耳介が脳の放熱機関だという視点 



 ゾウの耳をはじめ動物の耳は、放熱という重要な仕事をしている。翻って人間の耳に鍼をするために毎日観察していると、やはり人間の耳も放熱の役割があるのではないかと思えてくる。 


 生命の活動は熱である。物を食べ消化することも、ものを考えて思考することも、全て熱を生ずる。そうした胃腸からの熱と、脳からの熱が、耳を通して放出されているのではないかと思えてくる。 


 耳介へ伸びる神経は、まさに内臓の情報を伝達する脳神経と脳の中枢を結んでいる。 臨床の場で聞く胃腸の状態や体の症状と、耳介に現れている反応は、非常に分かりやすくリンクしていることが観察される。


脳の疾患も含め、多くの疾患の原因が熱が関わっていることから考えても、耳介からの放熱は大きな意味を持つように思える。


 耳を動かせる人も割合多いだろう。動物の頃にあった機能が失われずに、今も密かに使われている。その一つが耳介の放熱だろう。頭を冷やすと言うが、脳を冷ますのは、耳が一番いい。




重要なことは、耳介鍼の効果を高めるために、体の滞りをいかに無くしておくか



中谷式耳介画像鍼治療では、耳介に円皮鍼(商品名パイオネックス)と、粒鍼(商品名コリスポ・樹脂製、マグレイン・金属製)と、短鍼を使い分けいる。それぞれ特徴があり、また問題点もある。


詳細はいずれまた別に書くとするが一つだけ、粒鍼は、決して体(耳介)に傷をつけないというものではなく、ある程度の鍼痕が残る。


写真をのせるので、どれくらいの痕が残るのか、確認してもらいたい。というのも、鍼灸の資格がなくても施術できるものとして、粒鍼が使われているが、その根拠として体に害を与えたり、傷つけないからということになっている。最近は一般に向けて販売されているが、痕が残って問題にならなければいいなと思っている。


本題に戻ろう。耳介鍼をしていると、それぞれの鍼で効果のピークが来るまでの時間が違うことをよく経験する。ただ、効果が出てからは、その後だいたい4日目くらいから徐々に効果が減弱してくる感じがある。


その効果が減弱してきた時に、太極拳などの体を動かす運動を行ってもらうと、また効果が復活してくる。


これはおそらく、体の知覚受容器が刺激に慣れて、そこに鍼があることを受け入れて、調和させてしまった現象だと考えている。


つまり、それは体自体が行う『和法』というホメオシタシスの働きということだ。


その様な状態になった時、体を動かしてもらうと、あ、やっぱりそこに何かあるな、と再び気づいてくれる感じなのだ。


実は、米軍方式の耳介鍼でも、8割がた効果があるが、残りは体の他の部位を刺激することで効果が出てくる。また耳介鍼直後に歩かせると効果が高まる。と言っている。私も同意見だ。治療後、帰り道の途中に急激に効果が出てくるのは、よくある現象だ。


私の耳介鍼の恩師、坂下孝則博士も歯科麻酔時に同様のことを述べられ、鍼をしてから脳内の鎮痛物質が血流に乗って全身を巡り、作用するまでのタイムラグがあると教わった。


ここで重要なことは、耳介鍼の効果を高めるために、体の滞りをいかに無くしておくか、つまり全身の血流が巡りやすい状態にしておくかにかかっているということだ。


まさに、本治法と標治法の関係のようで、本を効かせるためには、標をどう処理しておくか、そこが重要なのだといえる。


写真は、粒鍼を貼って1週間後にはがして、2週間経過した後の撮影。

 




これこそが、長生きの秘訣なのではないかと思えるのです


 


太極拳のお教室の皆さんと、NHKのTVであった高齢者施設の方々の話になりました。90歳を越えてお元気で、耳も目も足も達者で暮らしている姿に、何がいいのだろう?と


あれこれ話をしているうちに、「結局、あれよ、楽しくお友達たちと、わいわい暮らしているのが一番なんじゃない」ということに落ち着いて、そのTVに出ていた90代同士のカップルの言葉に感心したのでした。


それは90代にして、生涯のパートナーに出会った。というものでした。それこそ人生に、遅いということはないのかも知れません。お教室の皆さんは、楽しそうに皆で話しながら、お稽古できる喜びを口々にしています。


