金沢克彦とは超人たちの魂を言葉で紡ぐ至高の語り部~「元・新日本プロレス」おすすめポイント10コ~ | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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恒例企画「プロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コ」シリーズ39回目です。このシリーズはライターの池田園子さんが以前、「旅とプロレス 小倉でしてきた活動10コ」という記事を書かれていまして、池田さんがこの記事の書き方の参考にしたのがはあちゅうさんの「旅で私がした10のことシリーズ」という記事。つまり、このシリーズはサンプリングのサンプリング。私がおすすめプロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コをご紹介したいと思います。

この企画は単行本「インディペンデント・ブルース」発売以降、色々と試行錯誤してきて、ブログ運営における新しい基軸となったと思っています。今後もさまざまなプロレス本を読んで知識をインプットしてから、プレゼンという形でアウトプットしていきます。よろしくお願いします!


さて今回、皆さんにご紹介するプロレス本はこちらです。




内容紹介

リング上よりも劇的なプロレスラーたちの「人生のリング」。マット界の盟主と呼ばれ、日本の格闘シーンを常にリードし続けた新日本プロレスをそれぞれの理由で去った男たちが、いま自らの「新日本体験」と「その後」を語る。登場人物は小原道由、越中詩郎、片山明、大矢剛功、栗栖正伸、大谷晋二郎。著者と各選手たちの四半世紀に及ぶ記憶が鮮やかに交錯する。

内容(「BOOK」データベースより)

日本の格闘技界の源流となったアントニオ猪木率いる新日本プロレス。かつて胸のライオンマークを誇りにリングに上がった選手たちはなぜ団体を去り、いま何を思うのか。専門誌記者として同時代を生きた著者が彼らの「その後」を追う旅の記録。栄光、挫折、そしていまだ消え去ることのない夢。選手たちによって初めて語られる「新日本体験」から、新しいプロレス史が立ち上がる。

著者について

金沢 克彦 (かなざわ かつひこ) プロフィール
1961年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、1986年新大阪新聞社に入社、「週刊ファイト」記者となる。1989年、日本スポーツ出版社に入社し「週刊ゴング」編集部入り。新日本プロレス担当記者として頭角を現わす。1999年「週刊ゴング」編集長に就任。マット界の主力選手と公私にわたりつきあうことで業界随一の情報網を築き、また新日本プロレスの現場監督、長州力に最も近い記者としても知られた。2004年日本スポーツ出版社の経営陣交替を機に編集長を辞任、2005年に同社を退社。現在はテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」、スカパー! 「サムライTV」などの解説をつとめるかたわら、各種媒体へフリーの立場から寄稿している。著書に『子殺し』(宝島SUGOI文庫)、『風になれ』(東邦出版)ほか。




今回は2012年に宝島社さんから発売された金沢克彦さんの「元・新日本プロレス 『人生のリング』を追って」という文庫本をご紹介します。(単行本は2010年発売されています) 

前回の「子殺し」に続いてプロレスライター金沢克彦さんの書籍を取り上げることにしました。

「元・新日本プロレス」。これもまた名作なんです。6人の元・新日本プロレス所属レスラーの「その後」を追ったプロレスノンフィクション。個人的にはこの本は私の文章を書くときに影響を受けた作品です。早速この本のおすすめポイントを各章ごとに順を追ってプレゼンします!よろしくお願いいたします!


