最初から最期まで異常という奇跡の軌跡~「W★ING流れ星伝説」おすすめポイント10コ~ | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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恒例企画「プロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コ」シリーズ44回目です。このシリーズはライターの池田園子さんが以前、「旅とプロレス 小倉でしてきた活動10コ」という記事を書かれていまして、池田さんがこの記事の書き方の参考にしたのがはあちゅうさんの「旅で私がした10のことシリーズ」という記事。つまり、このシリーズはサンプリングのサンプリング。私がおすすめプロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コをご紹介したいと思います。

 
 
さて今回、皆さんにご紹介するプロレス本はこちらです。





内容紹介

1991年8月7日、後楽園ホール。
のちにプロレス史にその名を刻むインディー団体、「世界格闘技連合 W☆ING」がTAKE-OFF(離陸)した。
だが、わずか3シリーズをもって団体は分裂。
茨城清志は新たな団体、「W☆INGプロモーション」を設立へと動く。
大半のスタッフ、選手と共に同年12月10日、「SKY HIGH AGAIN」を後楽園ホールで開催する。
資金は持ち出し、リングは全日本女子プロレスから10万円で借りるなど、"ないない尽くし"の再旗揚げ戦。
茨城は破格のギャラを払ってミル・マスカラスを招聘。
満員にはならなかったものの、なんとか再スタートを切ることに成功した。

W☆INGのリングに集まった男たちは、誰もが世間的には無名だった。
メジャー団体の選手のようなめぐまれた体格や身体能力がはなかった。
だが、プロレスに憧れ、愛する気持ちだけは誰にも負けていない。
それは、団体の運営を担うフロントの男たちも同様だった。
どうしたら、リングで輝けるのか。どうしたら、世間にW☆INGを知ってもらえるのか。
その煩悶の中、男たちは汗と血と涙を流しながら、きらめきを求めて過激なデスマッチへと身を投じていく。
夜空に一瞬、輝く流れ星のごとく――。

齋藤彰俊、松永光弘、金村ゆきひろ、菊澤光信(元W☆ING練習生)、茨城清志元代表、大宝拓治元リングアナウンサー、畑山和寛元レフェリー、ロッシー小川(当時、全日本女子プロレス広報部長)他。
当事者たちが語る、W☆INGの立ち上げから、崩壊に至るまでの2年7か月。
給料さえほとんど出ない中、男たちはなぜ血を流し、その闘いに観客は熱狂したのか。
当時、週刊プロレスの担当記者としてW☆INGを追い続けた小島和宏記者が描き出す、「世界で最も過激な団体」30年目の真実。

★茨城清志「そんなこと言われてもさ、俺だって別に好きこのんでデスマッチやインディー団体をやっていたんじゃないんだよ。俺だって、本当はさ、プロレス団体をやるんだったら新日本や全日本みたいなプロレスをやりたかったよ! 」
★齋藤彰俊「僕が(大迫和義・世界格闘技連合W☆ING元社長に)聞かされたのは近々、コカ・コーラがスポンサーについてくれる、という話。そして、マイク・タイソンを招聘するプランもある、と」


★松永光弘「せっかく、こうやって一冊の本にまとまるのであれば、それこそ表紙に大きく書いてしまってもいいですよ。『W☆ING崩壊のA級戦犯は松永光弘だ! 』と。実際、そうじゃないですか? 私がW☆INGを潰したんですよ! 」
★金村ゆきひろ「だって修行期間みたいなもんじゃないですか? 他の団体だったら、入門してから1年から2年はデビューすらできないわけで、お金をもらうという発想すらなかったし。(中略)家庭がある人は別として、会社に金がないんだから、それを求めるのはちょっとどうなの?って思ってました」
★大宝拓治「よく初期のW☆INGは迷走していたとか言われるんですけど、僕に言わせれば、まったく迷走なんてしていないんですよ。旗揚げシリーズからずっと『コンビニみたいなプロレス団体』という目線で見てもらえれば、なんにもブレていないことはわかってもらえると思うんです」
★畑山和寛「現地で営業するためにかかるお金を自力でなんとかするしかない。当時はまだ攻略要素のあるパチンコ台が結構、あったんですよ。(中略)その勝ち分で現地でのガソリン代や食費はなんとか工面できましたね。毎回、勝てるとは限らないので、ホテル代でお金を遣ってしまうのは怖くて車中泊は続けていましたけど」

