先日、NHKでドナルドトランプの特集番組を行っていました。特にトランプ現象に強い興味を持っているというワケでもないのですが、なんとなく番組を見ながら思ったことをアレコレ書いてみようと思います。

 

番組中で特に中心的に取り上げられていたのがトランプの暴言と排外主義と、さらにそのような対外強硬的な排外主義が世界的に流行していく過程です。番組中では、デモ活動や、ネット上の書き込みで「俺はアメリカ人だ!!お前ら移民はここから出ていけ!!」などと主張するシーンを取り上げていたのですが、まあ、ネットがなければおおよそこのような排外主義的な発言が支持されるような可能性は低かったのではないかと思います。

 

もちろん、ナチスなどの反ユダヤ主義的主張が国家的な政策目標となった過去の経験もあることから、必ずしも極端な排外主義的な志向がネット以前の時代にはなかったのかというと、当然そうとも言い切れないのですが。ただ、それでもやはり現在においては、排外主義的な主張や日本でいえばネトウヨ的な主張というものは特に主にインターネット上で支持を得ているという現実もあります。まあ、少し以前であれば、ネット以外で「朝鮮人は日本から出ていけー!!」などと叫ぶ人間はほとんどキチガイ扱いされるか、せいぜい良くても腫れ物を扱うような感覚で扱われていたであろうなどということもあり、なかなかそのような主張を表立って行うことは出来なかったのですが、ネット上であれば、特にTwitterなどを中心に過激な排外主義的主張を簡単に表明することが可能で、尚且つ共感してくれるフォロワーなどを簡単に見つけることも出来ます。

 

また、情報収集に関しても同様です。適菜収さんは『日本をダメにしたB層の研究』という本の中で陰謀論にハマっていく人々のメンタリティについて次のように解説しています。

 

ネットの情報は玉石混交です。正確に言えば、ほとんどゴミです。
逆に言えば自分の世界観を補強してくれる情報を簡単に集めることができる。
B層が求めているものは《一貫性》です。
都合のいい情報をネットで集めることにより、万能感、自己肯定感が高まっていく。
つまり、情報化が情報弱者を生み出しているのです。
過剰な情報により、世界がますます狭くなり、情報から遮断されていく。
こうした動向が社会のB層化を押し進めています。
B層は、自分の世界観をあたたかく包んでくれるものしか受け付けない。
それが目的化しているので、都合の悪い情報は入ってきません。そこで必然的に発生する矛盾は、陰謀論に回収させるというわけです。

 

つまり、ネットの世界ではどんな馬鹿げた排外主義的主張を行おうが、陰謀論にハマり込もうが、それを肯定して暖かく包み込んでいく世界が存在しているワケなんですね。もちろん、情報の多様化自体は悪いことではないかもしれませんが、このような状況においては、あらゆる情報が相対化されると同時に、しっかりとした科学的根拠に基づいた情報や高度な思想や哲学的議論と、下らない与太話や陰謀論が等価値の情報として並置されます。おまけに、現在においてはおおよそ教養というものはほとんど全く無価値な無用の長物とみなされつつあるということもあり、多くの人々がほとんど基本的な歴史や思想、哲学あるいは論理的思考様式等を全く身に着けないままにネトウヨ的な過剰な日本礼賛や非現実的な自己愛的歴史観や、トンデモな陰謀論やデタラメな健康情報などに直に晒されることになります。

 

おまけに、先に述べたように、情報のアウトプットにおいてもどんな馬鹿げた下らない主張でもそれを支持して共鳴してくれる人間が一定する存在する。ここで何が起るのかと言えば、ひとたびおかしな考えやイデオロギーに囚われれば、その後は一方でひたすらバランスを欠いた偏った情報を発信し、仲間やフォロワーを集めながら、他方でどんどん偏った情報をインプットすることで、インプットとアウトプットを繰り返しながらオカシな思い込みや信念を強化していく・・・行き着く先は、統合失調症の発症か適菜収さんが言うところの「濃縮されたバカ」の誕生です。

 

今まではリアルで嫌韓・嫌中的な排外主義的主張を行えばほとんどキチガイ扱いされていたので、まずはネット上でそのような排外主義的主張が流行しました。ただ、それもおそらくは過去の話で、現在ではその段階を飛び越えてリアルの世界でも非常に多くの人々がまるで苦手な食べ物について語ったりするのと同じくらいの気楽さで「韓国人は嫌いだ」だの「中国人は出て行って欲しい」などと言うことが可能になっています。

 

このような現象が日本だけでなく、アメリカやヨーロッパでも同時発生しているというのが現在の先進国の状況でしょう。

 

もちろん、これだけグローバル化が進展していく中で先進各国に大きな混乱状況をもたらしている状況で、トランプのような人間が出現して保護主義と自国最優先を唱えることは、一種のソーシャルプロテクションであり、ある意味において健全な防御反応であると見ることも可能でしょう。ただし、その保護のやり方があまりにも稚拙なのではないか?つまり、その防御反応があまりにも密接に安易なポピュリズムと政治的プロパガンダに結び付きすぎているのではないか?というのが私の懸念です。

 

 

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