今週1~2回行っているところはアットホームで重心のみで、
私としては母子一緒でも待機でも良いから就学前の来年度1年間は
集団生活に慣れる目的で他のところも
併用して通いたかった。
(今の生活から突然支援学校に行くと色んな意味で慣れるのに時間がかかると考えた)
知的が主で大人数で幼稚園のようで、
入って行くとすぐに子供達がかなのところに寄って来て可愛いわ、と言ったり頭を撫でたりしていた。
肢体不自由クラスは〝歩行支援クラス〟という名前が付けられ歩行出来るようになったらクラス移動をするらしい。
歩行って・・・と思って子供達を見ると
全員座位が保てているしヨチヨチ歩きの子もいる。
「トイレはここで~」
「給食は~」
という言葉にトイレなんて関係ないし、食事なんて・・・
と思ったのだがオムツが汚れていなかったら歩行支援クラスでもトイトレするし、
給食は胃瘻からの注入もありらしい。
「ここまで重度の子は何年ぶりかわからないです。
どんなに重度のお子さんでも受け入れる方針なんです。」
てっきり受け入れNGかと思った。
発作とかどうなのかと思ったら
「ドラべの子何人かいますよ。」とのこと。
受け入れ体制はしっかりしている。
「かなくんも通園バス乗れますよ。」
衝撃だった。
みんなと同じバスに乗って行くなんて
楽しいだろうな。(かんかん乗り物好き)
母子一緒に通うのは子供と親が安心出来るまで。らしい。
母子分離OKな事にも驚いた。
そんな衝撃的な見学からしばらく経ち、
今行っている通園施設にお迎えに行くと
『視線入力意思伝達装置』
トビーを初めてかながやったらしくムービーを見せてくれた。
紫と黄色のキャラクターを目で追って消していく。
この他に好きな動物を見て鳴き声が出るものはブタばかり見ていたみたい。
(この装置よりランクが上のものは
例えばママと兄の顔を画面に出してママは?と質問した時に
どっちに視線が行ったかわかるものや
いくつかアニメの絵が表示してあって見ると音楽が鳴りどの音楽が好きなのかわかるものがあるらしい。)
「病気発症前に得たものを全て失くしたわけではなく産まれてから1年で得たものを覚えているから出来る。」
と言われた。
出来る事が目に見えたことはあまりなかった。
脳症発症前に出来ていて今もある程度残っているものは特に。
感動した。
かなが上手にやっていた事も、
この機械の存在も。
(ちなみにこの機械はものすごーく高いもので買う事は出来ない。値段聞いてビビった。)
しっかり目標のものを見ることが出来ていた。
簡単なようで難しいことなのだ。
親の目線で出来ないことを決めつけてチャレンジさせないのは良くないと思った。
出来る事と出来ない事がある事はわかってる。
でも本人の可能性を広げる事が親の役目だと感じた。
極端でない事はやらせてあげたい。
(歩けと言ってそれはもちろん無理だからそういう事以外で)
やらないで諦める事はしたくない。
おまけ
おとは脱衣所で待つ事が怖くて出来ない。
かなは出来る。
おと「かんかんは待てるかもしれないけど歩けないくせにー!おとは待てないけど歩けるから!」
私「いじわる言わないでー。かんかん歩けないけど怖がらないで待てるもーん。」
(かな通訳)
おと「歩けないけどおととママが洗ってる間待てるのはえらいよね。」
私「鳥は鳥のかたち♪空を飛べるかたち♪ぼくらは空を飛ばないかたちララララ歩くかたち♪だよ」
あー。失敗した。
私と小鳥と鈴とを歌えば良かった!
わかりにくかったかな。
イーケプラ効いてるようで
黒目が左右違う方向に向き
サチュレーションが下がる発作が消えた。
(その代わり発作の形変わる。)
笑顔少し復活。
みよーん永沢君。
朝起きたらこんな事になっていた。
おと「ママって大人の男で愛してる人いる?」
どこで覚えてきたんだか。。。
おと「ハッツふにょりんなんとか!!なんで!!なんで!!」
私「ワッツジャパニーズピーポーでしょ」
おと「ジャッツ、ワパニーズ、ペーポー」
英語と呼べない言い方をする母。
カナ、アイラービュ。
追記ーワッツじゃなくて、ワイだったことに今さら気がついたけどそのままにしておきまーす