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★4

齋藤孝さんの著書3冊目。

書店でパラリと読んでみて、これはなにかしら発見できそうだと思い購入した。
読んでみて正解!
かなり面白かった。

この本で語られている基本は、人間は「精神」「身体」「心」
この3つを柱に生きている。
ことに現代人は「精神」「身体」が脆弱化しているため「心」のみがかなり肥大してしまって、気分の上がり下がりにすぐ左右されたり、心の病などで年間3万人もの人が自らの命をたっている。

齋藤さんはこの事態を防ぐためには、残りの「精神」「身体」を鍛える必要があるといい、古典を読むことだとか、名文を素読すること、運動などを推奨している。
実に単純なことである。
単純なことであるのに、読書すらしていない人はかなり多いだろうと思う。

私はこの本を読む前に、自分の昔の読書ノートを読み返すことがあって、荒川洋治さんの『本を読む前に』から抜き出した一部分が、『日本人の心は
~』を読みながらずっと頭に浮かんでいた。
その一文は

***
「無意味や単純が提供する余白は、恐らく、逆説的な意味でオアシスになる。」
だが、「そうだとしても、同じ文筆を業とする者として、私は、この人(相田みつを)の存在がどうしても神経にさわる」として、こう続ける。
〈ベストセラーというのは、普段、本を読まない連中が買うからこそ発生する現象で、ある程度以上の内実を備えた書き物は、仲間に入れてもらえないのか?
『失楽園』だとか『にんげんだもの』(注・相田みつをの本)だとかいったベタな上にもベタな、まるっきりのポルノグラフィーか田舎色紙のレベルに降りていかないと、世間の人々には読んでもらえないのか?〉
〈ベタな詩にたやすく感動することができるタイプの精神の持ち主は、一方で、恐ろしく鈍感であるはずなのだ。〉
全国の相田みつをファンには厳しいみかたかもしれないが、本を読まない人がふえたために、まっとうな本が陳腐な「詩」に席を譲らざるをえないのだとしたら、現代日本人の精神構造の問題であり、どうするのか考えなくてはならない。

***

というものである。
確かにかなり辛口な意見ではあるが、私個人は賛成だ。

TwitterやFacebookをやっていると、よく相田みつをのような詩や、「心を揺さぶる話」などといったものが回ってくることがある。
そのたくさんの人がナイスした「感動する話」というものだったりを読んでも、何も心にくるものがない。
むしろ「なんとチープな言葉だろうか」と驚きもする。
そこに書かれているお涙頂戴もの数行を読んだだけで、精神の滋養になるだろうか?
まれに救われる人がいるかもしれない。

しかし例えば、自分の子どもを戦争によって奪われた人の人生だったり、犯されて志半ばで殺された魔法使いの女の話だったり、人種の問題で国から捕らえられ、乱暴を繰り返されながも独房のなかで懸命に生きた人の壮絶な運命だったり、そういう話を、時間をかけて読んでから得た感動というものは、本当にはかりしれない。
読書は、本を読むことで自分自身も実際にそれを体験しているかのように脳が錯覚するらしい。
それはたった数行の「心をゆさぶる話」どころではないのだ。
自分の人生観をも変えてしまう、この体験には到底かなわない。
同じ文章だというのに。

荒川さんがいうところの、そのようなものに簡単に感動できる精神を持った日本人はものすごく多いのだろうし、齋藤さんがいう、その精神の矮小さは読書率の低下もあるのだという、このことは大いに考えさせられた。
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★5

まーーーーーちに待った、待った第5弾!…あれ?6弾?

とにかく「桜庭一樹読書日記シリーズ」の新刊である!

今回も素晴らしき、桜庭一樹さんは、
読んで、食べて、読んで、読んで、読みまくる。
今回はちょっと「これ読みたい!」って本はあんまりなかったものの、桜庭さんの読書にかける情熱にはものすごーく鼓舞されるのであった。

そして今回の読書日記で後半から貫く軸が一本。
それはあの東日本大震災である。

私は九州在住で、あの日、まったく別の世界で起こっているかのような信じられないテレビの光景に唖然として、思考というものすらできない、思考しようない出来事に表す言葉もなかったし、考えられることすらなに一つなかった。
日本でこんなことが起きたのだという、その事実が、ただ頭の中心部ででっかく真っ黒く膨らんで、ただそれを眺めているといった状況だった。

そして桜庭一樹さんはその日の出来事を克明に記録し、あの日から少しだけ変わった周辺の人々や物事を描き出した。
なんとも言えなかったけれど、綿々と続いていく人々の日常生活にあの日がなにかしら変わる一つになったということは、桜庭さんの日記には浮かび上がっているように思えた。

そしてそういう状況のなか、小説が果たすであろう
役割を、桜庭さんは考えている。

こういう一文がある。

***

きっと、小説の中に、混乱している自分自身の口からはけっして発することのできない、でもいま感じてるはずの ” 本当の言葉 ” を探してるんだ。
言葉を失った人を回復させるため、彼や彼女の代わりに語るためにも、小説は存在してるのかもしれない。そう、いま身をもって学んでいるのだろう。