★1.新日本プロレスの主要な歴代所属レスラー


まず、この本は新日本プロレス歴代所属日本人レスラー(旗揚げした1972年から2011年まで)のリストがズラッと並んでいるのですが、本当に凄いレスラーばかりなんですね。ちなみにレフェリーも載っていました。この豪華なメンツが育った団体が新日本プロレスなのだということを把握した上で次のまえがきに進みます。


★2.まえがき 山本小鉄さんが残したライオンマーク

さて、まえがきになります。「子殺し」でもそうですが、金沢さんの本はまえがきが凄すぎるんですよ。そこから感動してしまうんです。プロレスでいうと、大歓声と選手を呼ぶ大コールを包まれる最高の入場シーンなんですよね。

この本のまえがきは、金沢さんが司会を努めたあるトークイベントにおける藤原喜明選手との打ち合わせがてらの雑談から始まります。

藤原選手は途中しんみりとした表情でこのようなことを言いました。

「振り返ったときにな、俺は人生で一体なにを残してきたんだろう?俺はいい人生だったのかな?って」

すると金沢さんは迷わずに返答します。

「組長は人を残してきたんです。技術を体に教え込むことで、組長の遺伝子を弟子たちに残してきたんじゃないですか?
それが前田日明さんであったり、鈴木みのるであり、船木誠勝もそう。ライガーだってそうですよ。みんな組長の遺伝子を持っているんですから」

藤原選手は「ああ、そうか!そういう考え方があるんだな。、じゃあ、俺の人生あながち無駄じゃあなかったってことか。なんか、いい人生に思えてきたなあ(笑)」と納得されたようです。


そこから金沢さんが綴っていく文章は圧巻の一言なのです。そこには残酷なまでの現実が浮き彫りになります。

「理屈と道理、理屈と屁理屈の境界線が判然としないのと同様に、理屈と空論も紙一重である。この業界に限らず、社会には理屈と空論ばかりが渦巻いているではないか…。プロレス界も理屈が多すぎる。(中略)誰も彼もが言葉を持ちすぎた。その結果が現状だろう」
「プロレスラーは言葉を持ちすぎた。主張する方法を覚えたレスラーたちは、取材する側、インタビュアーを選ばなくなる。(中略)こうなると、聞き手や取材する側は単なる広報担当と化してしまう。レスラーが聞き手を選ばないということは、取材する側の力量は問われないということ。(中略)ここ数年で業界マスコミのレベルは恐ろしく低下した。レベルが低下すれば、本物と偽物の区別はつかなくなる。いや、もともと偽物という概念は存在しない世界だろうから、未熟という表現のほうが適切なのか?」
「言葉を持ちすぎた選手たち。レスラーと言葉で闘うことを知らない記者たち。団体やレスラーの広報担当と化していることに気付かないマスコミ。意にそぐわない報道を許さない団体。もう業界すべてに対するアンチテーゼである」
「スター選手は必要ない。言葉を用意している者も必要ない。しゃべり過ぎた人間、晒し過ぎたレスラーには興味が沸かない。ここに登場するのは、言葉を持たない者、あるいは単に主張する機会に恵まれなかった者。それでいて、我々の脳裏にその存在感を焼きつけてきた男たちである」
「選ばれし者しか生き残れなかった時代の新日本プロレス。そこで確かに生き抜いてきた男たちだ。退団の理由は様々だが、6選手はみんな明日を信じて新日本を去って行った。生き様を見せながら、今もなお『元・新日本プロレス』だったことに誇りを持っている」


待ったなし!金沢さんにとってはこの本は「プロレスラーの生き方を問う取材旅」の証なのです。


★3.第1章 小原道由 「最強伝説」の真実

まず最初に登場するのが、"狂犬"小原道由さん。平成維震軍、狂犬隊、クレイジードッグス、TEAM2000のメンバーとして活躍した元プロレスラー。実は新日本では影の最強男として恐れられた喧嘩番長だったのです。

この本はもくじだけで、取り上げた選手のレスラー人生が分かるんですよ。

・名門「国士舘大学柔道部」
・「寝技日本一」をハネ返した国士舘「小原伝説」
・アニマル浜口の言葉「人生は一度しかない、だから…」
・夢の「IWGP獲り」へたった一度のチャンス
・小川VS橋本戦「ブッ壊し」の真相
・箱根で開かれた極秘「猪木セミナー」
・柔道家に分かる小川の「強さ」と「プライド」
・「PRIDE」覆面セコンドの意外な正体
・選手生命を絶った悲劇の「交通事故」
・中古車販売会社に自ら電話して就職


