俳優・戸井勝海の日記です。
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2021.4.28(水)
本来なら大千穐楽のカーテンコールが終わる頃。
朝から何時間もかけて書き続けて、やっと間に合った(笑)
今日劇場で皆様に感謝の思いをお届けできなかったので、
こちらで。
今は本来の大千穐楽の朝。
普段はこんな振り返りの文章なんか書かないんだけど、
今回は「In The Heights」が自分の中であまりに大きすぎて。。。
まとまりのない文章になりそうだけど、
あえて推敲などせず、気持ちのままに綴ります。
恐ろしく長文になりそう。
何日かに分けて読んでいただければ幸いです。
4.24の夜、「今、不思議と悔しさや寂しさはない。~悔いはみじんもなく。。。」
とツイートした。
あれは本当の気持ち。
でもあれはあくまでも演じる立場の人間としての想い。
中止公演しか観ることができなかったお客さまには、心からごめんなさい。
本当に申し訳ない気持ちと、観ていただきたかった!!
けどそれが叶わなかった悔しさでいっぱいです。
だって、この数週間で本当にすごい作品に成長できたと確信しているから。
それは僕ひとりでどうこうできることではなく、
みんなが、それぞれに作品や役と真摯に向かい合って、
誰ひとりとして途中で妥協することなく歩き続けたその結果。
お互いを信じて、発しあって、受けあって、受けたものからまた返して。。。
本当にそれを思いっきりやれるカンパニーは、正直なかなかないと思う。
1+1+1が3ではなく、6にも12にもなっていく、みんなで作るあの空気。
毎日あの空気の中にいられたことは、奇跡のようにすごい事だった。
仲間に心からの尊敬と感謝の気持ちを捧げたい。
そして日々支えてくださったバンドメンバーやスタッフさん、そして制作チーム。
役者としては与えられた中でベストを尽くすという戦い方しかできないんだけど、
制作チームはどういう場を役者たちに提供できるのかというもっともっと大きな視点での舵取り、戦いをしてくださっていた。
プレビュー公演が始まる前、僕は制作さんにひとつだけお願いをした。
それは、
「もし状況が厳しくなってきて途中で打ち切ることになるならそれはそれで仕方がない。でも、せめて、カーテンコールを終えて袖に戻ってきてから、今のが千穐楽でしたと知らされるような終わり方だけは避けてほしい。具体的にこれが最後ですなどとは言えなくてもいい。でも最後の御礼の気持ちでお客様の前に立たせてほしい。」ということでした。
制作チームの方々は僕らに隠すことなく、その時その時の現状を報告してくださった。
どんな厳しい状況なのか、そしてどんな戦い方をしているのかも。
4/24の夜の部の開演1時間ちょっと前、キャスト全員を集めて今から幕を開ける公演が最後になるのか、明日もできるのかが正直まだわからないんだというギリギリのことまで教えてくださった。
夜の部の開演15分前、制作さんと翔太の会話が漏れ聞こえてきた。翔太への質問の内容から、ラスト翔太の可能性が高いことを感じた。
そのことは誰にも言わなかったけど、幕開きから翔太の姿を、目を、飛んでくる空気を自分の中に焼き付けていった。
幕間に一斉放送で翌日でクローズすることになったとの報告。
そして迎えた翔太ベニーとニーナの最後のデュエット『When The Sun Goes Down』
着替えでほとんど見れなかったけど、二人の心の震えがそのまま空気を震わせ、劇場中に震えが伝わっていった。
着替えをしていてもそれが伝わってきた。神が降りてきたかのようだった。
走って袖に行って見た二人のハケていく後ろ姿。本当に神々しかった。
翌日のとんちゃんベニーも二人のウスナビも本当に素晴らしかった。
楽屋の片付けもすべて終わって最後に楽屋を出るとき、アミューズの小見さんやCATの江口さんをはじめ、制作チームの皆さんから、『一生懸命戦いましたが、私たちの力がどうしても及ばす、皆さんを守ることができませんでした。本当にごめんなさい。』と、頭を下げられた。
謝ることなんて何もないし、むしろものすごい戦いをしてくださって本当にありがとうございました!と、こちらが頭を下げなきゃいけないのに、
ごめんなさいって。。。
小見さんや江口さんたちのその時の顔、口調、空気、絶対に忘れない!
皆さんは僕たちを命がけで守ってくださいました!
1日だけど上演を勝ち取ってくださいました。
皆さんのお気持ちは全員に痛いほど伝わっています。
本当に本当にありがとうございました!!!
そんな感謝の気持ちしか湧いてこない日々。
これを幸せと言わずして、他に何を幸せと呼べるのだろう。
僕にそんな日々をくれたカンパニーの皆さんに心からありがとうございました!!
