私が尊いことと、私が背が低くてぽちゃなのは別のこと | トラウマから自由にするRCメソッド (株)RCM社長 高橋万紀子のブログ

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心の整理と心の外科手術専門のカウンセラー
養成もしています。

私と師匠の写真。背が低いのが私。

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比較すると
師匠は顔ちっちゃーい!
ウエストほっそーい!
背もスラッとしてモデルみたーい!
この先生にレッスン受けたーい!
と思ったらこちら

じゃあ、
背が低くてぽちゃな私は劣っているでしょうか。

命の価値は同じです。
ここで私がコンプレックスを抱く必要は
全くありません。
しかし、
私は彼女のストイックに体を鍛え上げる姿勢
骨格筋肉に留まらず体のことを学び続け
技術も知識も磨く姿勢を尊敬しています。

確かに、トレーナーとしての知識経験は
私の方が劣っています。
でも、劣っているから尊敬しているのではありません。
自分との比較で尊敬しているのではありません。

彼女は私より優れているから素晴らしいのでなく
彼女が努力して自分を磨いているから
素晴らしいのです。

しかし、彼女の努力の素晴らしさと
彼女の命の価値は別のもので、
だからといって命の価値が増すわけではありません。
ということは、もし歳をとって
今のように動けなくなったとしても
彼女の価値は変わりません。
いつもどんな時も、何にも代えがたい価値があります。

という記事で、この癒着について取り上げました。

命の価値と能力や外見の良さや持ち物が
癒着すると
自信もそれに振り回されます。

もし能力や外見で価値が変わるなら
私は彼女より価値がないことになり
もしそうなったら
私は彼女を尊敬できず
追い越すために努力をしたり
逆に彼女の足を引っ張ったりするでしょう。

世の中は、そんなことであふれていますね。

もし私がそんな考えだとしたら
彼女は、できるようになって嬉しかったことを
私に言うことができなくなります。
妬みを引き起こしたり
「あなたより優れている」
と自慢していると思われることを
心配しなくてはなりません。

実際は、
私は彼女の努力が実って
さらにステキになることが嬉しいので
「新しくこんなのができるようになったよ」
と伝えてくれるのを待っています。
彼女もそれを知っているので
気兼ねなく良い報告をしてくれます。

私はカウンセリングでも
クライアントさんが気兼ねなく
「できるようになった!」
と報告してくださいねと勧めています。
以前より良くなります。
それを言葉に出して
一緒に喜べる関係が必要です。

私にそれができるのは
命の価値と能力や外見が
しっかり分離しているからです。

背が低くてもぽちゃでも
私の命は尊いのです。

商品の価値となるとまた別なので
私は商品の価値を上げるために
勉強は続けますし
トレーナーとして働く時も
カウンセラーの技術も織り交ぜたりするなど
努力は続けています。

でも、命の価値は同じです。

あなたもそうなんですよ。
何ができなくても、あなたは尊い。