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音叉とエニアグラムで周波数をあげるセラピー。本来のワタシへ。ヒーリングサロン Pulse(パルス)

エニアグラムで理解、頭に心が追い付かないときは身体にアクセス。音叉とアロマを使うハンドヒーリングで優しく、かつパワフルに体と気持ちを立て直していきます。ココロとカラダの調律師 まやこ(かまちょの部屋)

おかげさまで、ありがとうございます。
まだ元気です。

朝の瞑想も続けています。

浅くなる呼吸が深く戻るのを感じます。

毎日祈ると言って、毎日想ってると言ってくださる人達が
ここで祈ってますとか
今日はこんな風に貴方を想いましたとくださるメールが
面会謝絶のこの入院生活に彩りを添えてくれています。

前の週開始する前の化学療法は見送りになりました。

少なからずショックでした。

疼痛コントロールで喜んでいても、癌の治療としては始まっていないのです。
その間、病は進んでいるのです。
問題は、飲みすぎた薬で肝臓が弱っているらしいということでした。
翌週に持ち越された化学療法でしたが、
薬の調整を4日間行い、それでもダメなら放射線療法に1度切り替えようという案がだされ、放射線科に行きました。
放射線に切り換えると、とめどなく流れるこの下血が止まるわけです。

子宮1ヶ所狙いで行く。

その間化学療法には手をつけられない。
残り5箇所は進行を続けます。

私にとってはそれは終わりの始まりなんじゃないかと思っていて
できれば化学療法で、全員に声をかけておきたいと思っていました。

ともかく、βグルコンで免疫を上げながら、ミネラル摂取、珪素水、瞑想、レイキ、アロマ
できる全てを導入。

外からは皆様のお祈りやヒーリングが届いています。
こどもたちと花やツルを折りましたとか
2人で遠隔ヒーリングやってますとか、3人でやってますとか、今日は4人です、なんてメッセージもいただいて恐悦至極。
その体制をもって、放射線に行くなら、なんとか持ちこたえられるかなんて伏線も考えつつ、行く末を見守る。

放射線治療のための地図をつくるため、CTを撮って、照射箇所の印をお腹にも基準線を引きました。

何度もCTをとったことがあるし、今回の検査でも何度も撮ってる。
でも裸のお腹に撮られる時
お腹を機会のスライサーで素早く輪切りにされる感覚があり
ものすごい衝撃で涙がでました。何度も吐きました。
近くの女性が様子を聞いてくれて、その感覚をバカにせずに聞いてくれました。

今までの人の、CTは本来そういう風に使う道具なのに、それを感じる人間を
アイツは頭おかしいとバカにするのが不思議でした。
じゃあ、あなたが動かしてるそれはなんなんですか、と言いたくなる。
2度とCTは撮りたくないなぁと思った恐怖の撮影でした。
 
そんな風に化学療法と放射線治療の2本の選択肢を持ちながら4日間を過ごしました。
疼痛コントロールは少しづつ薬の量を調整し
一日何回も検温、血圧、酸素、お腹の音、胸の音をはかりながら
月曜朝6時の採血をもってゴーサインが出される。

気にかけてきた肝臓の数値は無事クリア!

しかし炎症が強めでした。
それでも掛けて欲しくて
先生もそれは同じ思いで
無事化学療法がスタートしました。

やっとスタートライン!よかったーーーーーーー!

みんなありがとうございます!!

おかげさまさまです。

これまでの間、眠りが悪く
日に何度も悪夢を見る。
起きると頭が割れそうで、脳への転移も疑われてチェックがありました。
MRIの結果は問題なし。

それは不思議とカーチェイスの場面で
何となく体感で車が私
運転しているのは、知った顔の人達でした。

でもその「行ける!」という運転判断は私がしていました。
カーズみたいな?知らんけど(笑)
すごい隙間をぬうような走り方をして、
時に誰かにあたったり
自分の1部が取れたりした所で目が覚める。
これを繰り返しました。