これから、生涯のパートナーに出会うかも知れませんよ、そんな私の言葉に爆笑しながら、お稽古を終えました。


先生が明るい色着なさいって言うから、先生がお化粧しなさいって言うからと、わはは笑いながら明るい色のシャツを着て、明るいお化粧をして、お稽古に来てくださいます。


食べ物は、なんでも長生きの薬、ありがたく好きなもの食べてれば、いつまでも元気で長生き。そうですよね先生、ってまた、わはは、と笑って太極拳をしています。


この人たちと、毎週お稽古ができる私は、なんと幸せなのでしょう。年をとるほどに、素直になって学び、楽しみとともに過ごすことができる人の、なんと素晴らしいことか。


これこそが、長生きの秘訣なのではないかと思えるのです。太極拳をやってきて、こころからよかった。




たくさんやってもらったので、好転反応が出てよかった。ということには、ならないわけです




例えばニオイ。はじめは、くさい、と思っていても、時間とともに、感じなくなります。臭いに慣れて、そのことを意識しなくなってしまいます。そうした能力は、生命が様々な環境の中で繁栄するために、なくてはならない重要な能力だと言うことができるかもしれません。


つまり、こういうことになります。病気になった期間が長ければ長いほど、身体はその状態で安定していて、それを変えようとすると、抵抗するような様子を見せるのです。身体にとって、治療による変化は、安定を崩す新たな刺激、として受け止めている可能性があるのです。

自然治癒力と言うと、なんだか、やさしさに満ち溢れた、ほんわか温かいようなイメージをしそうですが、自然の調整とは、そんな、生易しいものでは、ないようです。骨や筋肉、内臓を動かして、脳すら形を変えてしまうほどの、強烈なものなのかも知れません。

身体を思い通りに動かすことと、身体が思い通りに動くことは、似ているようでも、大きな違いがあります。どうしたら、自然の能力をフル活用できるのか、考えなくては、なりません。一つ、確実に言えることは、安易に自然の肩代わりをしようとしてはいけない。ということでしょうか。

さて、最後に付け加えるとすれば、世に言うところの、好転反応と呼ばれている多くの現象が、実は、ただのやり過ぎ、刺激過多だと言うことです。簡単に言うと、温泉に行って、入り過ぎて、湯あたりした時と同じです。そういうのを、温泉の効能とは言いません。

要するに、たくさんやってもらったので、好転反応が出てよかった。ということには、ならないわけです。むしろ全く逆で、自然の力による好転反応を出すためには、ごく短い時間の軽い刺激の方が、どうやらいいようです。足りないくらいでちょうどいい。やり過ぎも、食べ過ぎくらいよくありません。

季節の変わり目になると古傷が痛む



寒くなったり、湿気が多くなると、昔手術した後がズキズキするとか、もうとっくの昔に治っているはずの古い傷や打撲の跡が、まだ治っていないかのように、痛んでくることがあります。こういうのを、その場所にふる血がたまっていると言うことがあります。


イメージ的には、昔痛めた悪いものが、まだそこに残っているような感じがしますが、実際は何もありません。ではいったい何がそこに残っているのでしょう。もちろん傷はもう治っていますので肉体的な問題ではなさそうです。そこで考えられる一つの可能性として、傷の記憶、が保存されているのではと

前回、細胞の一つ一つが、まるで意識があるかのように振る舞い情報を記憶しているようだという話をしました。つまり、痛めた個所には記憶だけが残っている、ということになりそうです。その情報を脳と身体全体の細胞で共有しているのかも知れません。それが環境の変化に応じて話し合いした結果が、

ただこれは、単に痛みの思い出だけということではありません。記憶に残っているということは、その分の意識を割り当てるということです。初めて痛めた時と同じくらいエネルギーを消耗し続けてしまいます。例えば腰痛。原因の80%が不明であり過去の記憶にに多分に左右されることが知られています。

たまたま今の感情と、腰痛の記憶がリンクしてしまうと、たいして動いていないのに、まるで今痛めたように強烈な痛みがよみがえってくるわけです。何度も繰り返す痛みが、記憶だとしたら、どうすればいいのでしょう。その答えは単純、そこはもう治っているということを理解してもらえばいいのです。

例えば、ふる血がたまるっていうことは、そういうことです。机の角に足をぶつけたりすると、あざができますね。皮膚にできる紫色のやつです。静脈の血液が皮膚の下に漏れ出して、うっ滞してしてしまっているために、そこに血液の色がとどまって見えているものです。それが消えても記憶が残るわけです

