皆様こんにちは

今日はゆだかおり個人としての投稿です。

3.11から丸5年が経ちましたね。

ここ数日、あの日のことをどう考えるのか、私自身がどう考えているのか、どう書こうか、または何も書かずにいるのか。

ぐるぐると考えておりました。

だけど答えなんか出るわけがなく、「何も書かず」ではなく、「何も書けない」が正解で。

では沈黙するのか。

それは卑怯ではないか?と感じ、ブログに向かうとともに、記憶の深淵を覗いてみたいと思う。

あの日。

私はお仕事中で、最初は「あ、地震」くらいにしか思わず、だけど次第に大きくうねる地面に自然の本性のようなものを感じた。

そして、今だ脳裏に焼き付くあの映像とともに、とんでもないことが今起こっているのだと、はっきりと理解した。

だけどそれは始まりに過ぎず、徐々に明らかにされる情報に、震えを隠しながら冷静に振舞ったのを覚えている。

私が冷静に振る舞えば、周りも落ち着くかな?と。

でも私のそんな小さな企みなど、自然はいとも簡単に乗り越える。

自然とは、どこまでも容赦なく、どこまでも残忍になれるのだ。


主人や家族、友人が無事と分かったあと、あの不安がやってきた。

私の一族はほぼ秋田にいるが、叔母一家だけ仙台にいる。

全く連絡がとれないまま、仙台市内だから、ということだけにすがっていた数日。

連絡がとれた時は涙が出た。

いとこの、「停電で真っ暗だけど、おかげで星がすっごい綺麗だよ」の言葉に、東京の私たちの方が救われた。

自然は希望を奪うが、希望を与えるのも自然なのだ。

極限の状態で、その美しさに気付ける人間はいるのか?

自然は人間を試すのではないか?


その秋、父が亡くなった。

もちろん震災とは関係なく肺炎で亡くなったのだが、私にとっては「死」というものが遠いいつかの未来ではなく、すぐ隣に、しかも誰一人として例外なくすぐ隣にあるものなのだと理解した。

そして希望は、優しいふりをして人をそこから動けなくする、ということも。


ならば向き合うしか、共存するしかないではないか。


誰一人として抗えない強大な力の前で、皆平等に有限の時を刻むのならば、恐怖を覗き込み、それを迎え、それと共にあるという覚悟を持って、自分の時間を歩むしかないのではあるまいか。

昨年、今なお続くある出来事により、自分の無力さに打ちのめされながら、それでも気付いたことがある。


人は本当に悲しい時、傷ついた時、記憶の深淵にそれを閉じ込める。

そして閉じ込めたこと自体を、さらなる深淵に閉じ込める。

するとついには乗り越えたと錯覚する。

私たちにできることは、錯覚させないように、語りかけ続けること。

相手にも、自分にも。

向き合うことは、本人にしかできないのだから。。



あの日から5年。
心より、御冥福をお祈り申し上げます。