すごい臨場感で怖かった。
実際の車はともかく安全運転のワタクシ、超のろのろなのになぜー。。

そこで!!!( ゚д゚)ハッ!!!!と気が付きました。

これは、ワタシのカラダの気持ちだ。。。

身体の声は聞いて、不自由なところを伸ばしたり解したりして来た。
それは質疑応答の中で行われていたものだったと気がついたのです。
やる事があるなら、やるはやるけど
気持ちとしては

「早すぎて怖い‪( ;ᯅ; )‬緊張する!やめてそんな細い隙間に入らないで!!」だったんだ

心底身体に詫びました。
心の中で土下座をしました。
ごめんね、ごめんね、ごめんねーーーーーー!!
身体の声を上げれなくさせてきた
萎縮させてきた鬼上司だったんだ、ワタシ。。。

たぶん、外から見ている人は、見て明らかで何度もご忠告くださっていたと思うんですよ。
でもね、そんな簡単じゃないんです「やすむ」って。

ワタシ、根に虐められっ子のトラウマが強くて
上手くいってても、このまま上手くいき続けるはずはないって常に邪魔な邪念が入るんです。だから人とも一線置く。

そんな中で必要とされることは麻薬のようで
「ワタシは、まだやれてる」そんな風に自分を持ち直す薬でした。

復帰したら定休日を作ろう。

代休も作ろう。

そんな風に決めました。

きっとワタシはもうフラットに戻れる。

ちゃんと休んで休める体制と、落ち着いたマインドを手に入れて
新装開店できる気がするのです。

ワタシがそんなことを考えていたおり
ワタシが傷ついて十数年前に切ってしまった男友達から連絡がきました。

彼は何もしらないまま、自分の話をはじめました。
ホントに何もしらんのや、こやつは。
しかもなにこのタイミング。。。なんで今なの??
ってな具合に、嫌でも縁を感じさせられることがあって、関係を戻すことにしました。

で、その彼も一緒にいたグループの中の一人

ときどきこのブログにも登場する学者の友人とはもう35年を超える付き合いで
全く相反する性格性質でありながらもお互いの根幹は同じという不思議な間柄です。

そんな彼から

「言葉にすると綺麗事に聞こえるけど、本気で一緒に乗り越えたいと思っているから」と声を掛けてもらい

ワタシがトラウマからとはいえ、いきがり、馬鹿な暗黒時代を過ごしている間も
変わらず「共にありたい」と、願ってくれてる人がこんな近くにいたんだよなということにも改めて気付かされ

その後小学五年生から続くグループのメンツの中から7人が 
ワタシを励ますために昔の写真や、近況報告などをしてくれている鍵付きのインスタアカウントをプレゼントしてくれました。

紅一点というと浅倉南的な響きですが、どこにもその紅がみあたらないほど馴染んでるただのクロ集団でしたね。
ブスすぎてひくわー。なんて呆れながらも

友たちの愛が嬉しくて嬉しくて。

おじさん7人がインスタなんて始めて、四苦八苦してんの。
一緒に育ってきた仲間たち、愛おしいです。 


化学療法あけ、事前に飲ませてもらった吐き気止めのが効いて
11日ぶりに「たのしい、うれしい、おいしい!」気持ちでご飯を食べることが出来ました!
そこから3食は楽しかったーー!
このあとは、色々看護師さんたちと工夫していけたらって感じです。

現在鼠径部の癌のせいか、卵巣がんのせいか、右足が動けない方向があり  
できない動きが増えてきて

こんな状態。トイレもひとりでいけません。

しかしこのお触書の朝
この部屋に入って初めて
富士山にお目にかかりました。

看護師さんが窓際から離れたくないと泣く私にくれたプレゼントのお部屋。

感動して同室のおくさんたちにも早朝なのに声をかけて三人で見ました。
これを見て「あー、大丈夫な気がする」と感動で涙しました。
奥さんも泣いてくれました。

富士山は「富士山が好き!」という気持ちで眺めている人が多いから
人の喜びのパワーが溢れる山なのだと心の友ともちゃんが教えてくれました。

そんな夕方、このブログにも度々登場、心の友よっしーのはからいで
同じグループ内ですれ違いで離れてしまっていた友人からメールを貰いました。
大好きな友達で一生付き合うと思っていたから、きっとどこかで戻れると信じていたけど、なんか思いがけずタイムリミットがきてしまったなぁなんて考えていた折のことでした。

私の不徳だったと大いに詫び、嫌われてなければ戻りたいと伝えました。
彼女も戻ろうと言ってくれてワタシに生きることを願ってくれました(´TωT`)
カーテンに仕切られた病室で小さく声を上げて泣きました。

全部戻ってきた!!