もくじが最高のキャッチコピーとなっていて、読み手はドンドン小原さんのレスラー人生に引き込まれていきます。

その中から金沢さんが引き出した小原さんの言葉。

「いい試合とか言っている奴らに聞いてみたかった。お前ら、猪木さんの試合でいい試合ってあるか?と。まずないですよ、彼らの尺度でいういい試合ってのは。猪木さんが見せていたものって、アクとか人生、生き様ですよね。だからインパクトなんですよ。お客は高い金を払って非日常を見に来るわけですよ。普通の人みたいのが、いい試合しますを見に来るんじゃないと思う。化け物みたいなプロレスラーを見せなきゃいけないんですよね」
「その当時(1999年1月4日東京ドーム大会での小川VS橋本)、橋本真也は新日本の強さの象徴だったわけですよ。俺らはみんなで神輿を担いでいた部分的もあるんだから。その強さの象徴を潰された日には、このままアイツらを帰したんじゃ俺らもオマンマの食い上げだって思ったんですよ、ホントに。だから潰さなきゃいけない。明日からメシ食っていけなくなるんだから」
「練習の話ですからね。スパーリングは1本、5分でやるんですけど、自分も吉田(秀彦)とジョシュ(バーネット)とスパーリングやりましたよ。(中略)ジョシュとやって極めはしなかったけど、極められもしなかった。全然負けてはいなかったと思う。それにね、俺は吉田とスパーリングしても極められもしなかったですから。藤田(和之)にも極められてないし。だけどね、練習なんですよ。レスリングのオリンピック金メダリストでも総合に出たら、投げられたりする。ボクシングの世界チャンピオンでもK-1に出たら、パンチを食らって倒れることもある。それが勝負の世界なんですよね」
「自分はプロレスを職業として一生懸命全うしていた自負があるし、その中で勝ち負けっていうのは関係ないですから。そこの部分がプライドではないですから。たぶんプロレスラーもして2000試合ぐらいやってると思うんだけど、そこで後悔とか恥じるものはないんですね。常識外れのヒールを演じてる時はビールを飲みながら仕合したこともあるけど、それはプロとしての仕事だから」


小原さんの本音を「これでもか!」と引き出している金沢さんの取材力と信頼。そして金沢さんだからこそここまで語っている小原さんの覚悟。やっぱり凄いとしか言えないですね。

プロレスファンの皆さんは小原さんの見方が確実に変わると思います。

★4.第2章 片山明&大矢剛功 「不死鳥」が語った空白の18年

さて小原さんの次に登場するのが、この本の目玉である"人間ロケット"片山明さん。、新日本プロレス、SWSで活躍した小柄の突貫ファイター。しかし1992年1月に試合中の怪我により、第4頸椎脱臼骨折により半身不随の重傷を負いそこからは車イス生活を送っています。今回、片山さんは、新日本時代の同期で仲良しである"男の中の男"大矢剛功選手が同席してほしいという条件で金沢さんからの取材を受けることで合意しました。第2章は二人の同期プロレスラーの物語なのです。

冒頭から片山さんの奥さんから届いた一通の感謝メールからスタートします。編集者のKさんより「片山明さんの取材ができるかもしれません」という連絡を受けて、猛烈な取材意欲に駆られた金沢さん。彼には「いつか片山さんに会って取材をしたい」という思いがありました。

金沢さんにはある日、若手時代の石澤常光(ケンドー・カシン)から何度も言われたこのセリフが突き刺さっていた。

「くだらないレスラーがバカげた試合は『ゴング』に載せなくていいと思うんですよ。練習もしない、酒ばっかり飲んで適当な試合をしたり、訳のわからないデスマッチでお茶を濁したりとか…。金沢さん、ぜひ片山明さんの取材をしてください!プロレスは一歩間違えたら大変なことになる命懸けの仕事じゃないですか?片山さんは命懸けでプロレスやって運悪く動けなくなってしまった。でも頑張ってリハビリしてるんでしょう?そういう本当のところを取材すべきじゃないですか?金沢さんが単なるプロレス記者じゃなくてジャーナリストなら、そういう仕事をしてほしい」