ここからはちょっと個人的なことを。
まだまだ続くので、疲れた方はまた明日(笑)
初めて台本を読んだとき、こんな大変な役、本当に自分にできるのだろうかと不安になった。
そのくらい、人としての生き様が、隠したくても、取り繕いたくても、
自分自身の今までの薄っぺらい人生がすべて白日の下に晒されてしまいそうで、
本当に怖かった。
初めてみんなと合流した日、みんなのものすごいエネルギーに圧倒された。
その日から弱い自分との戦いが始まった。
カミラから、ニーナからたたきつけられる台詞の数々が、
ケヴィンだけでなく、僕自身にも突き刺さっていた。
僕の人生と恐ろしいほどにカブっていた。
自分で言うのもなんだが、今回のロザリオ家はものすごいものが出来上がったんじゃないかと思っている。
それができたのは本当にみんなのおかげ。
今回僕は、ケヴィンの本当のベースの部分だけを作って稽古場に入った。
家族を持つ前のケヴィンだけ。
カミラ役の未来優希さんが投げてくれたものがケヴィンの夫の部分を創り出してくれた。
未来さんが僕を夫にしてくれた。
そして更に父親になるというのは実は結構大変で。。。
実際に自分にも子供がいるけれど、初めて対面した時は『あなたの子供』と言われても、
『へ―そうなんだ。これが俺の子供なんだ?』って感じで、父親としての実感も自覚もゼロだった。
そこから何年もかかって、子供との触れ合いややり取りを通して、少しずつ父親にしてもらったように思う。
実生活で何年もかかったことを数日でやらなきゃいけない今回は本当に大変だった。
普通の会話ならともかく、今回は腹の底から怒りも悲しみも何もかもさらけ出して怒鳴りあい、感情をむき出しでぶつけまくる関係。
他人と家族ではそのぶつけ方も絶対に違うわけで、間に合うかなと不安もあった。
でも蓋を開けてみたら、ニーナ役の田村芽実さんが稽古場も本番も毎日いろんな球を投げてくれて、
僕はただただそれをキャッチしているだけで、愛情や包容力や諸々含めて、自然に父親にしてもらえた。
僕のケヴィン・ロザリオは、間違いなくこの二人が創りあげてくれた。
ふたりなしには、僕は板の上に存在できなかった。
ハマコ!
めいめい!
本当にありがとうございました!!
そしてカンパニーの皆さん。
自分が出ていないシーンも袖から見ているだけで、たくさんのエネルギーをもらうことができて、それを持ってまた自分のシーンに出ていっていた。
基本的に一切楽屋に戻らず、着替え以外はずっと皆さんの芝居を食い入るように見ていた。
毎日毎日そんなに見ていても全く飽きさせない皆さんは本当に素晴らしかったです。
皆さんがハイツの空気を作ってくださり、その空気の中で僕はケヴィンとして安心して呼吸をすることができた。
本当にありがとうございました!
この「In The Heights」は、僕の人生を語るうえで絶対に欠かせないピースになった思う。
僕は最近、毎日のように涙が流れる。
いや、流れるという次元ではない。
溢れまくる。
なんだこれ?
そういえば前にも一度こんな時期があった。
30歳の時だ。
28年前の僕は感謝ができない人だった。人を心の底から信じることができない人だった。
自惚れて、根拠のない自信だけはある、ちょっと斜に構えてるいやな奴だった。
当時はいやな奴とも思ってなくて、子供のころにこんな大人になりたいと描いていた大人像に向かって進んでいると信じていた。
そんな僕はある現場で、僕が全く信じることができない人のことを信じ切って、「人ってすごいんだよ」と言っていた人たちの言葉が現実となった瞬間を見せつけられた。
僕は絶対に信じられなかったけど、なぜあの人たちはその人のことを、人の持つ無限の可能性を、絶対にダメでしょうという状況の中で信じ切ることができたのか。
結果はその人達の言ったとおりになった。
僕は自分のことが嫌で嫌で仕方なくなり、
自分のことが全く信じられなくなった。
何が正しくて何が間違っているのかという判断さえも、自分のことが信じられないから全然判断できなくなって、これからどうやって生きていけばいいのかまったくわからなくなった。
毎日毎日新しい嫌な自分が見えてきた。
3か月の間、僕は毎日自己嫌悪の涙を流していた。
こんな自分はもう嫌だ、こんな大人になりたかったんじゃない。
僕は、人のことを信じ抜けたあの人たちのような生き方がしたい!