出版社からのコメント

〈ある日の昼下がりのことだった。
朝まで原稿を書いていて、自宅のベッドで寝ていた僕は、ふいに鳴りだしたスマホの着信音に叩き起こされた。
仕事仲間はこちらの生活リズムを知っているから、あまりこんな時間には電話を鳴らさない。いったい誰だろう?
ディスプレイに映し出された名前を見た瞬間、僕の心臓は誰かに掴まれたようにギュッと縮んだ。
“これ、夢じゃないよな? いま、俺、たしかに起きているよな?"
震える手で通話ボタンをタップする。
「もしもし……」
「小島さん、ご無沙汰してます。25年ぶりぐらいですかね?」
電話口から聞こえてくるその声は、あのころとまったく変わっていなかった。
懐かしさで胸がいっぱいになり、気がついたら、もう涙がポロポロあふれて、止まらなくなっていた――。(プロローグ~それは「幻の男」を探す旅からはじまった~より)〉

著者について

小島 和宏(こじま・かずひろ)
1968年、茨城県出身。1989年、大学在学中に『週刊プロレス』(ベースボールマガジン社)の記者としてデビュー。
大仁田厚のFMW、ザ・グレート・サスケのみちのくプロレス、そして対抗戦全盛期の全日本女子プロレスなどを担当し、活字プロレス黄金時代を駆け抜ける。
特にW☆INGは旗揚げ前から同僚の鈴木健記者とともに担当し、多くの巡業に同行して取材。団体の隆盛から崩壊までを誌面でリポートし続けた。
フリー転向後、活躍のフィールドを広げ、お笑い、特撮、サブカルチャーなど幅広く取材・執筆を重ねる。
現在、ももいろクローバーZの公式記者としても活躍。
著書は『ぼくの週プロ青春期 90年代プロレス全盛期と、その真実』(朝日文庫)、『ももクロ×プロレス』(ワニブックス)、『憧夢超女対戦 25年目の真実』(彩図社)など多数。





2021年、双葉社さんから発売されました小島和宏さんの「W☆ING流れ星伝説 星屑たちのプロレス純情青春録」をご紹介します!

この本、めちゃくちゃ面白いです!元週刊プロレスの記者で、FMWやW☆ING、全日本女子プロレスを担当したフリーライターの小島さんだからこそ踏み込めた一冊。早速、この本をなるべくネタバレは控えつつも、各章ごとにその魅力をプレゼンしたいと思います!よろしくお願いいたします!


★1.序章 ~それは「幻の男」を探す旅からはじまった~

まえがきとなる序章。ライターの小島さんが、長年追い求めていたW☆INGのリングアナで、数々のアイデアを発案したフロントの中心人物・大宝拓治さんとのコンタクトに成功したことから始まります。

そこからこの本のコンセプトが書かれています。

「W☆ING30周年記念本であり、自然消滅していったW☆INGの墓標となる一冊」

W☆ING代表を務めた茨城清志さんは存命中で、YouTubeチャンネルを運営しているが、W☆INGのメンバーって亡くなっている方が多いんですよね。極悪大王ミスター・ポーゴさん、プエルトリコ軍の悪徳マネージャーのビクター・キニョネスさん、レフェリーのテッド・タナベさん、ウォーリー山口さん…。

