ニューヨーク物語(補足話) | 鬼ですけど…それが何か?

鬼ですけど…それが何か?

振付師KAZUMI-BOYのブログ


私は、ニューヨークで「シャザーム」の仕事を得てからと言うもの、毎日のファッションに拘り始めた。


金の心配が無くなり、気持ちに余裕が出来、同時に周りを見る余裕が出来たと言う事であろう。


街を歩いていても


「わ!あの人カッコいいな!」とか


「あの服、素敵だなぁ!」と言った具合に、ニューヨーカー達のファッションが気になる様になった。


しかし、私は東洋人。


似合う物が限られている様にも思えた。


得てして、自分の好む格好が必ずしも、自分に似合うかどうかは別問題であったりする。


では!自分が好む物の中で、自分に似合う物とは一体何か!?


私はそんな事を考える様になった。


そして、いつも「許される範囲ギリギリ」を狙っていた様に思う。


これは、このニューヨークと言う街で、可能な限りとんがっていたい!と言う気持ちの表れではなかったか?と思う。



以前、記事にも書いたが、私は「脱!日本人!」を目指して肌を焼き、国籍不明者に挑戦するが、ここから始まり、日本人らしい「おとなしいファッション」をことごとく嫌った。


ある日は、ディップでオールバックに髪を撫でつけ、全開になった額に大きな赤いジルコニアを貼り付けてみたり、長く伸ばした髪をポニーテールに結ったり、果ては化粧もし始めた。


シャザームの七つ道具の一つ、最も重要なアイテムであるメイク道具を使い、毎日のクラスでもメイクをしていたくらいである。


そして、ニューヨークであけたピアス。


私はこのピアスにも毎日拘った。


現在は流石に着用していないが、当時の私が愛用していたピアスの幾つかは、いまだ手元に取ってある。



鬼ですけど…それが何か?


左端の鍵のピアスは、私が初めて買った物である。


一番気に入っていたのは、右端の牙の様な物。


黒い肌に白いパールのシャドウを眼の下に引き、同じく白いパールのリップスティックで唇を塗り、この牙を装着するのが好きだった。


ダニエルは「ヴードゥーメイク」と呼んで面白がっていた(笑)。



鬼ですけど…それが何か?


本編の中で個性について悩む「私」は、こうした毎日の行動やファッションが、ダニエルに個性的に捉えられているなどとは、夢にも思っていなかった。


何故ならば、そこら中に魅力的な人間が存在し、キラキラと輝いていたので、周囲から見れば、自分などは目の端にも止まらない存在の様に思えていたからである。


そして、そうした人達に少しでも追いつきたい一心、無我夢中だったからである。




突っ走っている最中には、分からない事、気付かない事が沢山ある。


周りの景色、走っている速度、走って来た距離・・・。




ニューヨークで生きる為に、いつも「背水の陣」だった私は、ダニエルに助言を受けるまで、自分自身を把握出来ずにいた様である。


それは、当時の私の中で「踊る事」が特別過ぎるものであり、日常生活の中にありながらも「日々の私自身」から、かけ離れた所に祭っていたからだろうと思う。


「踊る事」は特別な事、それに対して自分はあまりにも未熟。


その隙間を「何か」で埋めようと必死だったのかも知れない。



鬼ですけど…それが何か?


不安材料が散漫する中、そこから目を逸らす様に、また「自分の踊りには個性が無い」と思い込んでいた私は、その不満を埋める為に「キテレツな格好」を好んだのかも知れない。


自信の無さを隠す「隠れ蓑」みたいなものか。


そして、その自覚が心の中にあった為、ダニエルにファッションの事に触れられた際に解せない思いに駆られたのだろう。


『こんなモノ、個性でも何でもない!ただのフェイクだ!』


そんな風に思ったのである。



本編の私は、ダニエルに諭されて安眠しているが、それは、こうした心の「脱皮」が成功したからに他ならない。


そしてその成功は、勿論ダニエルのお陰である。




光輝く物、眩しい人々を見つめる内に自分を見失いかけた本編中の私。


しかし、自分を見失いかける程に「まばゆいもの」を見て来た事実も、大切な「宝物」になる事にはまだ気づいていない・・・。