そこから金沢さんは片山さんについて詳しく回想していきます。相手のボディへ頭から突っ込んでいくトペ…いわゆる「片山ロケット」を得意とするイキのいい小柄レスラーだった。リング外はとにかくイジられキャラで、み
んなに愛される男だったそうです。

ようやく実現した金沢さんと片山さんの約19年ぶりの再会。そこには片山さんの同期の大矢選手もいた。こうして取材が始まります。ここからは金沢さんが引き出した二人の印象的な言葉をご紹介します。


片山さん
「(不甲斐ない試合をした選手に対する試合後の懲罰スクワットについて)今はそんな厳しい人はどこの団体にもいないでしょう?自分の時なんか当たり前っていうか、もう俺はしょっちゅうだったから。ネコ(ブラック・キャット)さんに見られていて試合後にやらされて、坂口(征二)さんに言われてやって、あとは山田(恵一)さんですね。『なんだ、あの試合は!』っていつも怒られて、スクワットやってました。山田さんには体で覚えさせてっていうのがありますよね。『小さいからこそ負けちゃいけない、プロなんだからアマチュアに舐められちゃいけない』って精神ですよね。そうやって試合を見て怒ってくれる人がいるって、いま思うと幸せなことだったと思います」
「金沢さん、事実は事実で書いてください。ただし、悲劇のヒーロー的な扱い、内容はまっぴらゴメンです。夢を売る商売で、こういう負の部分を晒していいものか、晒しちゃ行けないんじゃないのかっていう思いが今もあります。こう取材を受けていながら。ただ…治ったらやろうかなと思って。今でも思ってますね。そのうち医学がもっと発達したら何とかなるんじゃないなと思って、動かせるところだけは今も欠かさず練習をやっています」
「プロレスとは何かと聞かれたら、亡くなった三沢(光晴)社長が確か言っていた『何をやってもいいのがプロレス、どんな格闘技と闘っても勝つのがプロレス』というのがかなりピッタリの言葉だと思います。自分にとっては、『プロレスは観るものじゃなくて、自分でやるもの!』かな。(中略)プロレスはリングに上がったからといっていきなり試合ができるものじゃありません。体力作りも怪我の治療も全てプロレスをやるためのもの。きっと自分は死ぬまでプロレスから離れられないと思います。簡単な怪我じゃないということは理解しています。自分と同じような怪我をされた方々も周りに沢山いるし、今の状態をそのまま受け入れたほうが人生は楽かもしれません。でも、それじゃあつまらないし、ホントの自分じゃないなあと。医学も科学ももの凄いスピードで進歩してますよね。今の状態でできるトレーニングをやり続けていけば、なんとかなるでしょ!と。まだまだ余程のことがない限り、自分はくたばりませんよ!」

大矢選手
「(新日本と全日本のレスラーが移籍してきたSWSの練習について)練習スタイルがぜんぜん違うんですね、新日本と全日本では。国際(プロレス)のスタイルはむしろ新日本に似たところがある。新日本は徹底して基礎体力で、全日本は受身なんです。俺らは基礎体力やっていると、(ザ・グレート)カブキさんが来て『そんなことやってないで受身をやれ!』とか言う。国際は基礎体力と、鶴見(五郎)さんがいたんでアマレスのトレーニングですね。(中略)今だから言えるけど、田中(八郎)社長がいる時はみんな和やかで大人のムードなんですけど、やっぱり天龍(源一郎)さん、ジョージ(高野)さん、谷津(義章)さんってみんなバラバラなんですよ。あと、カブキさん、若松(市政)さんも険悪になったことがあったし。根本的に考え方が違うから無理なんですよね」
「俺もプロレス好きだからさあ。SWSがなくなって、最初は多少の抵抗もありながらFMWでやらせてもらって。そりゃ有刺鉄線(デスマッチ)をやるのは抵抗ありましたよ。でも書い(FMWの)解散まで頑張ってやらせてもらって、その後ずっと現役でいますからね。いまブログやミクシィやりながら、素直な気持ちを書いているんですよ。俺は死ぬまで現役だから、葬式が引退式だって」

