恒例企画「プロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コ」シリーズ。今回は53回目です。このシリーズはライターの池田園子さんが以前、「旅とプロレス 小倉でしてきた活動10コ」という記事を書かれていまして、池田さんがこの記事の書き方の参考にしたのがはあちゅうさんの「旅で私がした10のことシリーズ」という記事。つまり、このシリーズはサンプリングのサンプリング。私がおすすめプロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コをご紹介したいと思います。
★1.「情熱のスポーツノンフィクションライター」福留崇広の凄さとは?
この本の著者はスポーツ報知デジタル編集部所属の記者・福留崇広さんは、プロレス、格闘技、大相撲、ボクシング、サッカー等を取材。著書に『さよならムーンサルトプレス 武藤敬司35年の全記録』(イースト・プレス)、『昭和プロレス 禁断の闘い「アントニオ猪木 対 ストロング小林」が火をつけた日本人対決』(河出書房新社)、ターザン山本との共著に『妻たちのプロレス 男と女の場外バトル』(河出書房新社)があります。
福留さんは、以前このブログ内でインタビューさせていただきましたスポーツ報知の加藤弘士さんの先輩で、加藤さん自身も「福留さんの記事はスポーツ報知に入社する前から好きです」と語っています。
福留さんの凄さとは何か?それは基本的には文章に情熱がある。ただし自身の情熱に溺れずに、きちんと緻密に取材を重ね、忖度なしに物事の本質に踏み込んだ上で文章表現として成立させているところではないでしょうか。
かつて福留さんは日本テレビ系の『超K-1宣言』という番組にゲスト出演して、K-1の日本人ファイターの今後について激論を展開する討論コーナーでこのようなことを話しているんです。
「僕は格闘技の技術とかを文章で伝えたいとは思わない。僕は格闘家の生き様を文章で伝えたいんです」
細かい技術の中身よりも、技術を使う人の生き方を文章表現で伝える福留さんの流儀は、これまでの記事や著書でも一貫しています。そしてこの本でも同様でした。
★2.まえがき
この本のまえがきで福留さんは日本におけるテレビの歴史はプロレスが扉を開いたということを綴っています。そこから時系列を追いながらテレビとプロレスの歴史を説明していきます。
「テレビはプロレスから始まった」というタイトルの意味はこのまえがきを読めば分かります。
さらに福留さんは「今回の本は、テレビマンたちのプロレスへの思いを書くことが目的。そのためリング上で戦うプロレスラーには一切、取材をしていない。プロレスを間近で見てきた人々の証言からプロレスの実態が浮き彫りになることを期待している」とプロレスラーには取材しないプロレス作品であることを宣言しています。
プロレスラーの声がないのに、プロレス本として成立するのか?
福留さんは見事に成立させたのです!!
★3.『日本プロレス中継』『全日本プロレス中継』プロデューサー・原章さんの証言。
この本は『日本プロレス中継』『全日本プロレス中継』で長年プロデューサーとして活躍した原章さんの証言を元にテレビの歴史を開けたプロレス中継にかけたテレビマンたちの記録です。
原さんは上記2番組のすべての放送の試合、視聴率、カメラ配置などあらゆる事実、さらにその際の自身の動向も記された「原ノート」に基づいて当時を振り返りながら証言の内容はどれも興味深いものばかりです。それはこの本を読んで確認してください。
力道山時代のプロレス中継にディレクターとして参加していた原さんのプロレス観には目からウロコなんです!その中は特に気になったのがこちらです。
「私は、プロレスを見た時、これはアメリカ版の歌舞伎だと思いました。リング上のレスラーは大見得を切って、お客さんを喜ばせ、時には怒らせ、そして大団円。結末を迎えるまでには、いろんなドラマがあります。これぞ、まさに歌舞伎ですよ」
「言ってみれば、アメリカで生まれたテレビ用のスポーツ。これを私はスペクテイタースポーツ、あるいはスペクタクル・スポーツと呼びました。テレビは見ている人を喜ばせるものです。だから、このスポーツ的な要素を持ちながらドラマ性があるプロレスこそまったくのテレビなんです」
原さんがディレクター時代に影響を受けたのが、プロ野球中継プロデューサーを務めた後藤達彦さんからの教わった「スポーツディレクターは最大公約数を考えろ」「全ての視聴者が見たい映像を放送する」という心構えを持ってプロレス中継に携わってきました。さらに後藤さんは原さんに「映像に自己主張を入れるな」と指導したそうです。
