレスを語られたくない!これは闘わなければならない。波風は立つだろう。業界内からも批判されるかもしれない」

プロレスを守るために、人柱となってしまった橋本さんのために、そしてこのリングに命を懸けて闘い続けているプロレスラーのために、金沢さんは立ち上がったのです。

ここから次の第三章に突入です。

★4.第三章 濁流―橋本vs小川の真実II

この第三章は第二章の冒頭で取り上げた橋本さんの怒り爆発インタビューから。

「一般マスコミにあんな勘違いされた形で載って一方的に書かれてさあ。マスコミに、ゴングに、金沢さんに不退転の覚悟はあるのか?金沢さんに答えてほしいよ!」
「俺はあの時(ダウンして)起きなかったよね。このまま何とかうまいこと収まればとは思ってたんだよね。なんでかって、アレを反対に俺がやったらどうなる?俺は潰されるよ、後から。(中略)どっちに転んでも今回、俺はハメられたんだよ」
「俺らは素晴らしい事やってきた自負もあるし、もっと先を進んでる。それを何でも否定する、自分でできないから否定する。だから年寄りは退くべきなんだよ。力道山が死んだから、日本のプロレス界は次を求めて発展したんですよ。だからアントニオ猪木はもう…死んだ方がいい!」
「バーリ・トゥードやアルティメットの世界に行くならいいけど、違うじゃない。俺らと一緒の世界でメシ食っていこうとしてるわけじゃない。そういう狡さが絶対に許せない。(中略)ケンカでも殺し合いでもないんだよ。このルールでやるって言ったら、このルールなんだよ。それがプロレスの鉄則であり、この世界の掟なんだよ。それを話をすり替えて一般誌にこんな形でアピールして、やるんなら来いとか…じゃあ、汚ねーことしていいんなら俺らの方がプロだよ。命まで狙うよ、本当に。この世界を汚すなって。(中略)俺らプロレスのルールの中で、自分のプライドこそルールなんだと思って、真剣勝負をやっているからね」

この衝撃発言連発の橋本さんのインタビューと小川さんのフライデー記事を受けての金沢さんは巻頭特集でこのように綴ります。

「一般誌がプロレスというジャンルをどう捉えて、どう解釈しようと、それは表現の自由である。ただし、そこに現役のプロレスラーが噛んでいるとなると、まったく話は違ってくる」
「これではプロレスを否定したことになるし、プロレスへの決別宣言と取られても仕方がないのだ。(中略)この記事がプロレス界全体に与えるマイナスイメージは測り知れないほど大きい。ハッキリ言って、小川は馬鹿である。周りの人間に、いいように利用されているのだ。素顔の小川直也という人物は、多くの人が認める好青年だけに、本当に残念な話である」


覚悟を決めた男の"血意"は大きな波紋を呼びました。ネットでは大炎上、編集室には抗議の電話もかかってきた。金沢さんへの脅迫もあったという。

それでもプロレスラーは金沢さんを支持した。個人的には獣神サンダーライガーさんの「俺たちはプロレスファンの10%を相手にやってるんじゃないもん。90%のファンのために、そういうファンに会場に来て喜んでもらうために、プロレスを一生懸命やってるんだぜ。90%のファンは絶対、金沢さんの姿勢を評価してるんだからね」というコメントが印象的でした。

そこからの橋本さんは欠場して復帰して、小川さんとの再戦で敗れて、引退を懸けた試合でも敗れて引退を宣言するも、テレビ番組での千羽鶴復帰運動もあり復帰するも、なんと独立してゼロワン旗揚げするという劇的な人生を歩むことになります。

そしてゼロワン旗揚げ後に橋本さんは小川さんと「OH砲」を結成しています。橋本さんは2005年に脳幹出血で急逝されました。

ちなみに金沢さんは橋本さんと小川さんの共闘はビジネスだったと思うと推測しています。その理由として、橋本さんのDVDセットに小川さんとの試合が一試合も収録されていないことに触れています。肖像権に関しては発売元と小川さんサイドに交渉した際に、なんと 5000万円(一試合1000万円か)の支払いを要求したことにより交渉は決裂したということです。やはり銭ゲバなのか。金沢さんは実は小川さんには罪の意識があって、あの試合を世にさらしたくなかったのではないかと解釈しているそうです。

またこの第三章では長州さんと橋本さんの関係がさらに犬猿の仲になっていることが分かります。


さらに文庫版では橋本真也さんの息子である橋本大地選手がゼロワンでプロレスラーとしてデビューしたことについても触れています。確か大地選手のデビュー戦をテレビ解説したのが金沢さんでしたね。