こうして取材が終わりました。実は文庫版であるこの本では、補記として片山さんが文章を書くことになりました。慣れない文章作成の末に出来上がったものに金沢さんは背筋がゾクリとしたそうです。その内容に関してはこの本を読んでいただけばと思います!

本編はとにかく感動します。そして文庫版になると感動具合が倍増。

読んでみて感じたのは、金沢さんはただのプロレス記者ではない、物事の真相を追うプロレス・ジャーナリストです!

これは涙なしには見れないですよ!


★5.第3章 栗栖正伸 「イス大王」のプライド

中盤となる第3章では、"薩摩の荒法師"栗栖正伸選手が登場。あの伝説のイス大王は、新日本で生まれ育ったラフファイター。新日本、全日本、FMWと転々として、新日本にフリーとしてUターンして、ブレイクしました。

金沢さんは冒頭でこのように綴っています。

「私がこの業界で仕事を始めてから、もう25年目に入ろうとしている。その間、記者仲間、カメラマンたちから見て厄介な存在というか、実際にマスコミが近づきがたいムードを発散させていた男となると3人しか浮かんでこない。長州力、前田日明、そして栗栖正伸である。そこで不思議なのは、総じて記者たちが苦手意識を持つこの3人こそ、私の得意とする分野であったこと」

そんな栗栖といえば日本プロレス界における伝説の名勝負を残している。1990年8月2日後楽園ホール大会での橋本真也さんとの一戦。新日本にUターンしてからブーイングを食らいまくる栗栖さんは、絶頂期の橋本さんと真っ向勝負。すると会場は大声援を送ったのです。最後は橋本さんに敗れましたが、万雷の拍手を受けた栗栖さんは男泣きしたのです。試合後、「俺はヒールなのに…なんで泣いちゃったのかな?ヒールなのに、お客さんのあったかい心に負けちゃったのかな?」と語る栗栖さんに金沢さんが「それは違うと思います。今日は栗栖さんがお客さんに勝ったんですよ!」と伝えたんです。

これは「泣けるプロレス」ですよ!


そんな金沢さんだからこそ引き出せた栗栖さんの印象的な言葉はこちらです。

「(新日本道場で)スパーリングは随分やらされたよ。じゃあ誰が強いかって、みんな似たり寄ったりよ。前座の頃なんか特別に誰が強いなんてないし、ドングリの背比べだね。みんな練習してるんだから。でも、そこからもっと練習して初めて距離が出てくるんじゃないの」
「(アントニオ猪木さんは?)そりゃ強いですよ、グラウンドとか。強くなきゃアントニオ猪木ではいられないよ。俺の場合、けっこう足を極めるのが得意だったから、普通の相手なら『あー、イテテテッ!』って言わせられるのに、猪木さんの足は極めようと思っても極められないもん。柔らかいし、逃げ方も知っているから」
「(FMW参戦について)大仁田が言ったのは『闘いを見せてほしい!』って。だから俺は闘いを見せただけ。俺だって レスラーのはしくれだよ 、 それをこのままっていう部分はあったから 、タイミングもよかったんだな」
「(プロレスラーのプライドについて)凄いプライドあるぞ!だから今も毎日練習してるじゃん。だから今があんねん。だから能書きたれられるんじゃないか?俺が プライドを持てるようにしてくれるのが、ウチの嫁さんであり、子どもたち(明子、里佳)だから。いい家族に恵まれたなって。この家族いなかったら、とっくに死んでるよな、棺桶に両足入ってるよなあ(笑)」

栗栖さんは今年(2021年)で75歳。今もプロレスラーとしてのプライドを持ち続けて生きているわけです。創世記の新日本プロレスについて貴重な証言の数々が読めて面白かったですね!