この本は茨城さんと大宝さんの証言と小島さんの取材に基づいて構成されています。

この序章、めちゃくちゃいいんですよ。心にジーンとくるんです。あと本の意図とかも含めて、小島さんを含めたW☆INGに何らかのカタチデ関わった皆さんの使命感を感じてしまいます。

「今の時代をW☆INGというトンでもないプロレス団体の存在を伝えたい」


★2.第1章 W☆ING誕生と3人の男

最高の助走から、本編に突入。W☆INGという団体が誕生した経緯について触れています。インディーのカリスマ大仁田厚選手が率いるFMWにいた選手やスタッフが中心となって旗揚げされていため、大仁田選手とのトラブルが原因かと思いきや、茨城さんと大宝さんはそれを否定しています。これは意外でした。てっきり仲違いしたのかと思っていました。ただ、大仁田選手と茨城さんが不仲だったことは事実のようです。ではなぜ茨城さんと大宝さんはFMWを離れたのか、あとどのようにしてFMWを離れていくのか…。そこはこの本を読んで確認していただければと思います。

そして新団体W☆ING旗揚げの際にエース格として合流したのが、一時期FMWに参戦していた柔道家・徳田光輝さんだったんですが、その理由がまたおもしろかったですね!そしてこの本で判明した事実。W☆INGという団体は存在していたが、W☆INGという会社は存在していなかったことです。W☆INGプロモーションという名前で団体運営をしていますが、実態は茨城さんの会社「有限会社ミラクル」が運営母体だったそうです。だからW☆INGって倒産するわけないですよね、会社ではないのですから。

あと「手当たり次第の選手集め」という項目もあるのですが、こちらも面白い。とにかく読んでいてクスクス笑っちゃうし、いい加減だし、でもなんか憎めない。

また小島さんの内部情報や秘蔵エピソードもいいスパイスになっています。結構プロレスファンは驚く話もあったりするのですよ!

ちなみにW☆INGは、団体に「☆」が入っているのですが、これは元々は「W・ING」(3のWに現在進行形のINGがついたもの《Winn・ING、Wrstl・ING、World・ING》)という表記だったそうですが、団体のロゴをデザインしたデザイナーさんが全体のバランスを見て「☆」を入れ、このロゴを見た大宝さんが、インパクトを感じて団体名を「W☆ING」にしましょうと茨城さんに提案したというのが事の真相とのこと。偶然の産物なんですね!

とにかく茨城さんの「イバラギング」(週刊プロレスが命名した茨城さん独特の生き方やスタイル)が炸裂し、大宝さんが裏で暗躍している様子、小島さんが現場で味わったエピソードや秘話がまるで三位一体となって交わったアルコール度数強めの強烈なカクテルを飲んでいる気分になりました!あと早くも「病みつき」になりそうです(笑)



★3.第2章 世界格闘技連合・W☆ING


「世界で最も危険な団体」W☆INGは元々は世界格闘技連合と名前が団体名につくように、格闘技路線だったんです。実は元プロボクシング統一世界ヘビー級王者のマイク・タイソンを招聘しようとしていたという当時でも今でも考えると信じられない構想があったそうです。

要は団体の社長を務めた大迫和義さんがやりたかったことで、茨城さんと大宝さんがやりたかっまことじゃないんですよ。これだけではないですが、最初から色々と乖離した状態で生まれた団体W☆ING。

旗揚げ戦が1991年8月7日に後楽園ホール大会で行われたのですが、そこでの外国人レスラーの招聘についての話からありとあらゆる事柄で、茨城さんと大宝さんの証言が大きく食い違います(笑) 茨城さんが「こんなことだったんだ」と言う度に、大宝さんは「それは違う!こうだったんです!」と反論するのがまた面白い!まるで漫才かと思いましたよ!それくらいの味がある。

