恒例企画「プロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コ」シリーズ。今回は55回目です。このシリーズはライターの池田園子さんが以前、「旅とプロレス 小倉でしてきた活動10コ」という記事を書かれていまして、池田さんがこの記事の書き方の参考にしたのがはあちゅうさんの「旅で私がした10のことシリーズ」という記事。つまり、このシリーズはサンプリングのサンプリング。私がおすすめプロレス本を読んで感じたおすすめポイント10コをご紹介したいと思います。
★1.武藤敬司引退発表
この本の冒頭で、2022年6月に武藤選手が引退発表したところから書かれています。
生涯現役かとファンは感じていたし、本人もそのつもりだったと思われます。だが、彼は引退する決断に至ります。
この本では武藤選手が引退を決断した理由と背景について綴られています。また、2018年に両膝に人工関節手術を行った苑田人工関節センター病院の杉本和隆病院長との出逢いについて詳しく記載されています。
杉本さんは、人工関節手術を受ける前の武藤選手の両膝について、「伸びないし曲がらない、完全にロックしている状態で、まるで一本の棒みたいになっていました。この膝でプロレスをやっていたというのは正直信じられませんでした」「普通、靭帯がすべて切れた状態で歩くことはできません。武藤さんの場合は、放置したことで切れた靭帯が骨にくっついて固まってずれなくなっていました。無理やり骨にくっついて動かない状態で、そもそもそれは、あり得ない無茶な足なんです」と語ったのは衝撃的でした。
そして武藤選手の得意技ムーンサルトプレスについて杉本さんは「交通事故で追突されると、助手席の人がダッシュボードに膝をぶつけて靭帯を断裂したり、骨折する重傷を負うことがあるんです。それをダッシュボード・インジャリーと呼んでいるのですが、武藤さんのムーンサルトプレスのショックは、ほぼそれに近いですね。ですから、武藤さんの両膝は、ムーンサルトプレスを出すたびに交通外傷レベルのストレスを受けていたんです」と語ります。
超人と呼ばれるプロレスラーという特殊職業だからこそ負う大きな代償。
読みながら言葉を失った序章でした。それにしても人工関節手術を受ける前の武藤選手の両膝は、寝たきりや長期間、体が動かせない方が生じる「拘縮」の手前まで来ていたという話は、一番ショックでした。
そこまでの状態になってもプロレスラーとしてリングに上がっていたとは…。
★2.12歳の武藤少年が記した「私の今後の予想」
第1章は、武藤選手がどのような過程を経て、新日本プロレスに入門して、プロレスラーとしてデビューしたのが描かれています。
ここで注目したのは、当時12歳の武藤少年が山梨の下吉田第一小学校卒業を前に、「卒業生の近況カードA」という卒業後の記録の中に、「私の今後の予想」という項目があり、そこに22歳で「プロレスラーのほけつ」、32歳で「けっこん、プロレスラー世界一」、42歳で「プロレスをやめてうえきや」、52歳で「うえきや」、62歳で「死」と書いてあったそうです。
まずこの記録を引っ張り出してきたところに福留さんの凄い取材力とセンス。この「私の今後の予想」に基づいて武藤選手のレスラー人生を考えると妙にリンクしているという驚愕の事実が。
ただ42歳、52歳は実際とは違うが、62歳の「死」という一文がやけに重くのしかかります。
読み進めていきなり強烈な先制攻撃。これは壮大なレスラー人生絵巻になる予感がしました。
★3.日本プロレス時代から続く伝統のスパーリング「極めっこ」
日本プロレス時代から続く互いに関節技を取り合う「極めっこ」と呼ばれるスパーリングについて、この項目だけでも、武藤選手だけではなく、小杉俊二さん、山田恵一さん、藤原喜明選手、船木誠勝選手、渕正信選手に取材を敢行しています。
武藤選手はプロレス入り前から柔道の実力者で寝技にも自信があり、「極めっこ」でも強さを発揮し、なかなか先輩レスラーでも簡単には極められなかったといいます。
