「あなたは経営者ですか?」


以前講演会の懇親会で、ある経営コンサルタントの方に問われたことです。


もちろん僕は会社など経営したことはありません。


答えは「No」


すると「あなたの人生の経営は誰がしていますか?」と問われました。


つまり全ての人が「経営者」だと気付いた話。


「経営者」とは決断し責任を負う人。


その「決めること」「責任」を放棄し人任せにしてしまったら…


僕の肌感覚では、そんな人たちが多い感じがします。


そんな生き方をしていたら自由を放棄しているのと一緒。


誰かに色々と決めてもらって従う人生は楽かもしてませんが、そんな人生はただ息をしているだけで「生きている」とは思わない。


ただ「自由」といっても、これも肌感覚で「自由=自分勝手」と勘違いしている人も多い。


責任感もなくルールも守らないのに「自由」を主張して好き勝手やっている人たちが目立つ。


「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」(二宮尊徳)



そういったものを変えていきたいので政治に関わります。



今朝フジテレビの日曜報道という番組を観ていて、AIによるデジタルクローンというものが出ていた。


人間が時間を割く必要がそれほど重要でないことに関しては、機械に任せることも良い方法なのかなと思いました。


自動車の自動運転も人間をサポートする範囲なら便利だと思いますが、なにもかも機械に依存してしまうのは不安があります。


よく思うのは「誤動作しないのかな?」って。


人間の慢心によって「大丈夫」と思うことは、かなり危険なことと感じます。


たとえば福島の原発事故。


震災前は電力会社のCMで「安全」を散々アピールしていましたよね。


あんな巨大な津波が「襲ってこないだろう」という油断と慢心。


人間の人為的なミスを「サポートする」点のみなら機械に任せることに賛成です。


普段から「大丈夫だろう」と油断せずに「何が起こってもおかしくない」と危険を想定することが、大切な人たちを守ることになると思います。


自分たちの安全を依存しても誰も守ってくれないので。



 ずっと学校が嫌いでした。

家に居るのも居心地が悪かったので不登校ではなかったです。

子供の頃の楽しい思い出というものは無いのですが、学校の図書館にあった学研の「○○の秘密」という本が好きだったり、嫌々行って行っていたソロバン塾やカブスカウト(小6以降はボーイスカウト)の記憶はあります。

嫌々行っていましたが、今では大変役に立った活動だと思っています。(笑)

小6の途中までは名古屋で暮らしていましたが、そのあとは岐阜の各務原に引っ越しました。

引っ越してからは、やたらと担任教師に目の敵にされ、それに同調する点数稼ぎの同級生や、話したこともない他のクラスの連中にも酷い目にあった記憶があります。

今の自分から見て子供の頃の自分を評価すると「お調子者のヘタレ」だったのかなと思います。

学校の勉強は中3の時が一番やった気がします。

高校になってからは特に高3の時は「なぜ大学に行くのか」が分からなくなり、受験はしましたが全て落ちました。

見栄っ張りの親からは、それが気に入らないようで国外追放のような感じで語学留学しました。(当時はバブル全盛期)

真面目に語学の勉強はしませんでしたが、それ以外の学びは多かったです。

そのおかげで語学留学が転機になり、ものの考え方が変わっていきました。

そのせいか「変わり者」に加速がかかり、意見の衝突が多くなり、仕事をしても転々とすることが多かったです。

40代前に出会った師匠(お寺のご住職)との出会いが宗教観はもちろん、歴史観・国家観が変わっていきました。

前回のブログでも語りましたが、神谷さんの影響で政治観も変わりました。

そんな中から今まで疑問に思っていた「現実社会の問題」というものが理解でき、何か社会の役に立ちたいという想いに至りました。

いつまで生きるかは分かりませんが、残りの人生を社会貢献に使っていきたいと思うようになりました。

何度も言いますが、「正直者がバカを見ない世の中を作りたい」という気持ちでいっぱいです。