『シャコタン・ブルー』
                 



      
 ぼくは今、とっても眠いんだ。いや、今に始まった事ではないんだけど、ずっと夢うつつの状態にあると言っていい。

 ここに来る前は、ずっと昔に行ったことのある万博会場の入口のようなところにいた。ほんと、大勢の人がいてゲートのような受付の順番を待っていたんだ。
 待っている人がそれぞれに言いたいことばかり呟いているように見える。まったく収拾がつかない状態のようだ。だけど、大丈夫。みんな他の人のことなんか気にしちゃいない。
 半分以上は、今のぼくみたいに眠たくなってる人だもの。


 順番が来て、ゲートの係員と向かい合う。係員は、どんな顔をしていたか覚えていない。まぁ、どこの役所にもいるようなタイプだったような気がする。

 「はじめてですか?」と聞かれて、ぼくは答えに窮した。係員はそれで察したらしく、「あぁ、初めてですね。こちらでは、あなたの生前の人生の内容をすべて、私と一緒にモニターを通して確認していただきます」と言って係員が指差した、その先の宙に四角く空間を切り取ったような画面が現れた。
 「もちろん、このモニターは私とあなただけにしか観ることができません。色々なことが出てきますので、あなた自身受け入れられないこともあるでしょう。それはそれで結構です。その際には、列に戻っていただき次の順番に回ってください。なにか、ご質問は」と説明を重ねた。
 「えぇと、何が何だかさっぱりなんですが。つまり、ぼく自身はもう死んでて、ここはぼくの人生を振り返る場所ということなんですよね。ここの先は何が待ってるんですか?ってか、再度受けなおすっておっしゃいましたけど、何回までですか?」ぼくは、まだまだ聞きたいことがあったが、言葉が詰まってしまってこれ以上、質問を続けることができなかった。
 「はい。簡単に申し上げますと、この先はCycloと申しまして〈循環〉ということになります。内容については、おいおい分かっていただけることと思います。それから、再審査に関してですが、特に期限は設けておりません。何度でも、気の済むまでお受けいただけます。周りを見ていただいたように、大半の方が夢うつつの状態になっているでしょう。長いこと、こちらにいると段々と意識というか、こだわりや後悔などあちらに行くのに障害になる角みたいなものが取れていくんですね。七週間たった頃には、もう寝ながら通過ってこともありますよ」係員の言葉に、七週間の日数を頭の中で反芻してみた。
 まんざら、四十九日法要も間違っているわけでは無さそうだ。

 「では、始めますか」の係員の言葉と時を同じくして、宙の画面にはぼくの生まれた時からの映像が映し出される。子ども時代の嘘やいたずらの数々。他人と一緒に観ているとかなり恥ずかしいものだが、よくあることだと笑って観れた。しかし、社会人になって数年経った頃の場面になると笑えなくなった。
 地下鉄の大通り公園駅の改札、一人のスーツ姿の女性がぼくの前で転んだ。ヒールの踵が折れてしまったらしい。
 妻との出会いの場面だ。
 次の場面が映し出される前に、ぼくはもうゲートから走り去っていた。身ごもった妻を一人残してきたことに、とても後悔を覚えたのだった。


 そこから、どこを辿ってここへ行き着いたかは覚えていない。ぼくは積丹半島の尖端より東、島武意(しまむい)海岸にいた。 ここはよく覚えている。車を持ち始めてから、いつもドライブの度に来ていた場所だ。結婚後も、どんなに激しい夫婦喧嘩の後でも、ここの景色を観ればいつの間にか仲直り出来るような場所だった。 
 ぼくがこの島武意海岸に来たのは、きっと彼女が会いに来てくれるとの勝手な思い込からだった。
 本当だったら、彼女が暮らすぼくらのアパートや彼女の職場に見に行くのが、手っ取り早いし確実なんだろうけど、ぼくは自分が死んだという事実とそれによってもたらされた現実を直視する勇気など持ち合わせていなかった。ただ、ただこの場所で彼女を待ち続けていたかった。はなはだ自分勝手だなと自分でも思う。
 
 この海岸は、ぼくが今まで見た海の中で一番、雄大で美しい。水温の低い海水は、『シャコタン・ブルー』と言われる深い藍色を湛えている。
 海水の透明度も高く、水面から海底の奥底に潜んだウニやアワビ、蛸の姿まで確認できるだろう。辺りを見回すと、切り立った崖や海水の浸食によって出来た奇岩が連立していて、初夏を迎えるころになると、ハマナスの赤い花やハマベンケイソウの青い花、ゼンテイカの黄色い花がそこかしこに見ることができる。
 冬は冬で辺りは、水墨画のような白と黒のコントラストで北の国の厳しい冬を一層引き立たせていた。
 たまの観光客や肝試しにやってきた若者たちに起こされることはあるが、ぼくはこの海岸でうたた寝をしながら過ごした。と言うより身体と言っていいのだろうか、ぼく自身めったなことでは動けないようになっていた。


