突然に… | junjunのブログ

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12/27、今日からお仕事お休み。
今年は早くからお休みを頂いたので、家の大掃除頑張ろうと思い眠った翌朝。
母の「ちょっと来て~!!」という声に起こされ、1階に降りると、
父の部屋がザワザワ…父の様子がおかしい…母を手伝い、父の様子見ていたけど、目が開かないなぁ。
でも、いつもの痙攣の予兆かな…と思っていると、母がかかりつけの内科の先生に電話をした後、
消防署へ救急車のお願いの電話をかけたので、私もすぐ用意して、付き添うことに。
救急車で付き添うのは、これが2回目。
年に一度ぐらいは、痙攣が起こり、お世話になってるなぁ。
お世話になるのは、これが何度目だろう…そしてこれが最後になるとは思いもしなかった…

救急隊の方が到着し、すぐに父を運んで外へ…、どうして??いつもと何かが違う…
なぜなら、意識が無く、脈も振れにくかったことが救急車に乗ってから知ることになったのです。
かかりつけの病院を聞かれ、痙攣止めの薬をK病院でもらってることを伝えると、直ぐに電話してくれ、受け入れてもらえることに…
救急隊の方も急いでくれ、救急車の中でも本当にたくさんの処置をしてくださり、到着してからも、親切にしていただき、声をかけていただきました。
本当にありがとうございましたm(_ _)m

父は検査の為、運ばれて行きましたが、私と母はやはり痙攣だと思っていたので、治まれば、帰れると思ってました。
父はそのままICUに入り、私たちは外の待ち合いで待機してたら、看護士の方に呼ばれ…
ここまでは、いつもと同じで、この後、ICUで先生のお話しを聞くことになるのですか、別室に呼ばれ、先生がお二人入ってこられました。
「率直に申し上げますが、頭部で2箇所大きな出血が起こり、出血が止まりません…
このままだと、もって2、3日です。仮に出血が止まって、オペ出来たとしても、このまま、植物状態です。」
と言われました。
「人工呼吸器をつければ、命は引き延ばせますが、いずれは絶える事になりますが、どうされますか??」と…

父は、15年前から、約35年前に患った病気の再発・後遺症で苦しんできました。
物忘れをし、手足が動きにくくなり、話しにくくなり、食べにくくなり…
もう一人では何も出来なくてなってきていました。

ここ1・2ヶ月で10㎏近く痩せていたので、
往診に来てくださるかかりつけの内科の先生に、
「栄養状態によっては、胃に穴を開けて、栄養を入れることも考えましょう…ご家族で話し合って下さい。」と言われ、話し合いました。色んな方にアドバイスも頂き、これは延命治療であることも知りました。
家族で、それぞれ自分がそうなった場合に置き換えて話しました。
全員が「やらないでほしい」し、「もしもの時は、延命治療も望まない」とのことになりました。
なによりしんどいのは、父本人だと思うし、
先生には、「時間がかかっても食べさせますから、もうしばらく待って下さい」と伝えることにしました。

7年前、初めて痙攣が起こり、家族親族が集められ、父の病状説明を受けることがあった時、「頭の中で大きな出血が起きた時は、覚悟を決めて下さい」と言われていましたが、
まさか、この日が突然やってくるとは、思いもしませんでした。
しかし、家族で誰であっても、「もしもの時は延命治療をしない旨あること」を伝えましたが、涙が止まりません…
父との別れが迫ってきたこと、父の最期を決めてしまったことへの悔い…
病院の先生も、「病気になられて、もう長いですね…」と言い私たちを優しく励まして下さいました。
「会わせる方には連絡を取って下さい」と言われ、祖母、兄、兄嫁、父の妹へ連絡し、皆の到着を待ちました。
皆に、特に兄と祖母に、泣きながら父への延命治療しないことを決めたことを詫びましたが、二人とも家族で決めたことだと言って、責めなかった。
皆が着いた頃、今夜もつかもたないか…そう言われ、また涙が止まりません…