人間誰しも、一つや二つは自分にコンプレックスを持っている物である。
容姿であったり、性格的、内面的な事であったり、様々な部分に人はコンプレックスを抱いているものと思う。
そして時には、他人から見れば、とてもコンプレックスを抱くに足りないと思う様な些細な事が、当人に取っては非常に神経質に大袈裟な程にマイナス要素として考えており、まさか、まさかのコンプレックスだったりもする。
さて…
日頃から私は…
「ダンスを学ぶと言う事は『自分のコンプレックスを学ぶ事』である。」
と考えているのだが、私のクラスを受けに来る生徒達の多くは、この事に気付いていない様だ。
「やれ太った!」だの「やれ痩せた!」だの言う事には過敏でも、手を長く見せる、首を長く見せる、身体をしなやかに見せる…等々、肝心な部分には鈍感。
私に言わせれば…
太った痩せたなどと言う事はコンプレックスにはなり得ない。
何故ならば、そんな事は自分で如何様にもコントロール出来る事であり、ダンスを続けて行くならば、それをコントロールする事は当たり前…いや…それ以前の『前提』である。
もっと…
もはやどうにも変えようの無い現実を直視すべきだ。
成人を過ぎて、身体の成長が止まり、首も手足も、長さそのものは変わらない。
顔や頭の大きさも変わらない。
嫌でも、仕方の無い現実である。
ダンスの上達は、こうした『変えようの無い現実』と向き合う事無くしてはあり得ない。
ダンスを楽しむ事は、勿論大事であるが、本当の『ダンスの楽しみ』は、コンプレックスとの対峙無しには訪れない。
私の生徒達には、もっと真剣に自分のコンプレックスと向き合って貰いたいと思う。
毎日、毎日、スタジオの大きな鏡に全身を映しているにも関わらず、自身のコンプレックスを見つめずにいては、時間も金も勿体無い。
もっとも…
最近は、コンプレックスを持たない連中も多い様である。
若い連中は、昔の人間に比べ、手足も長く、顔も小さい。
コンプレックスが無いと言うのは大変結構な事である。
しかし、それならそれで、自分の利点として大いに活かすべきだろうと思うのだが、その努力も見えない連中が多い。
コンプレックスがあるならあるなりに、無いなら無いなりに、鏡に映る自分と対話すべきだろう。
また、私にそのコンプレックスを指摘されたならば、もっと悔しがって然るべきである。
照れ隠しにヘラヘラと笑っている場合ではない。
コンプレックスは、消す事は出来なくとも、気にしなくなる事は出来る。
それは『諦める事』によってではなく、『隠す技術を身に付ける事』によって…と言う意味でである。
ダンスはそれを可能にする。
いい意味で、人と比べ、正しく自分のコンプレックスを認める事は、やがて自信に繋がり、輝きに変わる筈である。
諦めた人間、見ないふりをしている人間、鈍感な人間に輝きは決して宿る事は無い。
コンプレックスと戦うのに、年齢は関係無い。
私のクラスを受けに来るのであれば、是非、輝きを手にして欲しい。
切実にそう思う。
「あたし…コンプレックスの塊だからなぁ(笑)!」
などと嬉しそうに周囲に話している場合ではないぞ!
ヘラヘラと笑って話せる物など、コンプレックスではない。
そんな物は言い訳に過ぎない。
因みに私は、例えどんなに近しい間柄の人間であっても、自分のコンプレックスを打ち明けた事は無い。
黙って隠す!
人知れず隠す努力をする!
自分のコンプレックスなど、人にひけらかすなど、まっぴら御免こうむりたい!