★6.第4章 越中詩郎 馬場、猪木、そして三沢——

そしてこの第4章は"ド演歌ファイター"越中詩郎選手。全日本でデビューして、新日本に移籍してきた苦労人レスラーです。

越中選手のもくじを見てみると…。

・「まともな人」がレスラーになると…
・全日本と新日本の決定的な違い
・カブキの教え「前座は前座の試合内容があるだろう」
・「サムライ・シロー」と「カミカゼ・ミサワ」
・馬場に初めて背を向けた男
・UWF勢の生贄となった真相
・髙田延彦との友情と名勝負物語
・「ありがた迷惑」だった「平成維震軍」
・悪夢の「WJ」そして「バーテンダー」に
・最も多くのレスラーの「背中」を見てきた男


実は金沢さんは新日本記者時代は越中番だったんで、平成維震軍の名付け親なんです。そんな金沢さんだからこそ引き出せた越中選手の言葉。

「全日本は完全に縦の社会、年功序列が厳しいんですよ。試合会場で先輩より先に風呂入るとか、道場で先輩たちより先に飯食うとか、そういうのはあり得ない。新日本にはそういう厳しさがないんです。2~3試合目に出たとしたら、『早くシャワー入れ!』と。道場でも『練習終わったやつから、どんどん飯喰え』とか、それはビックリしましたよ。それも猪木さんの前であろうが関係なくて。馬場さんはそういうのは絶対許さなかったから。練習もそうで、全日本はとにかく受身。『自分を守るためにしっかり受身を練習しなさい。どんな技でも、どんな角度から来ても受身がとれるように』って。もう受身は嫌というほど取らされましたね。新日本は新弟子に教えるのを見てもね、受身の練習はもちろんするだけど、そういうことよりスパーリングをやったり、教え方も『どんどん攻めていきなさい。受けちゃダメだ、後輩からでもどんどん攻めて行け』って。これをもし全日本でやったらボカーンと食らわされる」
「本当のプロレスラーは、腕一本で生きて行く職人レスラーだろうと。僕はそういう本物の人たち、カブキさん、戸口さん(キム・ドク)、(佐藤)昭雄さん、桜田さん(ケンドー・ナガサキ)を一番下から憧れの目で見ていたんですよ。そういうタイプのプロレスラーに接することができた最後の世代が自分だと思うし。(中流)例えば、テキサスに入って活躍しても切られちゃったら、次はノースカロライナに平気な顔をして胸を張って行くわけですよ、バック1つで。そういうレスラーを間近で感じられたのが全日本にいた時の最大の財産ですね。それがあるから、今まだ僕はこうして生き残っていられるんだと思うし」
「金沢クンが平成維震軍って立派な名称を付けてくれた時も、正直ありがた迷惑っていうか、これで潰れたら恥かくなって。名前に甘えたりその気になったらすぐに終わっちゃうよ、みたいな感じにいつも思っていましたね。(中略)酷い言い方したら、ド素人と窓際だった2人とロートルの集団だよ(苦笑)。これが続くと思うかい、普通」
「(現状のプロレス界について)高い壁がない、山が小さくなった。そうなるとプロレスじゃないんです。上手い、強いだけで人気が出ますか? カッコいいからって、それだけで人気が出ますか?ファンはみんな知ってる、気づいているんです。『こいつは頑張ってるな!』とか『苦労してるな』とか。『ここまで苦労して落ちた人間がどうやって這い上がってくるのかな?』って、そこを見ているんですよね。今は落とし方も上げ方も中途半端ですよね」


本当に渋い、深いのある回でしたね。越中選手だからこそ語れる「新日本と全日本の違い」「理想のプロレスラー像」「平成維震軍時代の本音」「今のプロレス」。

さすが越中選手、金沢さんと思わせる内容となっております!


