お父さんへ | junjunのブログ

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お父さんへ

私の中でお父さんは、子どもの頃からスーパーお父さん。
何でもよくものを知っていて、勉強も教えてくれて、ものを直したりも上手で、ソフトボールも教えてくれた。

私が中学でソフトボールを始めたのは、野球をしていたお父さんと、ソフトボールをしていたお母さんの影響かなぁ…
よくキャッチボールもしてくれたし、私が中1の夏に始めてキャッチャーとして試合に出る日の朝、近くの公園に行こうと言ってくれて、何をするのかなぁ…と思ったら、お兄ちゃんをバッターボックスに立たせて、お父さんがピッチャーで、私のキャッチング練習をしてくれたね。
そんなお父さんの優しさが大好きでした。
でもなかなか試合を見に来てと言うのが恥ずかしくて、中2の時に初めて見に来てと言ったら、すぐに絶対行くよと言ってくれて、それからは毎試合来てくれたね。
お父さんの評価は厳しかったけど、必ず納得いくものばかりでした。

でも、おちゃめなところもあったね。
家族で旅行に行くとなると、車ピカピカ・ガソリン満タン・サングラスに若い頃から愛用の手袋で気合いたっぷりのスタンバイが、かっこよかったよ(笑)
ものを大事にしているところもすごく尊敬していました。

そんな私の中でのスーパーお父さんが、15年前ぐらいから、病気で忘れやすくなり、だんだん人に迷惑をかけるようになり、手足が動きにくくなり、歩きにくくなり、話しにくくなり、食べにくくなり…大変でしたね。
でも余計なことをして、色んな人に迷惑をかけているお父さんが嫌だった。
お母さんやお兄ちゃんに、それが病気なんだと言われても、自分の中で納得できなくて、お父さんに優しくなれなかった。ふと、病気なんだと思った時は、優しくなれたのに…それが、ずっとそう思うことが出来なかった。

12/27~1/2まで、こんなに一緒に居たことなかったよね。そしてこんなに辛くて悲しい日々はなかった。
私は初めて、この15年間お父さんが戦ってきた苦しみを分かることができて、毎日毎日、今もずっと優しくなれなくてごめんなさいという思いばかりです。
お父さん、純子のこと怒ってただろうね。許してくれるかな?もう遅いかな?

お父さんありがとう。そしてごめんなさい。そしてそして、大好きです。

これからもずっとお父さんは私の中でスーパーお父さんです。
お父さん本当にありがとう。そしてお疲れ様でした。すっと見守っていてね。

純子より

1/4の明け方4時ごろ、1階の部屋でのうたた寝から目覚め、ふと父に手紙を書きたくなり、自分の部屋で、人生最初で最後の父への手紙を書きました。
父が倒れてから、葬儀までの10日間、
なんともいえない時間を過ごしました。
こんなに父にことだけを思って過ごしたことは無いぐらい、
色んなことを思い出し、懐かしみ、そして悲しくなりました。
こういう立場になって、分かったこともたくさんありました。
色々な段取りや手配ごと、でもやはり、たくさんのの方に励まされ、支えていただきました。

葬儀以降、小さな骨壷に入った父に、毎日家族みんなで「南無阿弥陀仏」と…
初七日の法要の後、ご住職のお話の中に、
「七日七日お参りをし、四十九日までかけて、あの世に昇られます。ふと思い出した時には、「南無阿弥陀仏」と唱えて差し上げてください」というようなお話を聞きました。

四十九日を向かえ、胴骨だけを納骨することに…
今まではまだ傍に居てくれている気がしていましたが、寂しい気持ちになり、涙がポロッとこぼれました。

居てた時は、そんなに思わなかったのに、居なくなってしまって、思っていた以上に、悲しくて、辛くて、父という存在の大きさを改めて感じました。

なぜ、こんなことを書いているんだろうと…と思われる方も居ると思います。
これは、完全に私の自己満足だと思います。
書くことによって、思いをぶつけることによって、
これから父に笑って話が出来るような気がします。
私が、いつまでもうじうじせず、一歩踏み出すためだと思って許してください。

支えてくださった親戚の方々…
 お世話になりありがとうございました。今後との私たち家族を宜しくお願いします。
励ましてくれた友人のみんな…
 いっぱいありがとう。すごく励まされました。これからも変わらずに仲良くしてね。
そして家族のみんな…
 私はこの大家族の一員で本当に幸せです。これからも一緒に頑張ろうね。

最後にお父さん…ありがとう、これからも見守っていてください。