橋本真也さんのプロレスを見届けてきた記者が息子の大地さんの活躍も見届けている。プロレスは伝承文化ですね。


★5.第四章 プロレス喰い 永田裕志の戦い

橋本VS小川に続いて金沢さんが取り上げるのは永田裕志選手。悩みに悩んで猪木さんの要請を受けて、K-1のミルコ・クロコップとのMMAに挑んだ背景から、ミルコ戦敗退後から数日後の東京ドーム大会での秋山準選手とのGHCヘビー級戦、2003年の猪木祭りでのエメリヤーエンコ・ヒョードルとのMMA決定の紆余曲折と完敗という、格闘技の波に見事に受け続けた実力者のインサイドストーリー。

個人的には永田選手、色々と言いたいことや言い訳をしたいことがあったのかもしれませんが、それを公に出さないでMMAに挑んだこと。また彼には思惑があったわけですよ。武藤敬司選手を越えたいという。ミルコに勝てば、越えられるかもいう博打をしたわけですよ。でも秒殺されて、その野望は消えたわけです。これは必見ですよ!特に今の新日本ファンに読んでほしい。

こういう過程があって第三世代がいて、今の新日本があることが永田選手のレスラー人生で分かりますから!


そんな永田選手について金沢さんは「永田裕志こそ、この10年の新日本プロレスそのものだったのではないか?苦悩する新日本、葛藤する新日本、そして再生へ向け動き出した新日本の象徴だったのではないだろうか…」と評しています。

そのとおりです!!!

★6.第五章 「飛び級」志願 野獣・藤田の実像

永田選手の次に登場するのは新日本でデビューしてからMMAのPRIDEに主戦場に移して、プロレスラーの強さを証明し、外敵として新日本に戻りIWGPヘビー級王者となった藤田和之選手ひついて。金沢さんと藤田選手は仲がいいですよね。藤田選手も金沢さんだから語っていることが多いほどです。確固たる信頼関係があるわけですね。

ちなみに新日本を辞めてPRIDEに行くことになった藤田選手に長州さんが「PRIDEに行ったって利用されるだけだぞ」と言うと「長州さん、それは新日本にいても一緒ですよ」と返したというのがまた大胆不敵な藤田選手らしいなと思いました。

藤田選手も色々とありましたね。プロレス界も格闘技界を横断する活躍をされました。でも人間関係とかに翻弄されたところもありましたね。猪木事務所を出たり、PRIDE崩壊とか未払いもありましたから。

そんな藤田選手が金沢さんに語った名言。

「未熟者に引退はない」


なんだか藤田選手らしいなと思いました。現在はプロレスリングノアで活躍している藤田選手は野獣の咆哮を方舟のリングで上げています。


★7.第六章 「強さ」を追う者 石澤常光の心象風景

この本も終盤戦に突入。ケンドー・カシンこと石澤常光選手はかつて新日本プロレスで道場最強と呼ばれた実力者です。道場でスパーリングすると彼からタックルを取った者はいないそうです。

石澤選手は若手時代から強さを追い求めてきました。藤原喜明選手が率いる藤原組の道場に出稽古に行ったり、プロ修斗大宮ジムにも通ったり、海外遠征に旅立つとブラジルのカーロス・グレイシーJr.の道場、ルタ・リーブリの道場にも通ったといいます。


海外遠征中にマスクマンのケンドー・カシンに変身した石澤選手。凱旋した時も素顔ではなくマスクマンとしてでした。

ジュニアヘビー級戦線で活躍し、IWGPジュニアヘビー級王座とベスト・オブ・ザ・スーパージュニア制覇など結果を残してきた「波乱の問題児」がプロレスラーの強さを証明するために新日本代表としてPRIDE参戦したのが2000年8月27日の西武ドーム大会。

このPRIDE参戦に至る経緯について丁々発止、虚々実々、魑魅魍魎な人間関係があったようで、そこが詳しく書かれています。

そして石澤選手自身も新日本の迷走に巻き込まれた張本人だったと感じました。

「結局、ジュニアヘビー級でやっている限りは会社の評価は低いんですよ。チャンピオンベルトを巻こうと、何か待遇が変わるわけでもないし、それがギャラに反映されるわけでもない」

この現状は、今の新日本ではどのなのでしょうか。気になるところです。

★8.第七章 ヒクソンの亡霊

さて最後に取り上げるのは「新日本がヒクソン・グレイシー参戦を計画していた」という話。ヒクソン・グレイシーといえば400戦無敗の男と呼ばれ、グレイシー柔術の達人であり、一時期は世界最強の男という評価もされた格闘家です。

実は新日本がヒクソン参戦計画は何度もプランニングされたものでした。出ては消えて、出ては消えての繰り返し。

この本では1997年に金沢さんはライガーさんから「大阪ドームでヒクソンとやってほしいというオファーがあった。会社から言われたらやるけど、あんまり興味がないんだけど」という驚きの発言を聞きます。しかしこの対戦は実現することはありませんでした。