★7.第5章 大谷晋二郎 橋本真也を追いかけて

本編最後となる第5章。取り上げるレスラーは"炎の刃"大谷晋二郎選手。新日本でデビューし、ジュニア戦線で大活躍し、ゼロワン移籍。現在もゼロワンの第一線で活躍する熱き「ミスタープロレス」!

そんな大谷選手と金沢さんの関係は新日本の若手時代から今日に至るまでずっと継続されています。

もくじを見てみるとこれがね、名キャッチコピーの数々なんです。

・「花の92年入門組」の人生模様
・「俺が辞めろって言ったら辞めるんだよ!」
・武藤と橋本の「大谷争奪戦」
・長州の唯一のアドバイス「決して扉を閉めるなよ」
・「チケット1枚買ってくれる人を抱きしめたくなる」
・なぜ橋本と分かれなければならなかったのか
・永田の「そびえたつマンション」と7万円のアパート



日本で一番大谷選手のプロレスを間近で見てきたライターである金沢さんだからこそ引き出せた大谷選手の言葉。

「新日本の育て方って、最初は根性試しして、なんとか残るなと思ったら、それから毎日シュートのスパーリングですよね。その中で受身を徐々にやっていって、基本的な受身がちゃんとできるようになったらデビューなんです。攻め方なんかなんにも教わってないんですよ、デビュー前に。ロックアップしかできないのに、『おい、デビューしろ!』だから。なんにもできない、受身の練習でやったボディスラムぐらいしかできないんです。技を覚えたいと思ったら自分でやるしかないんです。だからガイジン選手とかに教わりにいく。僕なんかはスティーブ・リーガル(ウィリアム・リーガル)に教わったりしてるんですよ。だからそれが新日本流、基本だけできたらいきなりポンと海に投げ込まれるような感覚ですね」
「長州さんが新日本とZERO-ONEの関係の中でそういうことを言ったらどうかは分からないんですけど、ハッキリ覚えている言葉があるんです。『いいか大谷、このプロレス界は狭い世界だ。お前が新日本を辞めようがどうしようが、一つだけ俺がアドバイスするとしたら、決して扉を閉めるなよ』って言われたんです。あとは『じゃあ、頑張れ!』って。僕、その意味が分からなかったんですね。それが何年か後に分かった。長州さんも新日本を辞められてWJをやって、ZERO-ONEに上がったじゃないですか。(中略)こんな狭い世界だから必ずまた巡り合うぞ、だから頑なに扉は閉めるなよっていう、長州さんの先を見越したメッセージだったんですね」
「ある方に言われたんです。不思議な力を持った人なんですけどね。あの世に旅立った者は正義も悪もぜんぶ分かる。だから、あなたが間違っていないと思うのであれば、亡くなった橋本真也さんもあの世で『大谷、そうだったのか。中村(祥之・元ゼロワン代表)、そうだったのか。悪かったな、頑張ってくれよ』って必ず思ってくれてるはずですって。それを言われたときに、なんか凄く救われたなって。亡くなった者は必ず心の澱みが消えて、間違いのない真実が見えるって。橋本さん、分かってくれてるんじゃないかなあって」
「よくね、初めてプロレスを間近に見た子どもに言われるんですよ。『どうして蹴りから逃げないの?』って。それってすごく素朴な疑問じゃないですか?『逃げたくないからだよ。君らの前で逃げたくないんだよ』って答えると『ありがとう!』とか『なんで避けないの、避ければいいのに』って。そこで『逃げたくない』って言うと、子どもたちにもなにかが伝わるんですよね」

これは読みながらウルウルしましたね。泣きますよ、これは!!

