親愛なる皆様へ

誕生日の翌日ですが…

 皆さんに、知って頂きたいことがあります。
少し、驚かせてしまうご報告です。


 私、藤森香衣は、初期の乳がんになりました



 実は2011年に、右胸にしこりを発見し、
すぐに乳がん検診(マンモグラフィー、エコー、触診の全て)を行いましたが、
「異常なし」と診断されました。

しかし、どうしても気になって、昨年の11月、
もう一度、別の病院で乳がん検診をしたところ、
前年には見えなかった、石灰化(がんになり始めている白い点)
マンモグラフィーで見つかったため、再検査をすすめられました。

そして、12月に しこりから直接、細胞をとって検査を行った結果、
初期(ステージ0=他にがんが転移していない可能性が高い状態)の
乳がんであると告知されました。


 その病院では手術ができないため、大きな病院へ
ご紹介頂き、年明けから精密検査を繰り返していました。

それでわかったことは、
自覚している部分のほかに2か所、同じ胸にがんがあり、
当初は胸の一部分の切除(温存治療)かと思われましたが、
初期ではあるものの、広範囲なため、
右胸を全摘出することになりました。

「初期なのに、どうして胸を失うの?」

「今は、切らなくても良い方法もあるのでは…」

色々なご意見や疑問があるのも重々、承知しております。
私も、ただ 医師に身を任せたわけではなく、
あらゆることを調べ、セカンドオピニオンどころか、
色々な病院、医師のご意見を伺った上で、

今後の人生や、仕事、どの方法を行うとどうなるか…などを考え、
私が、自分で納得するものを選び、出した結論です。


(※「乳がん」は、名前で一括りにされますが、同じ病でも
一人ひとりの体は違うため、あくまでも“私にとって”の方法です)


 今は術式と手術日が決まり、今月中に全てを行います。



家族や親類、仕事関係の方には打ち明けていましたが、

多くのお友達や、私を支えて下さるファンの皆様、

今まで黙っていて、ごめんなさい。

12月に告知されてから、私の体が どうなっているのか
検査結果が出るまで、本当に苦しく辛かったんですが、

自分がきちんと自分の病気やレベルを把握せず、
治療方法なども分からないまま、
乳がんであることを公表するのは、
ただ皆さんに動揺を与え、ご心配をおかけするだけなので、

どんなに苦しくても、時期が来るまでは
仕事関係の方など、ごく少数の方にしか
この事実を言うべきではないと、心に決め、
今日に至りました。



 乳がんは、ステージ(がんの進行具合)がいくつであろうと、
癌という病気になることプラス、胸を失うという決断まで
しなくてはならず、
女性として、患者として、苦しい病です。

この病気を患っても人に言えず、
ひとりで悩みを抱えたままでいる方も多いそうです。

 ではなぜ、私が公表することを決意したかというと…

 この命は、亡き友に救われた命だからです。

 三年前、私は年下の友達から「乳がんである」と打ち明けられました。

今、このブログを読んでビックリしている皆さんと同じように、
私も彼女からの告白に、かける言葉が見つかりませんでした。

ただひとつ、
「どうして、あなたが…」という言葉しか浮かばなかったんです。

 がんのステージが、どこまで進んでいたのかは、聞きませんでしたが、
入院の前に、みんなでランチの約束をし、久しぶりに会った彼女は、
手術と抗がん剤の治療に備え、
ロングヘアをショートに変えていましたが、
淡々と、今の自分の状況を話してくれました。

 そして、私たちにこう言ったんです。

「お願いだから、検診を必ず受けてほしい。そして、保険に入って」

それから、つらいことにたくさん、たくさん耐えたのに、

半年後、彼女は20代の若さで星になってしまいました。


 胸にできる しこりが全て、悪性なわけではありません。
特に、乳がんになる年齢の多くは40代以降が最も多いため、
一昨年の段階では、私のがんは小さすぎて 石灰化も
ハッキリ見えなかったため、良性のしこりと判断されました。

 しかし、私は友達が「検診を受けて」といった言葉が、頭から離れず
一年後に検診を受けたお陰で、本当に初期の段階で、
病気を発見する事ができたのです。

 もし40才までの数年間、このまま放っていたら、
どんなに悔やんでも、悔やみきれなかったと思います。

 病院で、医師からがんを告知された時も
その帰り道も、涙は出ませんでしたが、

家についた途端、何度も何度も友達の名前を呼んで
「ありがとう」と言いながら号泣していました。

けれど、私の命の恩人は、もういません。
どんなにお礼を言いたくても、もう会えないし、
恩返しをすることも永遠にできません。

私にできること。

渡されたこの「誰かの命を救うバトン」を受け取り、
彼女が遺した言葉を多くの人々に伝えること。

それが、亡き友への恩返しになるのではないかと考え、
私は、自分の病気を公表することにしました。


 まだ、私の治療は始まっていません。

そして、この病気には「転移」「再発」という恐怖なども
ずっとついてきます。

正直、色々な可能性を考えたら、とても怖いです。
大抵のことは覚悟ができているつもりでも、
未だに、急に涙が止まらなくなったりします。


けれども、なってしまった事実は変えられません。

それよりも、私が病を運命の一部として受け入れ
発言や行動をしていくことで、それを知ったことにより
悲しい思いをする人が減り、愛する人を失わずに済む人が
少しでも増えることを強く願っています。

そして…そうした活動がきっと、
これから私が自分の病気にめげずに
生きていくためのチカラになる
と信じています。



 どうか女性の皆さん、他人事とは思わずに…検診を受けて下さい。
男性は、周りの女性に私の話をしてあげてください。

こんな長文に、最後までお付き合い頂き、
本当にありがとうございました。

これから色々なことを乗り越えていくので、
見守って頂けましたら幸いです。

そして最後になりますが…同じ病と戦っている方。
一緒にがんばりましょう。


2013年4月4日 藤森 香衣