まだ新日本の若手だった藤田選手がヒクソン戦に名乗りを上げたり、中西学さんにヒクソン戦のオファーが来て準備をしていたとも。そういえば中西さん、一時期(1997年の年末から1998年春まで)白のショートタイツだったことがあって体を絞っていたことがあったんですが、この時期なのでしょうか。

ちなみに新日本はヒクソンの高額なギャラを了解していたとのことが金沢さんの長州さんへのインタビューで判明しています。つまり契約寸前まではいっていたようですね。

そして長州さんがヒクソンと闘うというプランもあり、なんと2001年5月の小川直也さんとのタッグ戦が仮想ヒクソン戦だったということです。しかし試合後、「小川のパンチが見えなかった」と告白したことにより、この長州VSヒクソンは幻となりました。

本当に深堀りすると色々と新事実があるものですね。それは金沢さんがひとつひとつ丁寧に取材で追っていることによってより深みが増すのです!


★9.あとがき&文庫版あとがき

本章が終わり、あとがきです。

ここでは2009年までの新日本プロレスについて綴られています。世代交代や興業のパッケージ化にも成功していること。そしてスポーツライクなプロレスに生まれ変わりつつあること。それは混沌とした猪木さん絡みの新日本との決別を意味していました。


金沢さんは最後にこのように評しています。

「新日本の暗黒時代とは、猪木幕府が統治する戦国時代であったのかもしれない。やがて猪木が新日本から撤退すると同時に、戦国時代は終焉を迎え、維新の夜明けが見えてきた。新日本はプロモーターが求める変化ではなく、ファンが求める変化を敏感に察知したということだようか。(中略)今日の復活劇の裏には、猪木と新日本の長きに亘る闘争があった。その狭間で葛藤しながらも、生きざまを見せつけたプロレスラーたちの姿があった」

そして文庫版あとがきでは、新日本が2012年にユークス体制からブシロード体制に移行して、さらに黄金期を作ろうと奮闘してことが分かります。

「どんなプロレス史の書物にも描かれてはいない親と子の10年戦争。風化されつつある暗黒の記憶、衝突の事実、血と涙に塗れた混迷の時代。新日本に未来が見えてきた今だからこそ、記憶の彼方に消し去ってはいけない過去、忘れてはいけない事実をこの本で残しておきたい」

金沢さんの思いと取材と経験が一冊のプロレスノンフィクションの傑作としてまとまった素晴らしい本だったということが分かるあとがきでした。


★10."活字プロレス最後の砦"金沢克彦のGKイズムとは、プロレスラーの生き様を伝える冷静と情熱の言霊

2021年1月、新日本プロレスの黄金期、暗黒期、復活期、新黄金期を見届けてきた金沢さんが18年半務めたワールドプロレスリングのテレビ解説を卒業することになりました。

金沢さんの解説は安定していて、プロレス愛と情熱、データ、プロレスラーの心証描写、生き方まであらゆる領域を伝えてくれる名解説でした。また時には実況アナを手助けるフォローも抜群でした。

金沢さんは「卒業」と題したブログ記事で次のようなことを書かれています。


「私が伝えるべきものはプロレスの試合ではなくプロレスラーの生き方なのだ。これは、プロレスの記事を書くときも、テレビ解説をするときも同じで、それが私のライターとして、また解説者としてのポリシーでもあった。
プロレスを語るのではなく、プロレスラーを語りたい。
プロレスを伝えるのではなく、プロレスラーの生きざまを伝えたい。
いま現在に歴史を重ねて見ることによって、闘いをよりドラマチックに伝えていきたい。
それが、ワタクシ金沢克彦流の解説なのである。
はたして、その意図がみなさんに伝わっていたかどうかはわからない。
だけど、私にはそれを伝えるべくつねに全身全霊で取り組んできたという自負はある」


プロレスラーの生き様を伝えたい…その思いは解説でも記事でも見事に果たされてきた金沢さん。

私が思うに、この金沢さんのイズムというものは、プロレスラーの生き様を伝えるために冷静と情熱を織り混ぜた言霊を残すことだったと思うのだ。

主観に走るのではなく、冷静に見つめながらも、熱くプロレスラーの魅力を伝えるために、その思いがより遠くまで届くように言霊となって解説や文章で表現されていく。そこにはきちんとした人間力、取材力、情報収集力、分析力があってこそ成せる業なのではないでしょうか。


その繰り返しがやがて多くのプロレスラーからの信頼を得て、多くのプロレスファンからの高い評価も獲得されたのです。

今回、ワールドプロレスリング解説者としては卒業となりましたが、金沢さんの役割はまだまだあると思います!

プロレスラーの素晴らしさを伝えるためにナビゲーターとして、今後のご活躍に期待しております!