思い残すことが無くなったから、心置き無く死ねるわけじゃなくて
あとはワタシがカラダを取り戻すだけだ。

沢山いいイメージをして
幸せにこの痛みを乗り越えたい。
一回目のアナフィラキシーなどのリスクは回避出来たし
次の化学療法を終えたら脱毛も始まり何も食べられなくなるかもしれないけどさ。
やりたいことがまだまだあるし
会いたい人も沢山いるし

今はひとりで歩けないけど
みんなに甘えて、みんなに大事にしてもらって  
これを受け止める練習もさせてもらって

ああ、この病はなんて苦しくて、
なんてギフトにみちあふれているんでしょう。

癌とは闘わない。

お客様たちの中には新薬開発や、癌のお薬の研究グループの方たちなんかもいて
みんな癌も含めてチーム。

勝ち負けじゃない。
私のカラダの循環を取り戻すためのサインだ。
からまった釣り糸のように端からじっくりゆっくりほぐしていこう。
この気持ちを忘れないように苦しみの門に入ろう。

この文章を書いた瞬間に深い息が入ってきた。



いつかに続く
おかげさまで、ありがとうございます   

徳島クラスの主催 お里さんが送ってくれました。

病気平癒

なんか字の持つエネルギーがいいでしょ。

辞書的には「病気が治って何事もなくなること」を意味しますけど

このブログのタイトルを闘病記としておきながら

「病と闘う」のはちょっと違う気がしている最近です。

もともと自分のものだったわけですから

悪いものを出してくれて形にしてくれて「ありがとう」なのかな。

そう思っていたら、ここ数日朝に時間を合わせて瞑想をやってくれている大学時代の仲良しちゃんが

瞑想スタートの直前に「癌ちゃんありがとう」と言ったので

ああ、この感覚こそ、病気平癒への道なんだろうなと思いました。

彼女自身も過去に癌を克服した過去もありますので心強い。

病の元が幸せな光で天に還ることをねがって祈っています。



さて

前回ブログ ガンを見つけるまでの記事には本当にたくさんのアクセスをいただき
誠にありがとうございました。

もうさ、ワタシのブログの人気なんてまじで右肩下がりで(笑)

けっこうランキングも上位だった時代もあるんですよ??

過去の栄華にしがみつく事さえゆるされない熾烈なブロガーの世界。
って感じだったのにこの2日で4000人くらいきてくれて

わぁ!まだ生きてたんだね!!と1人で再会を喜びました。

まぁ面会謝絶の病棟。だれも居ませんので地味なもんですよ。

こんなテンション高めなワタクシですが

実際の生活は下血と嘔吐の繰り返しで熱なんかもだしつつ全く食べれない時間を過ごしております。

身体が耐えきれないという理由で

化学療法が見送りになりました。

その間にも何かが進んでいってるのがわかるし

やっぱり常に「そうなったとき」の話を話をされるので

来週の私の命に保証が無いんだなぁということをぼんやり眺めておりまする。

そんなわけで、この先がどうなるかわからないので

ちょっとご挨拶をFacebookに投げたんですよ。


そうしたら、本当に沢山の方から応援や救援物資や祈りや愛やビデオレターが届いて

感謝でむせび泣いております。





ワタシ、この中にいていいの?

ちゃんとみんなの一員としてやれてた?