大宝さんの証言でW☆INGのコンセプトは「コンビニみたいなプロレス団体。格闘技も、デスマッチも、ルチャも、女子プロレスも全部揃っていますよ。B級かもしれないが、いつでも気楽に楽しめますよ」と語っていて、それを茨城さんにも旗揚げ前に言ったそうですが、茨城さんは全く覚えていなかった(笑)

ここから色々とあの手この手で色々なエピソードが出てきます(笑)本当に面白いんですよ。読みやすくて尚且、面白いから読み手が突っ込めるんですよ!ここ、大事なポイントです。読み手が例えリアルタイムでW☆INGという団体に関わってなくても、突っ込みをいれたくなるほどのズンドコやゴタゴタ、予定調和じゃない事態というボケが炸裂しているんです。

爆笑問題さんの「日本原論」という本の手法に似ているかもしれませんね。読みながら突っ込みたくなるような…。

 

 

 

 

 

 


あと格闘三兄弟の話とかも面白かったのですが、そこはこの本を読んで確認してください。


★4.第3章 バルコニーからの新星

あらゆる事柄で乖離していたW☆INGは、団体名を「世界格闘技連合 WMA」に改名します。社長である大迫さんがやりたい格闘技路線に舵を切るためです。茨城さんと大宝さんは「W☆INGプロモーション」立ち上げます。選手やスタッフは結局最終的にWMAには追随せずに、最終的には団体は自然消滅。W☆INGプロモーションが残り、選手やスタッフも追随していったのです。

そしてこの第3章では松永光弘さんが、後楽園ホールの2階バルコニーからダイブする「伝説のバルコニーライブ」について詳細に書いています。ちなみに元々は松永さんが飛ぶ話ではなく、アイスマンというマクスマンが飛ぶことになっていて、アイスマンが断ったことにより、代わりに松永さんが飛んだというのが事の真相のようです。松永さんには、同級生でW☆INGで格闘三兄弟の一人で後に新日本との対抗戦で一躍ブレイクしていた当時誠心会館で、現在はプロレスリング・ノアで活躍する齋藤彰俊選手の存在が大きく、「齋藤に負けたくない、追いつきたい」という思いからバルコニーライブに繋がったようです。かなり面白い話です!

そしてバルコニーライブがきっかけで誠心会館の一空手家だった松永さんが、ミスター・デンジャーとして大ブレイクしていくのです。

ちなみに元W☆INGのレフェリーで、フロント業務もこなしていた畑山和寛さんの証言はかなり衝撃的だったのでご紹介します。

「W☆INGでは誰ひとりとして、その日、何人のお客さんが来ているのか把握できていなかったんですよ。(観客動員の)実数を出せるはずがないじゃないですか。お客さんが会場に入ったときにチケットをもぎりますよね?あの半券の数を普通はカウントするんですよ。前売り券が何枚売れたけど、当日は何人しか来なかったとかわかるじゃないですか?でもW☆INGではそれをやっていなかった。だから、本当に感覚的に『今日は入っているな』『ちょっと厳しいな』と言っているだけで、どれだけ儲かったのか、どれだけ損をしたのかは茨城さんもわかっていなかった。僕は全日本女子プロレス(全女)の地方興行を手伝ったこともあるんですけど、どんぶり勘定と言われていた全女ですら、ちゃんと数えてましたよ」

どんぶり勘定を越えたちゃらんぽらんな経営実態がそこにありました。

「当たり前のことですけど、その当たり前のことがまったくできていなかったです」

畑山さんの言うとおりだと思います。それにしても茨城さん、そりゃあかんで(笑)でも、なぜか憎めない!!

この章もなかなか面白い!まさしく「ホンモノの胡散臭さ」がW☆INGにはありました!

ちなみに金村ゆきひろ(現・キンタロー)さんやジェイソン・ザ・テリブルについても回も面白い!

波乱万丈だけど、ブレイクしていくW☆INGは今後どうなっていくのでしょうか?