大谷選手ってプロレスの天才だと思うんです。試合がうまくて、どんな相手でも好勝負、名勝負になる。その真髄がよく分かる回ですね。そこに長年、大谷選手を追い続けた金沢さんの取材力と文章力が加わると…感動しますって!


とにかく皆さん、必見!!!

★8.あとがき 元・新日本プロレスとしての誇り

あとがきに突入します。金沢さんにとってこの本の作成は地獄の手法だったそうです。

「徹底的に取材をして、相手の言葉から真実味を引き出し、当時の歴史を遡りながら、そこに筆者の体験、その選手との関わりも交えて事実関係を文章化する」

そのはてに完成したのが「元・新日本プロレス」だったわけです。丁寧に手間隙をかけた作品というのは読んでみてよく分かります。

あとがきでは、2009年10月8日の新日本・両国国技館大会での中邑真輔選手と大谷選手のIWGP戦について言及しています。この試合、めちゃくちゃいい試合で。個人的には5本の指に入るベストバウトなんですよ。

大谷選手とのIWGP戦を終えた中邑選手が後日、金沢さんに語ったそうです。

「コーナーで大谷選手に袈裟斬りチョップの連打を食らったじゃないですか?あれって橋本さんの得意技ですよね、テレビで観てましたもん。あれ食らったときね、痛いのに俺もう感動しちゃって」

テレビ画面に映る新日本時代の橋本さんや大谷選手のプロレスをレスラーになるまえの中邑選手がみていて、その情景が試合をしながらフラッシュバックしていく。

プロレスってやっぱり伝承文化。
巡りめぐって味わえるドラマがあるんです。

あとがきにもってきたエピソードもまた最高でした!



★9.文庫版 あとがき 竹内宏介さんに捧ぐ——


さて文庫版あとがきでは、金沢さんの恩師である竹内宏介(元ゴング編集人)さんの逝去について触れています。

「竹内さんが逝去したことにより、私は2人の師を失った。私をこの世界に導いてくれた元『週刊ファイト』編集長の井上義啓氏、そして『週刊ゴング』編集長時代に、常に私の背中を押してくれた竹内さん。それでも2人の師匠からの教えは私の中でずっと生き続けている。迷ったときには、自分の胸に問いかければいいのだ」

よく考えると井上さんと竹内さんのハイブリットが金沢さんなのかもしれませんね。井上さんの冷静なまでの視点と竹内さんの熱きプロレス愛。2人の長所を金沢さんはそこに「人々に分かりやすく提示する才能」という調味料を加えたオリジナルを出していったのかもしれませんね。


★10.金沢克彦とは超人たちの魂を言葉で紡ぐ至高の語り部


私は「子殺し」のレビュー記事で、「金沢さんのGKイズムとはプロレスラーの生き様を伝える冷静と情熱の言霊」であると論じました。

プロレスラーの生き様を解説であり、文章で時には冷静に、時には熱く、きちんと分かりやすく伝えるそのスタイルことGKイズムなのだと。

では金沢さんとは何なのでしょうか?

色々と考えました。


金沢さんの凄さは多くのプロレスラーたちが「金沢さんだから」といって答えたり、教えてくれていることがあって、それを「これは出す、これはボカす、これは出さない」ときちんと仕分けした上で分かりやすく我々に提示されている伝達能力の高さだと思います。

「プロレスを語るのではなく、プロレスラーを語りたい。プロレスを伝えるのではなく、プロレスラーの生きざまを伝えたい」…それが金沢さんのスタイルです。

プロレスラーという超人たちの生き様、魂をテレビや文章といった媒体で言葉を使って我々に伝えてくれている至高の語り部…それが金沢さんなのです。


そんな金沢さんの最高傑作こそ、「元・新日本プロレス」なのです!

今までのプロレス本のなかで一番読み込んだのがこの本です。何度も何度も読んでも飽きないですし、感動します。


皆さん、チェックのほどよろしくお願いいたします!