「野球なら野球、プロレスならプロレス…といったように中継する試合の展開を忠実に放送しろということです。テレビは映画ではないんです。映画は観客が料金を払って映像を見るわけですから、監督の自己主張があっていいんです。(中略)我々が最も優先すべきはあらゆる視聴者が見たい映像ですから、ディレクターが独りよがりになって自分が撮りたい画を視聴者に提供してはいけない。常に考えるべきことは視聴者であって、ディレクター個人の主張ではない」
原さんの発言は、心にズシンと乗りかかりました。そこにテレビマンとしての原さんのプライドを感じました。
★4.第3章 テレビはプロレスを「作れない」
個人的に気になったのは第3章。TBSが国際プロレス中継に携わった回です。TBSは国際プロレスのリング内外に関わる全ての運営権を握っていきます。当時、国際プロレス中継に携わった森忠大プロデューサーは「我がTBSの力を持ってすればスターは分単位、秒単位で作ってみせます」と語ったそうです。これはある程度大風呂敷を広げた部分もあるかもしれませんが、それだけの自信も当時はあったのだと思います。
ここに違和感を覚えたのが原さんでした。
「テレビがプロレスの世界に口出しするのは絶対にやっちゃいけないことなんです。プロレス、ひいてはスポーツが何たるかをまったく知らない思い上がった考えです。着飾ったアイドルをテレビに出させ歌わせてカメラでアップで映せば人気が出るようなものとプロレスは違います」
「プロレスがあってのテレビ中継なんです。テレビがプロレスを作るわけじゃない。それを逆に考えると間違いを起こす。テレビはあくまでプロレスを立てる立場です。助言はするし、リクエストはします。ただ、テレビがプロレスをやっちゃいけない。この世界に入り込んではいけない」
「我々はテレビ屋だから、どうやってその競技をうまく映すのを考えていました。これは、野球もプロレスも同じです。担当する競技をまず好きになって、いかにその競技の魅力を多くの人に伝えるか。これが基本です。プロレスの中身をああしろ、こうしろって言うのはおこがましいことです」
思えば『全日本プロレス中継』も『ワールドプロレスリング』も基本的にはリング上で起こったことを伝えることを伝えることに徹し、制作サイドがプロデュースする場合でもリング内ではなく、リング外の部分だったと思います。
テレビはプロレスを「作れない」。簡単に作れる甘い世界じゃない。テレビはプロレスを発信するツールである。なるほど!唸ってしまいました。
★5.「テレビの生き証人」徳光和夫アナウンサーの証言
この本で実況アナウンサー側で貴重な証言を残したのがフリーアナウンサーの徳光和夫さん。テレビ70年の歴史で60年間、第一線で活躍しているアナウンサー界の「リビング・レジェンド」であり、「テレビの生き証人」。
徳光さんの発言で特に気になったのが、こちらです。
「アナウンサーの勝負は、どういうボキャブラリーを持ってそれを瞬時に出せるか。これが最も難しいんですね。(中略)社会人として世間一般の常識の中でアンテナの中に引っかかる言葉を常に持っていらっしゃって、その言葉が実況のまさにその瞬間に咄嗟に出て来るー 私は、これが本当のアナウンスメントじゃないかと思いました」
「プロレスは自由。何でもあり。そういうベースで見た場合、プロレスこそ面白い。(中略)今、私が言えることは、事程左様にアナウンサーが一番勉強になるのがプロレスであるということです。プロレスをやっていたから私は今のフリーランスに結びついているんだなと思います」
他にも数々の証言を残した徳光さん。その言葉にはプロレスへの愛、アナウンサーとしての矜持を感じました。
★6.『ワールドプロレスリング』実況アナウンサー・舟橋慶一さんの証言
この本では日本テレビだけではなく、テレビ朝日サイドの証言が読めるのも大きな魅力。
1969年、日本プロレスは日本テレビだけではなく、NET(現・テレビ朝日)が中継に参入します。NETはその中継番組名を『ワールドプロレスリング』と名付けます。これが現在、新日本プロレスを放映する半世紀を超える長寿番組の誕生したきっかけでした。
この番組で実況を担当した舟橋慶一さんの証言がまた素晴らしい。特に舟橋さんのプロレス観には衝撃を受けました。
「プロレスはスポーツではあるんですが、そこを超えたロマンなんです。私はそれを表現したかったんですね。つまり、古代パンクラチオンの時代から人間は誰が一番強いのかを追い求めて戦いを繰り返して来た、そんな格闘ロマンをしゃべりたかったんです」
この舟橋さんの発信を見た時、即座に「これは原さんや徳光さんのプロレス観と対極だな。もしかしたらこれって馬場さんと猪木さんのプロレス観じゃないのか」と感じました。
原さんや徳光さんは「プロレスはスペクタクルスポーツであり、アメリカの歌舞伎である」という考えに対し、舟橋さんは「プロレスは古代パンクラチオンから続くスポーツを超えた格闘ロマン」と捉えていたわけです。
これは体内に電流が走りました!
