スレイヤーズの頃 リナ・インバースというヒロインのこと | 十姉妹日和

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つれづれに書いた日記のようなものです。

ボクが小学五年生の頃だったと思いますが、当時は深夜アニメ枠というのもほとんどなくて、「オタク向け」とされるアニメの時間も一週間のうちほんのわずかでした。


その頃の人気作品といいますと、代表的なものに「ズッコケ三人組シリーズ」や、宗田治の『ぼくらの七日間戦争』を中心とした「ぼくらシリーズ」があり、低学年向けには「かいけつゾロリシリーズ」も学級文庫の人気者だったと思います。

ファンタジーでは水野良の「ロードス島シリーズ」を好んで読んでいる人もいましたし、当時のブームでもあった「学校の怪談」なども男女問わずやはりみんな借りていたように思います。


そんな中「ライトノベル」というジャンルが大きく知られるようになった、あるアニメ作品が放送されます。

それが1995年から三度にわたってアニメ化された神坂一原作の「スレイヤーズ」シリーズでした。


ライトノベルのルーツとしてよく名前が挙がる「ロードス島戦記」や田中芳樹の「銀河英雄伝説」も、当時はすでにOVAで映像化されていて、こちらも人気を集めていましたが、作画も本格的なもので若年層向けというよりは映像作品を好む硬派な愛好者向けの部分がありました。

それだけに、ロードス島戦記のOVAが夏休みに放送されたりすると、ちょっと大人の作品に触れているようで楽しかった部分もあったんですが。


スレイヤーズが放送されて、大きな話題になったのはファンタジーにはめずらしく「ドタバタコメディ」の要素を取り入れていたことです。

そして、そこから醸し出されたキャラクターの圧倒的な個性に、みんな魅かれていきました。


それまでのファンタジー小説といえば、主人公たちは世界を救うためですとか、それぞれに何かしらの目的があって冒険しているというイメージがあったのですが、スレイヤーズにはそういった重苦しい雰囲気がほとんどありませんでした。

思うままに行動してあちこちで事件に巻き込まれ、しかもけして正義の味方としてではなく自分の価値観に基づいて行動するリナ・インバースは、まさに破天荒な主人公だったように思います。


あるいは、その当時の混乱していた社会の世相にも多少は関係があったのでしょうが、何か自分流の価値観というものが切実に求められていた部分がこの頃にはあったのかも知れません。


さらに、スレイヤーズは原作の小説でも、アニメとほとんど変わらずに主人公たちのキャラクターも立ち過ぎるほど立ち過ぎていたのも特徴です。

小説を読みはじめると、アニメの雰囲気とほとんど遜色がなくリナやガウリィたちが動き回っていく。

その駆け引きの面白さには、それまでの小説にはない楽しさがあったように思います。


「スレイヤーズ」を刊行していた富士見ファンタジア文庫の読者も、その人気に牽引される形でさらに増加し、「魔術師オーフェンシリーズ」や、同じ神坂一の原作だった「ロスト・ユニバース」などがアニメ化されるとまた次々にファンを増やしていきました。


ボク自身、たぶんスレイヤーズの本編(小説)が終了するまでの間が、一番ライトノベルをよく読んでいたと時期だったと思います。

2000年頃になって「フルメタル・パニック」や「涼宮ハルヒシリーズ」が大ヒットして、まさにライトノベルの全盛期といわれた頃には、もうだいぶライトノベルからは離れていました。

それだけに、ボクの中ではいまだにライトノベルといえば「スレイヤーズ」の印象がどうしても強いのです。


今になって、スレヤーズの面白さとはなんだったのかと考えてみると、それはキャラクターの個性だけでなく、全体を通して活劇調だったことも大きいように思います。

少し昔なら、「痛快」ですとか「あっぱれ」とか、そんな副題がついていてもおかしくなかったかも知れません。

ただ、これはスレイヤーズだけでなく、ほとんどすべての神坂作品に関してもいえることかも知れませんが。


例えば、角川で刊行された「日帰りクエストシリーズ」や「闇の運命(さだめ)を背負う者」でも、主人公たちは自分の運命や、置かれている状況を、あっさりとどこかへ捨て去ってしまうところがありました。