便を出すという行為は生命の本質なのです。放熱から見えてくる治療の姿


自然な状態で迎えた死では、排便と排尿を済ませてから、この世を旅立っていきます。身体は命を支えるのに必要な水と栄養を最後まで使いきった後、最終的に余ったものを綺麗に排泄して天に帰っていきます。生まれてすぐに胎便を出し、死ぬ前にも排便をします。便を出すという行為は生命の本質なのです。

身体が機械のように、金属疲労をおこさずに、ずっと使い続けられるのは、常に細胞が入れ替わっているというのもありますが、もう一つ重要な要素として、溜まった余分な熱を外に捨て続けることができるからです。この余分な熱を捨てる働きが排便と排尿です。熱を出した時にする浣腸の働きのことです。

五臓六腑という言葉は、なにもかもがお腹の中にある。という意味です。大昔から排便の良し悪しが、生き物の健康度を左右しているということに気がついていたのでしょう。身体の内部がオーバーヒートしてしまわないように便をたくさん出すことが必要です。身体をよく動かす人ほど大きな便をしないと

日本とアメリカが戦争していた時、アメリカは便の量を調べることで、日本の兵力を知ろうとしました。その時便の量から換算してかなりの日本兵が潜伏してるとみましたが、実際は、ほんの数名で戦っていたのです。そうです、日本の兵隊さんは、大量の便をして、アメリカ軍の何倍もの働きをしていたのです。

当時の米飯中心の食事は、大量の炭水化物によって大量の便が出ていたのです。炭水化物は便の量を増やします。これが体内に入った様々な物質を排泄する役割をしていました。毎日身体を見ているとあることに気がつきます。それは年配になるほど肌が綺麗なのです。たくさん便をしていた世代です。

この地球はある一つの種族に占有されて、そこに生きる全ての生命が支配されています。それらの生命の主な役割は、その種族の為に養分(便)を作ることです。様々な生命が誕生しては消えていったわけはたった一つ。その種族に都合の良い行動ができるかどうか、それだけです。それが植物と動物の関係です。

これがお腹の周りに脂肪が付く理由なのですね。皮下脂肪でコーティングしているわけです


 

 

さて、このように身体が冷えることはとても問題があるわけですが、ただ温めれば解決するかと言うと、そう簡単にいかないこともあります。身体が温まりにくい状態というのがあります。


これは皮下脂肪がこれにかかわっています。皮下脂肪がたくさんついてしまうとか、悩みの種になっていますが、この脂肪自体はどうも断熱材の働きをしているようです。


これまで話してきたように、副交感神経を使って内臓を働かせて食べ物をエネルギーに変えていくためには、熱が必要になります。お腹が冷えていては困るわけです。つまり、お腹が冷えないように周りを断熱材で保温しているわけです。


これがお腹の周りに脂肪が付く理由なのですね。皮下脂肪でコーティングしているわけです。これはお湯を入れるポットも同じ構造をしています。表面をコーティングして熱が逃げないようにしています。


今のものはおそらく性能が良くなっているのでそんなことはないと思いますが、昔のポットは、表のつるつるしているコーティングを剥がしてしまうと熱が全部逃げちゃいました。随分前のことですが、ポットが汚れていたので金タワシで表面をこすりました。


それで「あー落ちる落ちる」なんて言っていたら、表面のスベスベしたコーティングがなくなってザラザラになっちゃいました。そのザラザラを触ってみるとポカポカ温かくなっているんです。


今まで冷たかっポットの表面が、なんか温かいなーと思っていたら中のお湯が冷たくなっていました。これってそういう役割なのかと初めてわかったのですけれども、熱を逃がさないようにしていたわけです。


ということは、身体の場合、コーティングして保温する必要が無くなれば、断熱材もいらなくなるわけです。ですから断熱材を取りたかったら、身体の中を温かくすればいい、ということがわかります。


その反対に、身体は冷えていたり、さらに冷やすようなことが重なっていけば、断熱材は増していくことになります。もう一つ、断熱材というのはとても厄介なことに、熱を逃がさないのと同時に、外からの熱も伝わりにくいということもあるのです。


外からいくら温めても中々温まりません。その上、身体というのは冷やされるとそれに対応して、熱を起こす反応が起こります。身体が冷えているから脂肪でコーティングする。脂肪があるから熱がこもる。すると身体の中が熱くなるから冷たいもので冷やす。さらに脂肪でコーティングされる。


これが冷えと脂肪の悪循環です。この循環を断ち切るためには放熱のルートを確保しつつ、大きい熱源でポイントをついて繰り返し身体を温めていくしかありません。

 

2019年講座、意識と生命の意味より