長年、馬場・全日本プロレスを放送してきた日本テレビと猪木・新日本プロレスを放送してきたテレビ朝日。王道と闘魂。2つのイデオロギーの違いをテレビマンから感じることになるとは…
★7. 第5章 「プロレスは正力の遺産だ」
1971年、日本プロレスに激震が走ります。アントニオ猪木さんが「団体クーデターを企てた」という理由で追放。さらに翌年にはジャイアント馬場さんが退団。猪木さんは新日本プロレス、馬場さんは全日本プロレスと新団体を旗揚げします。
日本テレビはここでどう動いたのか。
元々、NETの日本プロレス中継に馬場さんを出さないということで、受け入れた日本テレビでしたが、猪木さんの試合を中心に放送していたNETは、猪木さんを追放した日本プロレスに馬場さんの出演を求め、団体経営に行き詰まった日本プロレスは遂にゴーサインを出します。これに日本テレビは大激怒。すぐに『日本プロレス中継』を決定します。
日本テレビは馬場さんに独立を促し、資金面も含めてバックアップした新団体・全日本プロレス旗揚げに参画します。
そこに至る流れを原さんの証言を元に詳細にまとめています。
当時、日本テレビ会長だった小林與三次会長の「プロレスは正力松太郎さんの遺産である。だから続けなければいかん」という大号令を出し、局内はひとつにまとまり、全日本プロレス誕生に至ったそうです。
「プロレスは正力の遺産」。これも痺れる発言です!!
★8.第14章 「プロレスニュース」
1990年、『全日本プロレス中継』内で突如として始まった企画「プロレスニュース」。福澤朗アナウンサーがリング内外の情報や控室の選手の様子をニュース形式で伝えるコーナーは、「笑い」を用いたその内容に賛否両論を呼びました。
この「プロレスニュース」について福澤朗アナウンサー、ディレクターの安藤正臣さん、村上和彦さんが興味深い証言を残しています。
これは1990年代にプロレスファンだった皆さんには特におすすめです!!
色々と新発見ありますよ!
★9.あとがき
著者の福留さんはあとがきで、三沢光晴さんが亡くなった現実について記しています。
思えば1980年代は2代目タイガーマスクとして、1990年代には団体のエースとして『全日本プロレス中継』を支えてきた大黒柱は三沢さんであり、日本テレビにとっても偉大な功労者のひとりです。
しかし「完全決着の極限王道スタイル」四天王プロレスで数々の名勝負を残し、一時代を築いた三沢さんの全盛期を日本テレビはゴールデンタイムの中継枠で流すことはできませんでした。
なぜなら『全日本プロレス中継』も『ワールドプロレスリング』の放送時間は深夜枠だったからです。
三沢さんへの思いを福澤さんとプロデューサーの今泉富雄さんが語っています。
そして最後に原さんが残した言葉は、テレビに関わる全ての皆さんは必見です!
★10.伝統進化で「プロレス中継」という至宝を紡いだ熱きテレビ屋の流儀
近年、ネットメディア『マイナビニュース』でテレビ屋にインタビューした連載が掲載されていますが、この中でテレビ屋について、この企画の趣旨についてこのように書かれています。
注目を集めるテレビ番組のディレクター、プロデューサー、放送作家、脚本家たちを、プロフェッショナルとしての尊敬の念を込めて"テレビ屋"と呼び、作り手の素顔を通して、番組の面白さを探っていく連載企画。
物心がついた頃からずっとテレビっ子だった私にとってテレビ屋は憧れであり、尊敬の対象でした。
しかし、その一方で「テレビ屋が制作したものは信用できない」「テレビ屋は天上人気質の人間が多い」「テレビ屋は世間の常識を知らない」といった評価もあるようです。
「テレビだから」「テレビが偉い」とか勘違いしている人間もいるかもしれません。
でも、この本を読むとやっぱりテレビ屋に対する尊敬の念を増しました。
それは原章さんという優秀なテレビ屋の証言を中心に組み立てた福留さんの判断が正しかったことを証明していると思います。
日本テレビにとって正力松太郎さんの遺産であり、優良コンテンツという至宝だった「プロレス中継」の歴史は、スポーツ中継の伝統を追いつつも、時にはタブーを侵してまでも進化を求めた熱きテレビ屋の流儀によって紡いでいったのです。
テレビとプロレス。
2つのジャンルの未来に進むヒントはこの本の中に記載されたテレビ屋の証言にあるのではないでしょうか。
ちなみにこの本、めちゃくちゃ夢中になって読み進めることができました。伝説のテレビ番組「プロジェクトX」や「知ってるつもり?!」を見ている感覚になりました。
この本、おすすめです!
テレビとプロレスが大好きな皆さんにはジャストミートすることは間違いありません!