世界の英雄にも、人類を二分する勢力のリーダーにもなれる実力がありながら、自分は今のままで生きていければいいという理由で、いずれの主人公たちも自分の境遇にはこだわりがない。

むしろそんなものでは邪魔でしかなくて、ただ気分の赴くままに町から町へと渡り歩いたり、日常生活を楽しんでいる彼らの姿は、どこか時代劇の風来坊や浪人を彷彿とするものがあるように思います。

そういった数ある神坂キャラクターの中でも、リナ・インバースは完璧でした。

ボクはこれまでに見たどのアニメや漫画のキャラクターと比べても、彼女以上に強い女性キャラを知りません。

もちろん、実力や能力の上で彼女を圧倒するような設定を持っているキャラは、劇中でも他にいくらでもあると思います。

しかし、リナほど自分の生き方を通すために必要な能力をすべて持ち合わせている主人公はおそらく稀ではないでしょうか。


どんな強大な敵とも渡り合えるだけの駆け引きができる知性。

盗賊退治から個人の依頼までどんなものでもこなして金銭に事欠くことのない生活力。

なによりも「達観した」キャラクターにありがちな、世俗への欲望をけして失うことがないのも彼女の大きな魅力かも知れません。

そういった総合的な個人の能力でいえば、彼女は自分よりも強いどんな相手でもなんとかしてしまうことができます。


ちょうど、スレイヤーズのヒットした近い時期には、あの「新世紀エヴァンゲリオン」の社会的なブームがありました。

ですが、エヴァの主人公だった碇シンジは、リナとはあまりにも対照的な精神的な弱さと、自分の無力さ、居場所のないことを嘆く少年でした。

ほとんど年齢設定の変わらないこの二人は「戦うヒロイン」と「迷いながら自身では戦うことができない主人公」という対比でも、もっとも象徴的な主人公同士だったといえるのではないかと思います。


しかし、そのどちらがより多くその後のアニメや漫画に影響を与えたかといえば、それはやはり碇シンジではないでしょうか。

リナは「憧れ」にはなっても、「共感」はできなかったからです。

彼女が「くだらない」と思っている世界の運命を握るような力や、英雄としての名声、あるいは自分の研究に没頭して真理へと至ろうとするような欲求を、自分の生き様として求めているキャラクターは最近の作品でもけしてめずらしくはありません(Fateシリーズの魔術士たちや、世界を変革しようとしたルルーシュなどもここに含まれるかも知れません)。


作品の中でそれらの相手に対する主人公たちにとって、リナの考えは一つの答えには間違いなくあると思うのです。

けれど、それは単純に「言える」答えではありません。

リナが最終巻でいったように


「悲しみと苦しみを、忘れて目を閉じるのではなく――。 胸に抱き、乗り越えて。あたしは。明日を笑って生きてみせる」(スレイヤーズ名言・迷言集http://light37.web.fc2.com/pandor/kanzaka/syword.htm  より)


と、そう言い切れるだけの強さをもったキャラクターは、ほとんどいないのですから。

それだけに、まさに彼女らしい強さに満ちた言葉だと思います。


永遠の美少女天才魔道士。

彼女の活劇(スレイヤーズシリーズ)は、今読んでもやはり面白いと思います。

それは作品の完成度や、目新しさとしてではなくて、やはりそこに描かれているのがあの頃のままのリナやガウリィだからだと思うのです。


今回は、なんとなく自分の中でのライトノベルやスレイヤーズを考えているうちに、評論もどきの雑感になってしまいました。


今回も読んでいただき、ありがとうございます。