***

文学、読書は必要ない人には必要ないものかもしれないけれど、本を読むということは、日常生活をただ送っているなかでは決して得られないなにかがあると信じてるし、日常生活で失ったなにかをとりもどしてくれるものというか、力があるんだな、と思った。

今回も本当に読めて良かったと思う。
最高の読書体験だった。
桜庭さんありがとうございます!
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★5

初めての山尾悠子。

うちの本棚は本当にカオスである。
あれ?これいつ買った…?と思うような本が山とあり、読書というものを意識して、ガシガシ読もうと決意したあるときから、「勝手に」といっても言い過ぎじゃないくらい本が集まって来るようになった。
本は生き物だと私は勝手に思っているのだが…。
それで、積ん読棚には山尾悠子作品が何冊か入っていて、今回なんとなはなしに手にとって、これまた呆然と読み始めた。

「銅版」
「閑日」
「竈の秋」
「トビアス」
「青金石」

から成り立つ、連作短篇集。
初めの「銅版」で、う…これは…大丈夫だろうかと思った。
前もってレビューを読むくせのある私は、確かに山尾さんは文章が硬質ですごいというのは読んでいたが、確かに噂通りの鉱石のような文体ではあるけれど、彼女が描く物語の波がものすごく大波で、酔い始めたのだった。

必死にその場で足を踏ん張ってみても、強い波が寄せて来ては私ごとのみこもうとする、その恐ろしさに、読むのをやめてしまおうか…と思った。

そういう心持ちのまま「閑日」を読み終え、「竈の秋」に入ったが、ふと、
このまま持っていかれてもいいんではないか?と感じた瞬間、完全に物語の虜に。
たくさんの登場人物たちが頭のなかで自由自在に動き回り、泣き、笑い、罵り合い、殺し合い、そして妖艶に微笑みかけてくる。
それが、ものすごくたまらなくなって、夢中で読みふけった。

ストーリーは難解だと思う。
キーワードは「人形」と「冬眠をする人々」。
その二つは5つの短篇に幾度となく登場して、なんとなくこれらの話をつなげているかのように思うのであるが、正直言って本当につながっているのかわからない。
この本を読むには、とにかく素直に波にさらわれてしまうことにある。
いろんなことの辻褄を合わせようと頑張っていると、いつまでたっても本のなかの彼らは動いてくれないだろう。
とにかく、純粋に彼らに会いに行って欲しい。
亡霊のように彷徨いながら…。
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☆4

久しぶりの長野まゆみ作品。
相変わらず静かで綺麗。

長野さんの作品を読み始めると、なぜか自然と、頭の中の世界が水彩絵具で描かれ始める。
そのくらい、受ける印象というのが優しいのだろうなぁ。

内容は、銅貨と水蓮という男の子2人の物語。
2人は同じ学校に通う親友同士。
決してお利口さんな生徒ではないらしく、学校をサボったり、
夜にエンピツロケットを打ち上げたり、ちょっとだけ不良。
そんな2人をとりまく小さな事件の数々。

周囲の脇役たちも結構印象深い人たちが多い。
鷹彦とか、銅貨の兄のアヲイなど。

描かれてる世界観も不思議で、家族の設定が独特。
みんなが血がつながってなかったりするのだ。
バービィという、産みの母親という人がいて、兄弟といえども違うバービィから生まれているので血がつながっていないという感じ。

バービィという言葉は出てくるものの、本人は出てこない。
全編にわたって、女性は1人たりとも出てこないのだ。
それは長野さんの作品に対するこだわりなんだろうなぁと感じたりした。

銅貨と兄のアヲイの関係がについて、最後がすごく胸に響いた。

ものすごく哀愁と静謐に満ちた、不思議な世界だった。

まだまだ長野まゆみ作品は積ん読してあるので、読んでいかねば。
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★5

文句なしの★5!
とにもかくにもうっとりする。
鉱物好き、プラス長野まゆみ作品とか稲垣足穂作品とか、幻想とか耽美系が好きな人なら絶対に気に入るはずの一冊。

タイトルとおり、鉱石をなにかに見たててある。
例えば、オレンジオパールをジュレに、方解石はゼリーに、水晶は神殿に、緑簾石は苔庭に…。
そしてそれぞれに素敵な題名が添えられてある。
クリスタル神殿とかノヴァーリスに捧げる青い花とかゼリー遊戯とか。

ただただ、ページを行きつ戻りつしながら眺めるのも楽しいし、石の作品一個一個に添えられてある著者の説明文には、鉱石をモチーフにした小説の引用がされていて、それもまた嬉しい。
もちろん、長野まゆみや稲垣足穂など。

これは本当にお気に入り。
読み終わったのにいまだ、本棚にしまえず、手元において眺めたり読んだりしてはニヤニヤとしている。