★5.第4章 炎と五寸釘の小惑星

波乱万丈で、自転車操業だけど人気が上がっていくW☆INGですが、この第4章に描かれているように、興行においてのグダグタぶりも露呈していきます。

また1992年夏頃から、各方面への未払いもスタートしています。社員への給料があまりもらえなかったり、地方営業に行く際の経費も出ないから、車中泊して、パチンコで営業経費を稼いでいた社員もいたというのは、凄すぎます!

そしてのこの第4章で印象に残ったのは、小島さんが、W☆INGの内情を「血を吐きながら続けるゴールのないマラソン」と評したのが強烈でした。こんなマラソン、やりたくないじゃないですか。血を吐きながらもゴールのないマラソンを続けるなんて、絶望しかないじゃないですか(笑)その絶望感と無謀感が、W☆INGという団体を見事に言い表したキャッチフレーズだと思います。小島さんのキャッチコピーに付け方は本当に週刊プロレス時代から駿逸だったので、その本領が発揮されたように感じます!


★6.第5章 窮地を救う彗星


第5章は1993年からスタート。ちなみにこの章で判明したのはW☆INGの外国人レスラーは、FMWよりも厚待遇だったということです。これは意外でした。

あと、ポーゴさんのFMW移籍について書かれています。そこからですよね、松永さんとか選手離脱が相次ぎましたよね。要は茨城さんとの関係がこじれちゃったんですよね。

それから、クリプト・キーパーという怪奇派レスラーがいたじゃないですか。このレスラーが誕生したきっかけは、W☆INGやオリエンタルプロレス、NOWの選手のテーマ曲が収録された「プロレス インディペンデントファイターズ」というCDを発売したキングレコードだったんです!!これはまた驚きました!キングレコードの案件だったんですね。アメリカのドラマをキングレコードでソフトするので、その宣伝のために、そのドラマに登場するキャラクターをプロレスラーとしてデビューさせるということです。ただ実際に登場したクリプト・キーパーは、原作とはかなり違うマスクのデザインだったのです。その後、コスチュームもモデルチェンジしていくと、原作とはまったく異なるキャラクターになっていたのです。そこは、ある意味W☆INGらしい。

またこの章では松永さんがW☆INGを離脱する真相を生々しく語っています。松永さんのW☆ING憎しの気持ちはよく伝わりました。詳しいことはこの本を読んでください。

結構グサッときますよ。


★7.第6章 六等星の流れ星

ミスター・ポーゴさんと松永光弘さんという二枚看板を失ったW☆INGは、ゴタゴタ続き、未払い続きで、経営は破綻寸前。

ここからはグジャグジャですね。とにかくドタバタの世界観が文章でも伝わってきます。


灯油まみれになった金村さんが邪道&下道に火の中にパワーボムで投げられて大火傷を負ったあの試合についても詳しく書かれています。

ブギーマン&フレディ・クルーガーという怪奇派レスラーが試合後に訥々にマスクを脱いで、「フ○ッキン!イバラギ!」と叫び、団体を去るという異常事態が発生。

元々いびつな形で誕生しているので、このような異常事態が起こったりゴタゴタが発生するのは偶然ではなく、必然。なるべくしてなっている。


全般的に的確にW☆INGについて指摘する小島さんの批評もこの章でも冴え渡っています。

「W☆INGがファンに熱狂的な支持を受けたのは、『会場に行けばなにかが起こる』という期待感と、実際に会場に行ってみたら予想していた以上の出来事が起こる満足感。この好循環で短期間のうちに団体はブレイクしていった。それを支えたのはレスラーの勇気と決意だ。だが、人材不足に資金難が重なり、もはやそと基軸すらも守れなくなってしまった」

そして団体のブレイクを支えたのはレスラーだけじゃない。スタッフも同様です。

ほぼ無給で働き、団体運営に捧げてきた大宝さんも1994年1月にW☆INGを去りました。

外敵エースとして活躍していた邪道選手&外道選手も去り、金村さんを中心とした残りの選手たちがビクター・キニョネスが率いる新団体IWAJAPANの旗揚げに参加したことにより、誰もいなくなったW☆INGは終焉を迎えます。


