今回はワリと軽めの内容で・・・(タイトルはなんとなく重いですがw)。

 

先日、なんとなく古市憲寿氏が以前書いた『絶望の国の幸福な若者たち』という本で書かれている内容について、ふと思ったことをツイートしたのでなんとなくツイート内容をまとめつつ、アレコレ書いてみたいと思います。

 

以前は、古市憲寿の『絶望の国の幸福な若者たち』で描かれてた「ユニクロとH&Mとマクドナルドがあって、you tube をみてskype をし、ニトリとIKEAで家具、友達と楽しく鍋」的幸福(だけど貧乏)な若者像をボロカスに批判してたのですが、最近思うのは確かに案外こういう若者はそれなりにいるということ。

 

そもそも、年功序列である日本社会では、少し前の景気が良かった時代であっても新卒からいきなり高い給料をもらえたワケでもなく、案外20代の頃は景気が良かった時期でもそんなに自由に使えるお金は多くなかったのかもしれない。一方で、ネットの普及などでお金を使わずに楽しむ方法は増えているワケで、確かに「今、この瞬間」という一点を切り取るならば、若者の幸福度というものが案外高いというのもうなずけなくもない気はします(;'∀')

 

で、まあ見方によってはあまりにも無気力で自己充足的な満足感に満たされたこういう状況に対して、「もっと大きな志を持て!!」「理想を掲げよ!!」と何か偉そうに説教したくなる気持ちは分からなくもないのですが、一方で、過去記事(『高齢者の現状肯定と現行システムの強靭性について』『安倍政権「海外メディア」にも圧力かけるもドイツ紙記者が怒りの暴露・・・( ̄▽ ̄;)』)にも何度か書きましたが、現在は人口分布上政治的な主導権は明らかに高齢者層が握っていて、選挙を通じて民主的プロセスを経て若者が政治や社会を変革することは実質的に不可能です。なので今若者に「今こそ立ち上がって社会変革に乗り出すべし!!」と発破をかけるのはテロリストになれと言うに等しい。

 

「社会変革が無理なら起業しろ!!」とか意識高い系っぽいことを言ってみても、そもそもデフレで市場は収縮してるし、金持ってるのは年寄りで若くして起業しようにも元手はないし、せいぜい一攫千金でユーチューバーくらいしかないですからね(笑)

 

そういう意味で、将来の夢はユーチューバーな小学生はある意味で現実が見えてるのかも・・・というのは冗談にしても、社会変革は無理、起業も無理という現実の中で、とりあえずYouTube見てTwitterやらlineやらで友達とコミュニケーション取って、ついでに週末にはささやかな飲み会やパーティーを楽しんでってのは現実的な選択肢なのかもしれません。というか、それ以外に現実的に満足できるような選択肢がないっていう。

 

まあ、それに文句を言うようなオッサン世代だって大抵はチャンスがゴロゴロ転がってた時代にサラリーマンの安定した地位にしがみついて生きてきたワケで、現在現実的な選択をしてきてる若者に偉そうに上から目線で説教垂れる資格があるのか?という問題もありますよね・・・( ̄▽ ̄;)

 

こう考えると、「日本死ね」の人たちとか、シールズの左翼運動というのも、あまりイデオロギー的に「左翼的な運動だ!!」と決めつけるのもどうかというところもあって、案外彼らのやってることも、現在身の回りにあって当たり前のように享受しているささやかや幸福を維持するという極めて真っ当で保守的な心情から出てきているのかもしれない(もちろん、そういった素朴な心情を利用してイデオロギー闘争や粗野な政治運動に巻き込もうとする不埒な輩は必ず存在するワケですが)。

 

まあ、仮に現在の左翼的な運動というのが積極的な社会変革を求めるものではなく、むしろ現在すでに存在している素朴な幸福や安全を守っていこうという穏健かつ保守的な心情から発したものであるとするなら、むしろ、「教育勅語の復活で道義国家を!!」とか言っている右派よりもよほど好感が持てるように思います。

 

何かネットやテレビなどを見ていると、過激な右派思想を掲げたりあまりにも教条主義的なテンプレ保守的な人物ばかりが目立ったり、あるいは逆に政治運動や政治的な発言を行う自己に酔いしれる自己陶酔的な左派の連中ばかりが目立ってしまう面はあるのですが、何かこう社会をまともにしていくにはこのような両極にあるような過激な主張、ノイズのようなものを排除して、もう少し穏健かつ、現在の身の回りにある地域社会や幸福の在り方を重視するという素朴な意味において保守的な中道右派中道左派の緩やかな連合のようなものが築ければ良いのかなという気がします。

 

確かに、ネットなどで誰でも気軽に情報発信できるようになった時代にあって、中道的な意見は注目される洪水のような情報の中に埋もれてかき消され、極端で過激な意見ばかりが目を引きがちではありますが、一方でそのような過激な主張は「ノイジーマイノリティーの意見であって決して多数派ではない」という見方もあります。ならば、何らかの方法でサイレントマジョリティーである穏健で中道的な意見を上手く吸い上げて政治的意思決定に反映させられるような回路をなんとか作り上げていければ何かバランスのとれた良い方向に向かっていくのではないか?というような気もします。まあ、もっともそれがどのような方法であるかは全く想像もつかないのではありますが・・・。

 

 

 

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