声は上げれないけど号泣。

ワタシは生きる
こんなとこで倒れてられっかよ

なんとかがんばりたい。

みんな、本当にありがとうございますありがとうございますm(_ _)m

生きる意欲を

前にむく力を

寄り添いと

喜びをありがとう。

感謝しかない。

化学療法がはじまれば、きっとみなさんから毎日ちょうだいするメールも開けません。

なので既読にも出来ないかもしれない。

想像ができません。

お返事もきっとできません。

タイプによっては、メール開かないことを「迷惑なんだなぁ」とか

「いやならスルーを」とか色々想像しすぎちゃうんです。

あと「話したくなったら、いつでも言ってきていいですよ」っていうお声掛けもかなりいただきました。

そういう方たちのこの先の懸念は

「ワタシは別に役にたたないですよね」とか

「私より仲良い人いっぱいいますもんね」とかにしばられることなんですけど

実際すでにそういう内容も送られてきますし(笑)

そんなことはないから、そんな先までどうか想像で心を使わないでください。

考えてみて、例えば70人から同じようにそう言われて

でも誰のことにも気持ちに優劣がないとき1日1人と話して70日間すごす体力が今の私にはありません。

治療前の調整でこんなに苦しいなんて思わなかったの。

寝てるだけなのに1日があっという間。

シャワーを浴びる体力もなく

身体を拭いて髪をあらってもらったりしています。

どうかご理解ください。

本当に感謝しています。

元気になったら恩返ししたいです。

ではまた会う時まで。


今はともかく光と愛で全てが満たされること

みなさんに、ワタシに祝福がありますように。

誠にありがとうございます。
おかげさまで、ありがとうございます。

今年の桜は更にはやかったですね。 

3月の半ば、税理士さんに送る確定申告の準備をやっと終えて

観念して検査に行かねばと思った。

年が明けてからお腹の様子がずっとおかしく

前手術したところで何かがおきたのかと思ったが

ちょうどそのころFEELCYCLEにかよいはじめたときだったので

坐骨を傷めたのかもと思った。

骨盤調整をすると楽になったから。

そしてアメリカ行きが決まっていたので

もし前回みたいに、みせるやいなや入院ですと言われるのは困るなと思っていた。

けいこさんには病院に行って欲しいと言ってもらっていて

帰ってきたら様子みて行かねばとも思っていた。

しかしワタシが今全身全霊を掛けて挑んでいるプロジェクトの締切と確定申告の締切がかぶり

まだコロナ騒動もなかったので
 
2月は騙し騙しやるしかないなと思っていたが

痛みの場所が1箇所じゃない事に不信が募っていた。

前回病院での扱いにほとほと傷ついてしまって、経過観察を途中でやめました。

多めに切るといって、2回も切ったのに、またきりましょうって簡単にいう

症状を聞かれて伝えてもそれは専門外だと切り捨てられたり

報告してもそれは関係ないと言われたり、入院しても顔を見せなかったり

担当医への信頼はなかった。

その前の病院でも最悪の処置を受けて、民間療法で様子を見ていこうと思っていたんです。

傷みの場所が移動する場合腸の疾患の可能性もあると何かでよんで
 
去年ゴッドクリーナーのマッサージ師さんに「アンタの死因は子宮じゃないよ」と急に言われてムカついたのを思い出した。

3月に入りコロナがさわがしくなってきた頃

お腹の痛みは、寝てても目が覚めるようになってきた。

確定申告のために開けておいた日が多かったのでついに病院へ。

しかし前のトラウマがあって病院は変えようと

ネットで婦人科のクチコミを見ていた。

とてもよかったと書かれていたクリニックに行ったら

駐車場から玄関に向かう途中で消毒アルコールを手渡され

消毒を行い、簡易体温計で熱を測ると微熱。

反対の脇でもう一度検温、その間入館証名の記入、また微熱。

五分計で測り直して平熱、入館が許され受付に通ると

「緊急ならみれますけど、緊急ですか?」

「わかりません、ただ今立っているのつらいです」と答えると

「あー、今もつらいんですかー、じゃあ系列病院にご自身で予約していただいて、あいていればいっていただくことになりますけど、どうしますか?」

予約するのも自分なのに、どうしますかってなに?