「新日本プロレスや全日本プロレスの選手のように、体格や身体能力に恵まれたレスラーは誰ひとりいない。フロント組もまた、プロレスが好きという情熱だけが原動力だった。リングも道場もない練習環境。興行を打つノウハウは手探り。踏み倒され、未回収だらけの売り興行。大金どころか、給料さえ出ない日々----。それでも、男たちはプロレスを愛し、リングで輝きたいと願い、日々、血まみれの闘いを続けた。プロレス界に一瞬の強烈な輝きを放ち、夜空に消えていったW☆ING」

小島さんのこの文章が、胸に響きます。


★8.終章 ~30年目の10カウントゴングに代えて~


このエピローグでは、その後のW☆INGについて描かれています。皆さん、それぞれの人生を歩んでいます。

そして小島さんにとって、この本を世に出すのが長年の悲願だったのです。

ちなみに今回の本の編集者である双葉社の帝塚さんは元々W☆INGフリークだったそうです。つまりW☆INGフリークとW☆ING担当記者によるW☆INGだったのです。そりゃ、熱量はハンパないですよね!

手塚さんが「今回は読みやすさもか気にしなくていいですから、ゴツゴツとした原稿を書いてください。だってW☆INGの本ですよ?きれいに計算された構成なんて似合いませんよ!」という言葉通りの作品になったと思います。ブルファイターのような荒々しさを感じさせた一冊。

ただ小島さんも手塚さんもプロ。読み手の読み心地のよさを保ちながら、荒々しさに舵を切ったのはさすがだと思います。やっぱりどんなに汚い内容でも、読み心地は大切。例え、素晴らしいことを書いていたとしても、読みやすさ、読み心地がないものは、よくないというのが私の考えです。そこはきちんとキープされた上で、ドタバタ劇場を描くのですから、この本は面白かったのですね!

あと、編集者の手塚さんの器量と技量も感じてしまった一冊。そこにライターとしての小島さんのスキルと情熱が重なる。本当に凄い本なのです!

★9.[特別収録1]W☆INGプロモーション旗揚げ30周年記念単独興行「血と汗と涙のWE LOVE W☆ING」座談会 ”元代表”茨城清志×”爆弾男”金村ゆきひろ×”元リングアナ”大宝拓治×”元レフェリー”畑山和寛

これはほぼネタバレなしでいきます!めちゃくちゃ面白いです!ひとつだけネタバレするならば、やっぱり茨城さんは遅刻されました。やっぱりイバラギングですね!




★10.;[特別収録2]W☆ING全戦績〈完全保存版〉


これはイカれていますよ(笑)データマニアはきちんとみた方がいい。私も何か調べ物をしたいときにこの項目を参考にします!




W☆INGって成り立ちから異常なんですよ。ブレイクの仕方やゴタゴタやグダグタも、そして最期も含めて。ただずっと異常だったというのまた、W☆INGがいかにプロレス界において唯一無二の団体だということを証明しています。

まともじゃないことを団体の売りにしていった。W☆INGFMWやECWよりも、危険で無茶苦茶でエクストリームだったと思います。

その異常さには、なぜかプロレスファンのツボを付きまくってことにより、人気が上昇していったのです。それは偶然なのか、必然なのでしょうか…。どちらにしてもその異常さが熱となり、一部のファンを熱狂させ、W☆INGフリークを量産していたことは間違いありません。



 

 



最初から最期まで異常だった奇跡のプロレス団体・W☆INGの
波乱万丈で自転車操業なのに、人気が爆発するも、やがて消滅していくという軌跡が見事に描かれた珠玉の作品です!
皆さん、チェックのほどよろしくお願いいたします!