毎年池袋ミネラルショーは必ずきつい事がいくつか
あります。
それは、体調だったり、人間関係だったり、色々で
人のココロの闇が鮮明に見え、傷つく事が多くあってここは、私にとってはまさしく鬼門で、苦手な場所だだなって、毎年感じてきました。
近くに処刑場がある事は聞いていましたが、詳しくは知らなくて、いつもショーが終わると、家にトンボ返りして、なるべくこの場所をはやく離れたいという思いでいっぱいでした。
昨年は、初日に足がつって、股関節が急激に痛み出し歩けなくなってしまい、いつもサポートしてくれている馬場さんに、駐車場まで支えてもらい歩くのがやっとでした。
今年も何が起こるのか、心配していましたが
ショーの前に、ある友人からこんなコラムが、送られてきました。
この記事に載っている写真は、ミネラルショーの搬入口、駐車場、休憩所で、見覚えのある写真ばかりで、
サンシャイン60のシックスティの名前は、60人が処刑された鎮魂をこめての由来だと知りました。
ここを供養のために、人々が沢山集まるように、西武の堤さんが意図的に開発したのであれば、何となく毎年感じて来た違和感に納得がいきました。
今年は、毎日、終戦後に、処刑された人々を思いながら、仕事をしていましたが、最終日、デンバーから来ていた友人が処刑場に、お参りに行きましょうと誘ってくれました。
ショーが始まる前の早朝に、案内してもらい、勇気を出して石碑に手を合わせに向かいましたが、正直、朝でも不安でした。
公園に入ると、その一角だけさみしいエネルギーに包まれていて、鮮やかな千羽鶴が目に入った瞬間、鳥肌が止まりませんでした。何も書いてないので、理解してるのかわかりませんが、インド系の外国人が石碑の前で、タバコを吸っていて、休憩していたのが、何とも切なかったです。
戦争では、全ての人が犠牲者だと思いました。
後から知ったのは、タバコがお線香の代わりになっているそう。
この周辺を歩く事すら出来ずにいた私にとって、絶対にひとりでは行かない場所でしたが、勇気を出して手を合わせてみて、身も心も軽くなった思いでした。
不思議なのは、東條英機さんをはじめとする英霊の皆様が(何て呼んで良いのかわからないので英霊の皆様でいきます)
笑顔でいるのが伝わってきました。何だか皆明るいのが不思議なくらい、もう達観してるのかな。
それから、何もなかったように、会場に行って、いつも通り、ミネラルショーがはじまりましたが、このショーの初日に、友人が、神様の使いは、地味な人で、野球帽をかぶった普通のおじさんだったりするから、見落とさないでってポツッと言っていて、それをすっかり、忘れていましたが、まさに、そのおじさんが、朝イチに、姿を現しました(笑)
あっ、この間言ってた、野球帽のおじさんって、
この人かしら....
その人は、女神像の値段だけ聞いて、消えていきましたが、午後になりもどってきて、女神様を連れて帰りました。
そして、夕方近くになり、いつもショーをサポートしてくれてる馬場さんと愛子さんが、本人達の希望もあり、プリズンへお参りに行きました。
すると、彼女達が会場に戻って来たとたん、急に沢山の人がテーブルに集まりだし、普段、暇ですが(笑)それがいきつく暇もないくらい、忙しくなりました。
まるで、英霊の皆様がそこにいて、わいわい、お客様を連れてきてくれたかのように🤭
いったい、どうしちゃったのか...
もう、池袋サンシャインシティを苦手に思う事は私の中でなくなって、感謝の気持ちが湧き上がったのでした
サンシャイン60で、食事をしたり
(20年出展して、はじめての食事)そのくらい避けていた、場所でしたが、もう、大丈夫みたいです。
ジョーズシャンハイニューヨークのカニの小籠包は絶品でした。
与えられた人生を楽しみ、笑顔で生きること、それが犠牲になった多くの人々への供養になる事を感じた今年のミネラルショーでした。
来年、石のショーに行く前に、是非、お参りしてみて下さい。
きっと、ラッキーな事が起こり笑顔になるはず。
永久平和を祈って、
楽しく生きようぞ❤️