痛みが強すぎて短気になってる。

いつものワタシではもはやなかった。

「では、けっこうです」といって駐車場代だけ払う時には頭に来ていた。

もう診ねーよ!一瞬そう思ったが

こんな何処の馬の骨ともわからんねーちゃんとのやりとりで、心配してくれている人達に迷惑かけちゃいけないなと冷静になり

結局、古巣の病院に行った。

しかし、婦人科に戻るのは絶対嫌だと言ったら総合診療科にまわされた。

レントゲンやCTをとり血液検査をした。

医者は「子宮内膜症の典型的な症状ですよ、嫌なのはわかりますけど、先生変えて婦人科いきませんか」と言われ

泣く泣く婦人科へ。

女医さんとのやりとりでうっかり自然療法の話の一部をしてしまい

鼻で笑われたのが気になった「そういうのは関係ないと思いますけどね」また言われた。

世界が狭い人はやさしくない。そう思った。

内診し始めたら准教授のベテラン先生に変わった。

腫瘍はすでにあるらしかった。エコーで掻き回されるのが痛くて辛くて

突っ込みながら普通に話を続ける態度に涙が出てしまっておろしてくれと訴えた。

痛いんだよ、それが!

その日のうちにMRIまで撮ることになり検査は1日がかりだった。

大学病院だし、前のデータもあるんだからここで診て行った方が良いとお医者さんは言った。

お昼を食べに出たら総合診療科から電話がかかってきて

「婦人科でなにも見つからなかったら、こちらが何か見落としてる可能性があるのでもう一回検査結果の時に寄って貰えますか」と言われた。

そして2週間後にその見落としがあったことは他の病院で判明するのですがね。

検査結果は2週間後。

3月31日でした。

その間、検査の刺激が強かったのか症状は悪化の一途をたどり起きれない日が出てきた。

仕事も休ませてもらったり

奇しくもコロナでキャンセルが出て休める時間が多くて正直助かりました。

痛み止めは1日5回~6回に増えていた。

不思議なことに2時間おきにお腹がすいてよく食べた。
 
オットはテレワークにして家事をしてくれたり看護をしてくれ、私がどうしても仕事に行く日は都内のどこであっても車で往復してくれた。

ありがたかった。

夜中には内臓が引きちぎられる痛みで数分蹲る、そんな生活。

来たる3月31日診断は出た

2年前に多めに切除したはずの「子宮体がん」だった。

それがどうやら卵巣などに転移しているらしかった。

受け止めるもなにも今この痛みをなんとかしてくれと思っていたので

病名を聞いても正直「あー、はいはい」そんなかんじだった。

ガンは治る病気と思っていたから。

そんなワタシに先生はびっくりすることを言ったのです。
 
「実は、婦人科腫瘍専門の先生が今日で退職なんです。ですので、内科の腫瘍の賢医がおりますので(テレビとかも結構出ている有名なという下りはどうでもよかった。しかしその後何度か聞く)その先生に診ていただいてー。。もしかしたら転院になるかもしれないですけどー。。なにが言いたいかというと婦人科では明日から婦人科腫瘍を診ないことがきまりました。大学病院なのにすみませんね。もしあちこちいくのがお嫌なら、紹介状出せますんで

大学病院だからここで診た方がいいって言われて2週間もダラダラ検査待ってたのに

なんなの?おかしくない?

ていうか痛い?!もーーーーーーーーーーーってなってたが

オットが横から

「明日診てもらえるところありますか」と言った。

そうだ。癌を申告された本人より周りの方が戸惑うんだった。

冷静さを取り戻して今の病院を選んだ。

これが結果大正解で

奇跡のたらい回しはこれからワタシに奇跡を起こしてくれると確信することとなる。

しかし次の日の1日係の検査で

子宮体がんから、卵巣、骨盤、鼠径部、肝臓、肺にも転移していることがわかった。

どのくらい生きられるんですか?

つい聞いた。

治療次第だと濁された。

ワタシは自分で下してきた判断の結果がこれなら仕方ないと思っていた。

こんなに一気に患うにも理由があり

死に際でこんなに全部がコマが揃ってくのも理由があるはず

目の前に来たことを淡々とやっていこう。

聞いた瞬間心に決めた。

ただ母がこわれることだけが唯一の心配だった。

長いエイプリルフールのはじまり。





いつかに続く