当時新日本道場で一番強かった藤原喜明選手が、武藤選手と「極めっこ」した時の話で、藤原選手は武藤選手を極めたといったことに対して、武藤選手が 極められなかったと意見が対立。そこで第三者の証言を入れ、山田恵一さんは「スパーは見てないけど、あとで武藤選手から藤原さんから腕を極められたって話を聞いたことは覚えています」、船木誠勝選手は「藤原さんが極めたかどうかは覚えていませんが、武藤さんが対等にスパーをやってました」と証言しています。
福留さんはひとつのテーマがあったときにきちんと本人だけの話に頼らずに、複数の関係者に取材することで、記憶違いもあるかもしれない事柄でも真実に近いところまできちんと導いているんです。これは新聞記者の方だから凄いのか、いや恐らく福留さんが取材力と構成力が凄いのだと思います。
この本では、「極めっこ」の話のように、武藤選手だけの証言に終始しないのが、主観と客観を織り混ぜまぜていく骨太のプロレスノンフィクションなのです。
★4.ムーンサルトプレス誕生秘話
武藤選手の代名詞といえばムーンサルトプレス。この本ではムーンサルトプレスについてあらゆる角度から掘り下げています。ムーンサルトプレスの原型と言われているタイガーマスクのラウンディングボディプレスはなぜバック宙式ではなく、旋回式だったのか。武藤選手のムーンサルトプレスの源流、誰がムーンサルトプレスと名付けたのか?ムーンサルトプレスの元祖とは?
このテーマでも福留さんの取材力が凄くて、圧倒されます。
★5.前田日明の武藤敬司論
この本はこれまでの武藤選手の著書で語られている出来事が多いのですが、さまざまな関係者を取材しているため、多方向から武藤選手のレスラー人生を描くことに成功しています。
その中で前田日明さんの証言は印象的だったので一部紹介します。結構、熱い!
「猪木さんは、プロレスを守ろうとして新日本を旗揚げしたんですよ。力道山先生が亡くなった後に、生前、試合をした木村政彦さんが『プロレスは作りだ。八百長だ』と発言するようになって、新日本を作ったころのプロレスの地位は、どん底に落ちていったんですよ。そんな時代に猪木さんは『プロレスはそうじゃないんだ。本当に実力がある人間がやっているんだ』と主張して実践したんですよ」
「自分が新日本に入ったころ、猪木さんは、今のアメリカンプロレスからいずれは、現在で言う総合格闘技をやりたいとおっしゃっていて、道場全体で格闘技を追求していたんです。ボクシングの木村ジムからボクサーを呼んで、ボクシングのスパーリングもやっていました。当時は時に堕ちたプロレス界のイメージを復活させるために必死になって身を張っていましたし、当時の選手がどんな思いで道場で練習を重ねてきたのかとか、武藤はそういう歴史を全然分かってないんですよ」
「武藤はアマチュアで実績を残した選手は、道場で
強さを求めないと言っているけど、まったくお門違いなんです。それは吉田さん(光雄=長州力の本名)ってミュンヘンおりますに出ているんですけど、同じミュンヘンに出たジャンボ鶴田さんより強かったんですよ。アマレスでそこまで極めた人が新日本に入って初めてスパーリングをやったのが、小沢さん(正志=後のキラー・カーン)でね。吉田さん、小沢さんに極められたんですよ。小沢さんの方が全然強かったんですよ。強さという意味でアマの方が上にあるみたいな考えはまったく間違っているんですよ」
全くイデオロギーが違う武藤選手と前田さん。前田さんも武藤選手のノンフィクションだからといっても絶賛せずに忖度しません。それでもトークの場でも妙にうまく噛み合っていた二人。考え方が違っても噛み合える説明できない相性の良さがあったのかもしれません。
★6.グレート・ムタVSアントニオ猪木
この本、切り取り方によってさまざまな見所が多く、とてもおすすめポイントを10個には絞りにくいです。かつて新日本プロレスの1993年5月3日・福岡ドーム大会のメインイベントのアントニオ猪木&藤波辰爾VS長州力&天龍源一郎についてテレビ中継のゲスト解説を務めた当時週刊プロレス編集長・ターザン山本さんが「すべてのバージョンを見逃せない!」と語ったことがありましたが、まさにこの本はすべてのチャプターが見逃せないし、見どころです。
本当は各章分のレビュー記事を書いたり、語ってもいいほどの内容だと思います!序章から最終章まで11のチャプターがあるので、11個分のレビュー記事はネタとして書けるし、語れるの最高の素材なのです!!