心の底からそう思った。
絶対に自分は変わりたいと思った。
でもひとつ条件があった。
嫌な自分、悪い自分を消し去るのではなく、
それも自分の特性・性分だとすべて受け容れたうえで、
人を信じて人のために生きていける人になりたい。
そう決意した。
今回、稽古や本番を通して、たくさんの人たちの思いやりや愛に包んでもらった。
途中には本当にいろんなことがあって、28年前と同じような場面にも出くわした。
28年前と同じ選択をしようとしている自分に気づいて愕然として、でも今度こそあの時とは違う選択ができて、最後には僕はみんなの事を心の底から信じ切ることができた。
遂には、ケヴィンがどう見えるかなんて全くどうでもよくなって、
ただただほかの人のために芝居して、その人達が輝いて、
その人達の輝きが結果的にケヴィンを少しだけ照らしてくれたら最高だなと思えてた。
そこまで思えたのは、僕の役者生活の中で初めてだ。
毎日泣いちゃってるけど、嫌な涙は流れてなくて、「In The Heights」の間に起きたこと、感じさせてもらったことのすべてが、ただただ嬉しくて、ありがたくて、尊くて、感謝の涙が流れてる。
何日流してもそれは止(とど)まることを知らない。
28年前と同じような日々を送っているけど、
流れる涙は確実に28年前とは違う涙で、
もしかしたら28年もかかちゃったけど、
昔なりたかった大人の姿にほんの少しだけ、近づけたのかな。
だとしたら嬉しいな。
28年前の出来事は僕の人生の大きな転機となった。
あの時と同じようなことが起きている今、
きっと後になってわかるであろう僕の人生の大きな転機の真只中なのだという確信がある。
「In The Heights」のおかげで、沢山の人たちと濃い時間を過ごさせていただき、沢山の宝物をもらった。
今は只々感謝しかない。
ありがとうございました!!!!
何度言っても言い足りない!
ありがとうございました!!!!!!
いつかまた必ずこのホームに戻ってきたい!!
そして戻ってこられたなら、その時こそ皆さんにしっかりと恩返しできるように、
今日から、役者としてもそれ以前のひとりの男としても、
しっかりと地に足をつけて自分の心を磨いて参ります。
本当にありがとうございました!!!
こんな恐ろしいほどの長文を最後まで読んでくださってありがとうございました。
また皆さまと元気に笑顔でお目にかかれる日が来ることを切に祈っております。
その日までどうかお元気でお過ごしください。
PACIENCIA Y FE!!!!
30年近く前、
ぼろアパートの、トイレもなく窓もちゃんと閉まらない一室で、
チャンネルをガチャガチャ回していてふと目にとまった番組。
舞台中継だった。
芝居かと思ってみていたら急に歌が始まった。
♪ブレーンド♪とか言ってて、
いつの間にかまた芝居になってて、
気づいたら嗚咽していた自分。
嫌いだったミュージカルを認めた瞬間だった。
こんなにも自然に歌と芝居が両立している、というよりも、芝居が膨らんで歌になり、また芝居に戻っている!
これがミュージカルというものならば、機会があればいつかやってもいいなと思った。
この思いがあったからこそ、97年のレミゼのオーディションを受けることになったのだった。
そんな自分の人生を変えてくれたテレビ番組。
そこでやっていた演目。
耳にこびりついている裕子さんの声。
新聞をとっていなかったから本屋に行ってテレビ雑誌を立ち読みして、作品名と主演の方の名前を調べた。
自分にすごい影響を与えてくれた作品なのに、
未だに客席でちゃんと観たことはなかった。
一度だけテレビで、しかも途中からしか観たことがなかった。
クリエでの公演もあっという間に完売。
半分諦めかけていたけど、なんとか昨日観ることができた。
普段劇場前でこんな写真なんて撮らないのに、何の迷いもなく撮ってた。
公演が始まってもしばらくは、本当に初めて観ることばかり。
あぁ、こんなお話だったんだ、こんな前提だったんだと今更ながらにいちいち納得しながら観てたんだけど、
2幕の頭で突然きた♪ブレーンド♪
こんな状況で出てきた歌だったんだっけ💦💦
一瞬で30年近く前がフラッシュバックして、
いきなりマスクの中が鼻水だらけ。
メガネは曇って真っ白。
あの頃の自分はなにかを抱えていて、
そこにこの ♪ブレーンド♪が突き刺さってきたんだなぁ。
きっとあの時の僕はこの♪ブレーンド♪に知らないうちに助けられてたんだろうな。
なにを抱えていたのか全く思い出せないけど、
とにかくあの時僕の心の奥を思いっきり揺さぶった♪ブレーンド♪の衝撃ははっきりと蘇った。
その後ももう釘付けのまんま、あっという間に終演。
裕子さんが一節だけ歌ってくださった佳代のフレーズでまたまた嗚咽と痙攣💦
役者として歩んできて、
昨日また、新たなふたつめの自分の原点を作らせていただいたような気がしている。
今この作品をやってくださってありがとうございました。
そして、当時の出演者の方々も客席におられましたが、
ゼロからこの作品を作ってくださった当時の音楽座の皆さんに心から感謝です。
そのおかげで僕は今役者として歩んでいられます。
Twitterではとてもじゃないけど収まらず、
久しぶりにブログに書き込んだけど、
本当にこの文章でいいのか、表現が変なところもあるんじゃないかとかも思ったけども、
でもやっぱり変に推敲したりせず、
思いのままに書いた文章をそのままアップさせていただくことにしました😅