 太陽の位置がいつもより、いくぶん低くなってきた昼下がり、一人の老女と若い男がこの海岸に訪れた。
 「おばぁちゃん、大丈夫?この階段、結構きついよ」と若い男は老婆に声をかける。
 「大丈夫だよ。おばぁちゃんは若いころ、死んだおじいちゃんに連れられて、そりゃあ、しょっちゅうここに連れて来られたもんさ」と老婆は孫とおぼしき若い男に応じた。 
 ぼくは、つい気を緩ませると閉じてしまいそうな瞼を開いて老婆を見ると、ブラウスの胸のあたりに飾ってあった見覚えのあるカメオに気付いた。
 それはぼくらが新婚旅行で購入したものだ。
 そのカメオが彼女と気付かせてくれた。彼女は若いころの弾けるような美しさを失ってはいたが、育ちのよさそうな物腰は昔のままだった。

 「お久しぶり。やっぱり、良いところね」彼女誰に言うでもなく呟いた。折よく、ぼくの返事の代わりに波が一つざぶんと返事を返した。
 「おばぁちゃんね、この四十年もの間、いっぱいの辛いことも悲しいことも、ここに来たら全部忘れちゃったよ。うちのおじいちゃんってずるいね。こんなとこで待ってるなんてさ」彼女は孫を見やって、ひとつクスリと笑った。
 ぼくは、崖の下に咲いていた赤いハマナスの花をひとつ摘んで、彼女の髪の分け目のあたりに飾ってあげた。孫は風に漂うように彼女の髪にまっすぐ向かってくる花びらに、とても驚いた様子だった。
 彼女は、「あら、ありがとう」とぼくに返して、少し黙りこんだ。
 ぼくは、とても堪らなくって彼女の頬のあたりを撫でてみる。そよ風が彼女を触れるように、彼女の前髪が微かに揺れた。すると、ぼくの中に彼女の情報が流れ込んでくる。
 (カノジョハ、モウジキシヌ)
 ぼくの動揺が周りの景色にまでリンクしていく。波が幾分高くなり、厚い雲が周りを包み始めた。
 「そう。私ね、そんなに長くないの。こないだ病院の先生に言われちゃった」そう言って彼女は、舌を出した。ぼくはいつの間にか泣きだしていたのだろう、海の浅瀬に雨が、ぽつんぽつんと波紋を立て始めていた。
 「おばぁちゃん、雨降ってきたね。身体に障るといけないから、もう帰ろっか」孫が彼女に諭すように言う。
 「あなた、もう行くわね。そうそう、あなたの孫のこの子のね、赤ちゃんが秋に産まれるのよ。玄孫の元気な産声を聞くまでは、まだそっちには行かないからね。だから、もう少しだけ待ってて頂戴ね」彼女は海を眺めながらそう呟くと孫と一緒に、崖沿いに設置された階段を登っていた。

 ぼくは、それから数日間眠気に襲われることもなく、ただ泣いて過ごした。そして六日目の朝を迎えたころ、自分が待つべき場所はここではないと感じた。
 そうすると、厚い雲の谷間から太陽が差し込んできて、ぼくと辺りの境界みたいなものが滲むというか、隔たりが無くなってきてるような感覚を覚えた。
 つぎの瞬間、ぼくはあのゲートのある広場にいた。

 係員の男はぼくを待っていたのだろうか。広場の中央からぼくに向かって真っすぐ歩いてきた。
 ぼくは、溢れ出すかのように係員に向かって今までの経緯や彼女のことを語り、最後に彼女と一緒にゲートをくぐり抜けたい、もし彼女がまた後の列に戻ったとしても何度でも彼女に付き添いたいと懇願した。
 すると係員はにっこりと、それは本当に良い笑顔でぼくに返した。
 「どうぞ、お気の済むまで」
                     (了)





 《参考動画 『島武意海岸 積丹ブルー☆  ShaKotan BLUE』》


この動画は制作者のご好意により、この作品への使用が認められています。








《2012年 『目黒のさんま祭り アートフェスティバル』にて日本画家・早川剛氏の絵画『シャコタン・ブルー』とともに出品》

ジュンノスケの本棚



早川剛の主に日本画 HP


目黒のさんま祭りアートフェスティバル HP