その中で武藤選手が1994年5月1日・新日本プロレス・福岡ドーム大会で行われたグレート・ムタVSアントニオ猪木について詳しく語っています。これは必見!!
2023年1月1日のプロレスリング・ノア日本武道館大会で行われたグレート・ムタ VS SHINSUKE NAKAMURAは、異次元の世界闘争であり、令和版のムタVS猪木だったと思いますので、できれば今のプロレスフォンに読んでほしいところですね!
★7.武藤敬司、全日本プロレス移籍。その時蝶野正洋は…。
1990年代の新日本プロレスで一時代を築いた闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也)はプロレス界のスーパースターでした。
2000年に橋本さんが紆余曲折を経て新日本から独立、ゼロワンを旗揚げ。武藤選手は猪木さんが推進する新日本の格闘技路線に嫌気が差し、全日本プロレス移籍を決断します。そのインサイドストーリーが描かれています。
特に唯一新日本に残る事になった蝶野さんの心境。
「nWoの時も武藤さんと二人で新日本を塗り変えてやろうっていう気持ちがあったし、その先のことも考えていましたから…。要は、対猪木なんです。それは藤波さんも前田日明さんもそうだったと思うんですけど、新日本で時代を取ろうとする人間は、猪木さんと戦わないといけないんです。確かにあの当時、猪木さんから『そんな楽な試合やってるんじゃねぇ』ってプレッシャーかけられていましたよ。それは武藤さんも同じでした。だけど、それでも、オレは、オレらのスタイルで時代を作りたいと思っていました。実際、もう目の前まで来ているんだから、何で飛び出すんだよ、って。何で一言相談しないのかっていう気持ちでしたね」
しかも蝶野さんは、相談してくれたら中身次第では武藤選手と行動を共にする可能性もあったそうで、そこら辺も興味深いです。
★8.今、オレは生きている。死んでいない。
全日本プロレスに移籍し、社長に就任した武藤選手ですが、経営に苦戦します。その内容についてあまりにも長くなるのでここでは割愛します。2013年に全日本を退団し、新団体WRESTLE-1を旗揚げしてもこちらも苦戦し、2020年に崩壊しています。「一国一城の主」になるために全日本に移籍し、社長となった武藤選手。プロレスラーとしては天才でしたが経営者としては成功したとは言えないのかもしれません。
それでも武藤選手のこの言葉に、人としての強さを感じました。
「色々とあったけど、後悔はないよ。なぜなら、今、オレは生きているからね。死んでたらダメだけどさ。崖っぷちで踏み外して落ちてたら、すげぇ後悔の塊だけど、オレは生き残っているから。それで満足だよ。だいたいさ、人生だから色々あるよ。今、インタビューを受けているこの本だってさ。栄光ばっかりだったら本にならねぇじゃん。いいことも悪いことも色々あるから、読む方も面白いんだよ。それでいいじゃない」
どんな状況になっても最終的にはポジティブに捉え、生き残っていく。それが武藤敬司選手の凄さであり、60歳まで第一線で活躍できた秘訣のひとつなのかなと感じました。
★9.ファンキー加藤さんの解説
さて、ここからがポイントなんです。
大のプロレスファンとして有名なミュージシャン…ファンキー加藤さんの解説が、この本のボーナストラック。
その内容がかなり面白い!
加藤さんのツイートとか見ていると、時折SNSなのに、歌のリリックに感じてしまうんです。あれは今でも何なんだろうなと、不思議なんですよね。
そんな加藤さんの解説は武藤選手について述べているのですが、その一方で自分史に踏み込む文章が続きます。
そこには解説のタイトルとなっている「僕の人生は、常に武藤さんと共にある」という意味合いもあるのかもしれません。
心地のいい文章の世界観は、まるでファンキーモンキーベイビーズの楽曲のように熱くて爽やか。これは凄いなと。
さらに加藤さんは、ファンキーモンキーベイビーズの楽曲について「きれいごと」とか揶揄されている現実にも触れています。その現実と向き合いながら「夢は叶う」と応援ソングを歌い続けている、これこそどんな時でも自分を信じてスタイルを貫くプロレスラーの生き方のように感じました。
プロレスは時代を映す鏡という表現がありますが、その一方でプロレスは自分自身を映す鏡でもあるということが加藤さんの解説から学ぶことができました。
いつか加藤さんにはプロレスをテーマにした書籍に挑んでほしいなと心から願いますよ!
素晴らしい解説でした!
★10.平成プロレス史は3人のプロレス王の時代だった。
ファンキー加藤さんの解説の中で、気になる文章がありました。
「僕は3人兄弟の次男でひとつ年上に兄、ひとつ下に弟がいる。(中略)自宅で3人でプロレスごっこをやった。兄は三沢光晴さんのエルボー、タイガードライバーなんかをかけていた。弟は、髙田延彦さんの蹴り、関節技を真似ていた。僕は、大好きな武藤敬司さんの技をやろうとするんだけど、これができなかった。ムーンサルトプレス、フラッシングエルボー、スペースローリングエルボー…全部真似できない。フラッシングエルボーなんか腕がどうやって動いているのかビデオでスロー再生しても全然、解析できなかった。これは三沢さんや髙田さんが武藤さんより劣るとかそういう意味ではないので誤解してほしくないんだけど、三沢さんや髙田さんの技はファンも真似はできる。武藤さんの技は到底、ファンレベルでは同じ動きはできなかった」
加藤さんの解説には武藤選手だけではなく、三沢さんや髙田さんの凄さについてもチラチラ言及していました。
また著者の福留さんが、「アントニオ猪木が絶大なカリスマだった昭和プロレスから新たな価値観を与えた平成プロレスは武藤敬司の時代だった」と綴っています。
いや、ちょっと待てよ。
ここで私のスイッチが入ったのです。
平成プロレスは武藤敬司の時代だった…。
そう言い切れるのだろうか…。
私は加藤さんの解説を読んで感じたことがあります。
平成プロレスとは、三沢光晴、武藤敬司、髙田延彦の3人のプロレス王が君臨した時代だったのではないだろうか。
他にも素晴らしいレスラーがいるが、多くのレスラーがこの3名の中の派生や系統を継いでいる選手が多いのではないだろうかと。
三沢さんは全日本の王道スタイルを継承し、今の時代に合わせた伝統進化や自由と信念を求めてプロレスリング・ノアを旗揚げし、プロレス界の盟主として一時代を築きました。
髙田さんはUWFインターナショナルのエースとして最強の名をほしいままにして、平成の格闘王として一時代を築きました。
武藤さんはストロングスタイル全盛の新日本にアメリカンプロレスのエッセンスを持ち込み、プロレスの天才として一時代を築きました。
この3人は戦国時代でいうところの「織田信長・豊臣秀吉・徳川家康」なのではないだろうか。
戦国時代にもさまざまな名将がいる。武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、今川義元、毛利元就、石田三成…。
でもやはり戦国時代といえば、人気実力も含めてトップ3に入るのは、信長・秀吉・家康なのです。
平成プロレスには三沢さん、髙田さん、武藤さん以外にもレジェンドやビッグネームは存在しているが、やはりこの3人の「華」と「オーラ」は別格でした。
三沢光晴は、「伝統進化のプロレス王」。髙田延彦は、「最強追求のプロレス王」。ならば、武藤敬司は…。
武藤敬司は、魑魅魍魎なプロレス界で常に太陽として光り輝き、目を見張るばかりの美しい輝きや彩を放ち続けた「光彩奪目のプロレス王」だった。
武藤選手は自身が引退することで、昭和プロレスは終わるというコメントを残しているが、私は武藤選手の引退により平成プロレスも終わっていき、本格的に令和プロレスに突き進んでいくのだなと思うのだ。
「完全版さよならムーンサルトプレス」は素晴らしいプロレス本であるのと同時にさまざまなことを考えさせてくれる令和の活字プロレス大作でした。
そしてこの本を執筆された福留崇広さんにリスペクトを送ります!やはりあなたは偉大なライターさんです!
これはすべてのプロレスファンに読んでほしい名作です!
皆さん、チェックのほどよろしくお願いいたします!!